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「ちょっといきなりすぎたかしら……」
「それ以前の問題だと思いますよ……。……ところで」
ベルフはこめかみに手を当てて頭痛を堪えるような仕草をした。
「こちらで何をなさっておいでなのですか!?」
「何、と言われても……何と言えばいいのかしら。雑用?」
問われたエリーゼは首を傾げて答えた。
ここはシグルドが指揮を執る基地の厨房だ。国境の少し手前側に置かれ、魔物と戦うための拠点になっている。国境は領地の境のようにはっきりと定まっているものではなく、日々変動している。要は人間と魔物の勢力圏の境界だ。目に見える線があるわけではないが、このあたりを踏み越えたら魔物がどこからともなく襲ってくる、といった縄張りの境のようなものがある。
シグルドが管理している領地は広く、基地も複数ある。それぞれの責任者は別々の者が務めていて、シグルドもその中の一人ということだ。
竜騎士たちは皇帝の直属なので、地方を治める領主の指揮下に入るわけではない。基本的には協力しつつも別々で動くものだ。基地は皇帝が領地の一部を借り上げている形になり、領主の権力が及びにくい。
エリーゼが今いるこの基地はシグルドが責任者かつ領主なので何も問題はないが、シグルドの領地にある他の基地には領主といえども影響力を及ぼしにくく、混ざり者の竜騎士である彼に当たりが強い者もいるらしい。
というようなことを、エリーゼは厨房で野菜を洗いながら炊事兵に聞いた。
「たしかにここは特異で、領主の城が基地と接続している稀な例ですが! 城の客人として遇されているはずのエリーゼ様が、どうして基地の側にいらっしゃるのですか! しかも雑用ですって!?」
ベルフが頭を抱えている。せっかく怪我がきれいに治ったのに掻きむしったりしたらまた痛んだりしないのだろうか。そう思ったもののそうさせる原因がエリーゼ自身なので、大人しく口をつぐんでおいた。その間も手は野菜を選り分けている。その様子を見たベルフがさらに渋面になった。
雑用、と言ったのは別に言葉を濁したわけではない。適切な言葉が見つからなかっただけだ。それこそ客人であり料理の素人であるエリーゼはもちろん包丁を握らせてもらえないし、味付けに関わることもできない。不用心だからというだけでなく、そうした技能も足りていない。
そんなエリーゼがここでしていることはといえば、野菜そのものについての品質管理というか、もっと直接的なことだ。しなびた野菜のみずみずしさを取り戻したり、有害な芽が出てきてしまった芋の状態を巻き戻したり、傷んでしまった野菜を元に戻したり、保存されたりといった中で失われた栄養素を元通りにしたりといった感じだ。どれもエリーゼが木魔術を使って為している。
(研究塔に出入りしたり、師父から教えを受けたり、魔術の腕はきちんと磨いてきたのだもの)
嬉々として次は林檎に魔術をかける。たよりない軽さの林檎が、見る間にずっしりと重量を得た。丸々とはち切れんばかりの形になり、皮がいっそう赤く艶めいた。
それを見た炊事兵が口笛を吹く。
「うまそうだ。料理に使わずそのまま出してしまいたいくらいだな」
「いえ、どうぞお使いください。林檎をそのままかじることも出先ではあるでしょうけれど、せっかく基地で料理を口にできる環境にいるのですもの。皆様きっと料理を待ちわびていらっしゃいますわ」
「ここ数日はなんだか急にそういう声が増えたな。食事が楽しみだとか、苦手だった野菜が食べられるようになったとか、体の調子がいいとか……お嬢さんが手伝いに来てくれるおかげだな」
「まあ、そんな……」
「数日間も!?」
エリーゼがはにかみ、ベルフが被せるように叫んだ。なおも勢いよくまくしたてる。
「エリーゼ様、ご自身が客人として滞在しておられることを何度も何度も確認させていただきましたが! どうして城の客人が基地の厨房で木魔術をかけてくださっているんですか! お手をわずらわせなくても大丈夫なはずですよ!?」
「もちろん、わたくしがしなくても大丈夫でしょう。基地の食事はいつも通りに回るだけでしょう。でも、わたくしに出来ることがあるならやりたいわ」
シグルドはまだエリーゼを戦いの場に連れて行ってくれない。基地の責任者たる彼に逆らってまで無理についていくことはさすがに控えるが、代わりにこのくらいは見逃してもらったっていいはずだ。自分の木魔術を役立てられるのが嬉しい。宮殿にいたら、令嬢たちとのおしゃべりの際に薔薇を咲かせるくらいしか魔力の使いどころがなかっただろう。
「宮殿のお嬢さんが、見上げた心意気じゃないか。実際俺らも大助かりだ。仕方ないとはいえ傷んだ野菜を捨てるのには罪悪感があったが、お嬢さんの魔術のおかげで捨てるところがなくなった。戦うばかりが魔術と思っていたが、こんな使い方もあるんだな」
炊事兵がエリーゼの援護をしてくれる。ベルフはおそらくエリーゼが部屋にいないことから心配して探しに来てくれたのだろうが、よく基地の厨房まで辿り着けたものだ。
シグルドはエリーゼに侍女をつけてくれたが、ベルフも何かとエリーゼのことを気にかけてくれる。ここへ来る前から面識があったということで、特にベルフを付けてくれたのだ。
(……それにしても)
「あの、気を悪くしたらごめんなさい。この厨房にいらっしゃる皆様……あなたの角を、まったく気にしていないようなのだけど……」




