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「わたくしはどう噂されようと構わないけれど、混ざり者が悪者にされて面白おかしく脚色されるのはいただけないわね。攫っていった、などと。むしろわたくしが押しかけた側なのに。……押しかけ女房とか、そういうものを連想してしまうわね」
エリーゼの言葉にシグルドが吹き出した。
「その、エリーゼ嬢、たとえが……」
「わたくしは婚約破棄されたばかりの身ですが、シグルド様に助けられたのですもの。庇っていただけて嬉しかったですわ。いっそ本当にそうなってもいいかもと思うくらい」
「…………!?」
「エリーゼ様、そのあたりで。我が主君は女性に免疫がないのです」
「ベルフ、お前……!」
「そうなのですか? 辺境伯かつ竜騎士というお立場があって、容姿も非の打ちどころがなくて、お優しくていらっしゃるのに?」
「…………!」
シグルドは手で顔を覆った。しかし隠しきれておらず、頬や耳などが赤い。エリーゼはそれをしげしげと眺めた。
(……。社交界ではちょっとお目にかかれないくらい、初心な反応ね……。別にわたくしもお世辞を言ったつもりではないし、あの馬鹿皇子とは比べ物にならないくらい良い方だと思うのだけど。それにしても……)
「…………乙女ですか」
エリーゼが声に出すのを控えたことを、ベルフが容赦なく言葉にした。遠慮のない突っ込みに、シグルドの頬がさらに赤くなる。これはちょっと面白いかもしれない。この主従の力関係がなんとなく見えてきた気がする。
ものが言えないシグルドの代わりに、ベルフが少し溜息をついて言った。
「非の打ちどころがないと仰いますが、エリーゼ様。我々には大きな欠点があるのですよ」
我々、と言われたことで彼が何を言わんとしているのか分かった。角……混ざり者の部分のことだ。シグルドには二本の立派な角が、ベルフには一本の短めの角が、それぞれ生えている。それを欠点と言うのならそうなのだろうが、
「……きれいな角だと思うけれど? 手触りもよかったし。シグルド様の角には触らせていただいて……あなたの角も、治療中だったからあまり意識はしなかったけれど……」
「…………!?」
「ですから、治療! 僕が怪我をしていた部分に薬を塗ってもらっただけです! ですからシグルド様、そんな目で見るのはやめてください!」
顔を覆っていた手をどけて、なんだか愕然としたような威嚇するような目つきになったシグルドに、ベルフが慌てて手を振って否定した。
(うーん……これは、脈あり、なのかしら……)
エリーゼはとくに鈍い方ではない。生き馬の目を抜くような社交界で頂点に立った経験もある。シグルドのこの反応がエリーゼに対する好意のあらわれである可能性は高いと思う。だが、ちょっと彼が初心すぎて、そう判じていいものか疑問が残る。
(わたくし自身の気持ちも、自分でよく分かっていないしね……)
シグルドのことを、すごくいい人だと思っている。自分の魔術を役立てるのならこの人の傍がいいと思って、彼の厚意――あの夜会からエリーゼが望むままに連れ出してくれたこと――に乗じるかたちで押しかけてきてしまった。
そのことに後悔は全くないし、これ以上の選択はないと思っているけれど……実はエリーゼ自身、恋というものをしたことがない。小さい頃は父のお嫁さんになると本気で思っていたし、父が亡くなってジーン第四皇子の婚約者になってからは恋などもってのほかだった。皇子以外に恋するわけにはいかないし、皇子に恋するわけなどどこにもなかった。
だからこそ、ジーン皇子の婚約者という立場でいつづけられたのかもしれない。いずれ結婚して皇子妃になり、その後の行為の必要性は認識しつつもどこか他人事で、皇子が他の人に心を向けてくれるのならこちらとしては大助かりだと、そんなことを考えていた。
(……婚約破棄もむべなるかな、という感じよね……)
自己愛の塊のようなジーンが、ジーンに欠片も興味をもたないエリーゼを厭うのは当然だっただろう。彼に関心を向けて彼を持ち上げたりすればもう少し関係は良好だったかもしれないが、「赤薔薇の中の赤薔薇」たるエリーゼに思われる自分、を誇示するジーンの鼻高々な様子が目に浮かんでしまうので、そんなふうに歩み寄るのは業腹なので、やはり自分は彼のことが欠片も好きではなかったのだと今更ながらに追認している。
(でも、シグルド様に対しては違う……)
いくらでも歩み寄りたいし、自信を持ってほしいし、彼のことが知りたいと思う。だから、
「シグルド様、わたくしと婚約しませんか? 婚約を前提とした押しかけ女房を始めたいと思うのですが」
「待て待て待て、いろいろおかしい! 順序からしておかしいし、仰ることもおかしい!」
「婚約者に捨てられた哀れなわたくしを助けると思って」
「その婚約者をこてんぱんに叩きのめして慰謝料の竜をぶんどっておいて、『捨てられた』も『哀れ』もないと思うのだが!」
「見解の相違ですわね」
「誰が見ても、捨てられたのも哀れなのもあちらだろう!」
声を大にして突っ込み、シグルドは疲れたように肩を落とした。
「……あなたが宮殿を出たがっていたことは分かっていた。あの皇子がのさばる場所はあなたに居心地が悪いだろうし、私の名誉をも守ってくださったあなたを我が領地にお招きできるのは光栄なことだ。だが、客人で構わないのでは? 田舎なりにもてなしをさせてもらうし、なるべく不自由もさせないと誓おう。だから、その……婚約者とか、おしかけ女房だとか、そういう話からは離れないか……?」
「そうですわね、あまり無理を言って困らせるのも本意ではありませんし。でしたらわたくしを、あなた様の従者にしてくださいませ」
「無理を言って困らせるのも本意ではないと仰ったばかりではないか!?」
シグルドの突っ込みが、辺境の高い空に筒抜けた。




