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勢い込んで食卓に身を乗り出したエリーゼに、シグルドは少し身を引いた。
「……一応言っておくが、楽しいものではないぞ? 宮殿で吟遊詩人たちが歌い上げるのを聞いたのだろうが、雄々しく華々しく魔物を打ち倒して勝鬨を上げるような勝利はほんの一面でしかない。敗走も撤退もあるし、血みどろの戦いもあるし、精神が削られる環境、泥臭く地道な作業、そうしたものこそが大半だ。……食卓で言うような話ではないが」
「いえ……分かります」
エリーゼは食卓に目を落とした。美しく美味しそうに整えられた料理の数々は、それこそ宮殿で話の種になる竜騎士たちの活躍そのものだ。それをお膳立てする者の奮闘は見えないし、顧みられることもない。料理が食材になる前、肉の解体現場などを見たら失神する貴族もいそうだ。
「でも、行きたい。知りたいのです。守られて暮らしているわたくしたちは知る義務があるし、できることをする義務もあると思っています」
単に宮殿が窮屈だったからという理由ばかりではない。魔力が強い者こそが現場に出ていくべきなのに、安全な宮殿で特権意識を持って誇って……そうした貴族たちの一員でいることが、本当に嫌だった。心苦しくてたまらなかった。そんな思いをするくらいなら、厳しいだろう現場に出ていく方が気持ちの面で楽でさえあると思う。
魔力を役立てずに宮殿で社交界の華ともてはやされていては、自分が腐っていく感覚さえしていた。
(……そんなことを考えるのは、わたくしくらいかもしれないけれど……)
あの考えの浅い第四皇子のみならず、宮殿に日常的に出入りする人々は、誰も辺境に思いを致さない。いや、辺境で戦うのが自分でなくてよかったと、むしろそういうふうに思っている。そんな人々を守るために今も傷ついている人がいるのかと思うと、理不尽さにやりきれなくなる。
そうした細かい考えまでは説明しなかったが、エリーゼが本気であることはシグルドに伝わったらしい。軽く息をついて彼は言った。
「説明してなおも気が変わらないなら、これ以上は言うまい。具体的な日程や場所は追って伝えさせるから、準備を整えておいてくれ」
出立のための具体的な準備か、それとも心の準備か。……おそらくは、その両方だろう。
「……それにしても、過保護ではないかしら……?」
従者を何人もつけられ、後方から魔物討伐を眺めながらエリーゼはぼやいた。
宮殿育ちのエリーゼは魔物を直接目にするのが初めてだ。だが研究塔に出入りしていたこともあって標本やスケッチなどはむしろ見慣れているし、魔物に関する理解も浅くはない。
魔物とは、高い魔力を備えた生物のことだ。個体差が激しく、特異な生態を持ち、捕食によって繁殖する。見た目ではなく魔力の在り方と繁殖方法によって区別されるもので、一見してそれと分からないものもいるが、攻撃性の高さも特徴的なので動いているところを見れば容易に判別がつく。そういうものだ。
今、シグルドたちが戦っているのは大きな熊のような姿をした魔物だ。後ろ足で立ち上がって恐ろしげに吠え、四本の前足を振り回して威嚇している。毛皮が硬すぎるらしく矢が通らず、切りかかっても剣の方が折れるありさまだ。誰かが魔物の足元を氷漬けにして動きを鈍らせている。
(ああ、でも、きちんと描かれた魔法陣があれば術者はそんなに近づかなくても大丈夫なのに! 火矢を射かけている人もいるけど、火魔術を飛ばせばもっと話が早いし、狙いも定めやすいはずなのに……!)
やきもきしながら戦闘を見守る。宮殿にいると実感が薄くなるが、本来、強い魔力を持つ者の数はそうとう限られるのだ。戦闘に耐えうるような魔力ともなるとかなり希少だ。
魔法陣も、専門的な知識を持つ者がいれば自分たちで作って使えるが、そうでないなら購入しなければならない。潤沢に使うわけにもいかないだろうし、だからこそこうやって魔物の動きを鈍らせるのが精一杯ということにもなるのだろう。
「恐ろしいですか?」
エリーゼが歯がゆさを堪えて表情を歪めているのを、恐ろしさのためだと思ったらしい。そんな風に誰かが声をかけてきた。
「ええと、あなたは……?」
「申し遅れました。竜騎士のニックと申します。お見知りおきを、美しいお嬢さん」
戦場にそぐわない優雅さで挨拶をした竜騎士の青年は、そう言ってエリーゼの手の甲を取って口づけた。
その程度で動じるようなエリーゼではない。「まあ」と挨拶を躱しつつ、首を傾げて問うた。
「あの、あなたは援護なさらないのですか?」
休憩中なのだろうか。それとも怪我をしているとかだろうか。魔物に対しては一気にたたみかけた方が早いと思うのだが。
ニックは冷笑を浮かべた。
「混ざり者を援護したりはしませんよ。私は他の基地の所属で、こちらへは必要があって来ただけですから」
(……。最初の言葉は聞かなかったことにして。なるほど、シグルド様の指揮下に入っていない、ということね……)
計画が狂うから、いくらよかれと思ってでのことでも、計画外の魔術行使を避けたり予定外の人員を入れるのを避けたりすることはある。それは納得できる。だが、この人はそもそも計算に入れてはいない部外者だったのだ。
シグルドたちが魔物と戦っているというのに我関せずでエリーゼに話しかけてきた竜騎士は、見目のよい青年だった。金髪碧眼で背が高く、宮殿の貴婦人たちに騒がれそうな、いかにもな見た目をしている。
彼の登場で気づいたのだが、シグルドたちが戦っている中に竜騎士がいない。竜に乗っているのはシグルドくらいで、あとは剣や弓矢をとったり、魔術を放ったりしている。
(混ざり者の下にはつきたくないと、そういうこと……? そもそも配置されていないのかしら……)
竜騎士自体は帝国でも数十人しかいないから、シグルドの基地に彼以外の竜騎士がいなくても納得はできるのだが、それにしてもどうなのだろう。竜の数は増やそうと思えばもっと増えるだろうし、魔力の強い者が竜と魔力を馴染ませて心を通わせて絆を紡げば、戦闘の要になる竜騎士はもっと増えてもいいのではと思うのだが。
「心ここにあらずですね、レディ。放心するほど恐ろしいのであれば、どうでしょう、戻られてもいいと思うのですが」
(これって、口説かれているのかしら……こんなところで?)




