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「言わせておけば――!」

 ジーンがこちらへ突っ込んできた。長槍を振り回してエリーゼを狙おうとする。しかし長槍は自身の筋力だけで扱うには重すぎるうえ、ジーンは体や武器に十分に魔力を巡らせていない。逆に槍に振り回されるような格好になり、彼を乗せている竜も心なしか呆れた様子だ。

 頭に血が上った者ほどやりやすい相手はない。エリーゼは身を伏せるようにしてテア・ルルの首筋に上半身を沿わせ、抵抗を少なくして前へ加速と指示を出した。炎を掻い潜って速度を上げ、ジーンの方へと突っ込む。

「っ、させるか!」

 エリーゼが剣を構えたのを見てジーンも槍を引き寄せた。迎え撃とうと構えたが、エリーゼの木剣の狙いはジーンの体ではない。

「そっちじゃないわ!」

 木剣の先から勢いよく蔓が伸びる。エリーゼの木魔術だ。蔓はジーンの体ではなく手綱へと伸びて、その制御を奪った。魔術耐性のある素材だから容易く断つことはできないが、不慣れな乗り手の体勢を崩すには充分だ。そのうえ、ジーンは竜と絆を結んでいない。意思疎通が不十分なまま空中で体勢を崩した結果、彼の体は風にあおられて呆気なく竜の背から離れた。取り落とされた長槍を追うかたちで、体がバルコニーへと落下していく。

「そこまで!」

 シグルドが声を張り、ジーンの体を空中で受け止めた。見えないクッションにぶつかったかのように落下速度が急激に遅くなり、姿勢が立て直される。そのままだったら頭から墜落していただろうが、もちろんそんなことにはならない。シグルドの傍らで警備の騎士たちが魔法陣を用意していたが、使わずに済んだようだ。シグルドの力量は確かだ。

 長槍が重い音を立ててバルコニーに落ち、ジーンの足も床につく。彼はそのままたたらを踏み、しりもちをついた。体幹を鍛え、かつ、こうした事態に慣れていれば晒さないで済む醜態だ。エリーゼは彼を追うようにテア・ルルを着地させ、横乗りしていた鞍から軽く飛び降りた。

「ば、かな……」

 ジーンは茫然としている。エリーゼに手も足も出なかった事実を受け止めきれないでいる。

 彼が我を失っている間に、エリーゼは周りをちらりと確認した。

 エリーゼが勝ったことに驚いている人、まだ認められない人、賞賛を送る人、いろいろな反応を見せる人がいる。中には、皇子に恥をかかせるなんて、と眉をひそめる者もいる。これで終わりなのかと拍子抜けするような声もある。

(いちおう、こちらも配慮したつもりなのだけどね……)

 皇族の体を直接傷つけるような手段は選ばず、彼の体ではなく竜の手綱を狙った。致命傷を与えたとみなされるようなことはせず、竜の背から落とすだけにした。

 使った魔術も、そこまで難しいものではない。派手なものでもない。必要最低限、勝利に必要な分だけを使った。

(殿下はわたくしに配慮してくださらなかったけれど……)

 炎の魔術でエリーゼが傷ついてもいい、むしろ傷つけてすかっとした気分を味わいたい、そんな意図が透けて見えていた。

「……か」

「?」

 なにか声をかけられた気がして、エリーゼは振り返った。

「認められるか!」

 ジーンが長槍を拾い、渾身の力を込めてエリーゼに向かって突き出した。

「エリーゼ嬢!」

 シグルドが叫び、エリーゼを庇って風魔術を放とうとする。だが、エリーゼはそれを「大丈夫です」と短く断り、腰に佩いた剣を再び抜いて迎え撃った。

「さっきは妙な小細工をしてくれたが、正面からなら――っ!?」

 エリーゼの木剣が、金属の長槍をぎりぎりと押しとどめている。重量感のある硬い武器を振り回されて木剣などひとたまりもなく見えるが、木の剣にはエリーゼの木の魔力を巡らせてある。自分の腕の延長のように感じる剣で、エリーゼは長槍を弾き返した。

 その衝撃でよろめいた皇子に、エリーゼは距離を詰めてたたみかけた。手の甲を打って槍を落とさせ、流れるような動作で剣先を彼の胸に当てる。いつでも貫けるぞという脅しだ。

(あんまりいい気分ではないわね、人に剣を向けるのは。これでもいちおう皇子だし。……でも、卑怯にもわたくしの後ろから、それも勝負がついた後でこんなふうに仕掛けられたら、このくらいは返していいと思うのよ」

 ぴたりとジーンの胸に剣先をつけて一歩も引かないエリーゼに、観客の声が聞こえてきた。

「……棘を隠した薔薇……」

(そういえば、そんなふうに言われることもあったわね)

 もう、棘はあらわになってしまった。いまさら隠せるものでもないし、隠そうとも思わない。これが――これも――エリーゼ・フィネだ。

 社交界の華、赤薔薇の中の赤薔薇と呼ばれた令嬢の立場は、ここに捨てていく。元婚約者の皇子とここまで険悪に正面からやりあったのだから、宮殿にはもういられない。厚顔に居座ることはできなくもないが、そうしてまで欲しいものなどここには無い。フィネ家の立場を強めるため、弟妹の将来の可能性を広げるため、エリーゼが社交界で奮闘していたのが遠い昔のようだ。自分で築き上げたものを自分で突き崩し、それを当てにしていただろうタバサとリリア、それにセオドアには、自分たちで頑張ってもらうことにする。邪魔こそしないが、助けもしない。

「……私に剣を向けておいて……どうなるか分かっているのだろうな?」

「殿下こそ、決着がついてから卑怯にも後ろから切りつけるなど、何をなさったか分かっておいでですか?」

 エリーゼの言葉にジーンはかっとなり、次いではっとした。周りの様子を窺うジーンの目には、はっきりと映っているだろう。――ありえないやらかしをした、身勝手で傲慢な皇子に非難の眼差しを向けている人々が。

 事ここに至ってはもはや、男性かつ皇族であるというジーンの立場の強さも助けにはならない。その立場にあぐらをかいて元婚約者の令嬢に無礼をはたらき、返り討ちにされた情けない敗者の姿があるだけだ。

 エリーゼはさらに追い打ちをかけた。

「殿下に慰謝料を請求しますわ。身勝手な理由で、わたくしの同意も得ずに、大勢の前でわたくしを晒し者にしながら婚約破棄したことについて。同意の上で決闘を行ったのにその結果に納得せず、決闘外でわたくしを殺傷しようとしたことについて。いくら決闘の直後で武器を持っていたとはいえ、宮殿の中で理由なく他人に武器を向けるのは禁忌ですわ。たとえ皇族であろうと、たとえ相手が誰であろうと」

 当然だ。皇族だからといって好き勝手できるわけではない。他人をいたずらに傷つけていい免罪符などない。

「間違いなく牢屋行き、もしかしたら皇位継承権剥奪もあるかもしれませんわね。このままわたくしが訴え出れば」

「…………。……何が、望みだ!」

「ですから、慰謝料を。テア・ルルを所望しますわ。皇族としてのやらかしなのですから、皇族の象徴を」

 仔竜の一頭くらいなら、皇子の権限でもかろうじて何とかなる。エリーゼが訴え出れば彼の立場の失墜は火を見るよりも明らかなのだから、エリーゼの同意を取り付けるために呑むしかないだろう。

 火花が散るような睨み合いの後、ジーンは唸るように言った。

「……連れていくがいい。だが……覚えていろよ! それがお前の本性か!」

 エリーゼは華やかに笑ってみせた。

「仰る通りですわ。殿下も、その残念な本性をもう少し包み隠された方がよろしいのでは?」

「――――!」

「…………。……エリーゼ嬢、そのあたりで止めてもよいのでは……」

「あら失礼。お耳汚しを」

 シグルドの制止に、エリーゼは言葉を引っ込めた。これまで溜まりに溜まった鬱憤をもっとぶつけてやってもいいのだが、決闘とその後の不意打ちへのやり返しでだいぶ気が済んでいる。ジーンが気を変えてテア・ルルを渡さないなどと言い出しても面倒なので、ここまでにしておくことにする。

「テア・ルル。わたくしを乗せて。行くわよ」

「行く……? ……どこへ……?」

 シグルドの声が心なしか引きつっている。エリーゼはそんな彼に微笑みかけた。

「辺境へ。シグルド様がいつも戦っていらっしゃる場所へ。わたくしも連れて行ってくださいませ。……あなた様の従者を助けたことを、恩に着てくださるのならば」

「……やはり、勘づいておられたか」

 シグルドは諦めたように苦笑し、竜騎士の笛を首元から引き出して吹き鳴らした。鋭い音が響き、夜空を裂いて堂々たる竜が現れる。

「私の相棒、アーグルだ。よろしければお乗せしよう、エリーゼ嬢。先ほどの立ち回りのあとでの人を乗せた長距離移動は、その仔竜にはまだ早いだろう」

 エリーゼは目を輝かせた。用意など必要ない。父の形見は肌身離さず身につけている指輪だけ、その他のすべては宮殿に置いていく。――この身ひとつで、宮殿を出るのだ。

「連れて行ってくださいませ、アーグル、シグルド様!」

 シグルドに手を引かれて竜の背におさまるエリーゼの頭上を、テア・ルルが嬉しげに一回りしてみせた。

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