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(――でも、それがわたくし)
社交界の華、赤薔薇の中の赤薔薇などともてはやされていても、それがエリーゼの全てではない。ましてジーン第四皇子の婚約者という立場はエリーゼの望んだものですらなかった。
「つくづく、婚約破棄してよかった。こんな奴だとは思わなかった。――後悔するなよ?」
(こちらの台詞だわ)
捨て台詞を残し、ジーンは侍従たちに決闘の用意を言いつけた。生意気な元婚約者を自らの手で制裁し、目にもの見せてやりたいという意図が、嗜虐的に吊り上がった口端から見て取れる。
侍従たちは躊躇う様子を見せてエリーゼの方を窺ったが、頷いてみせると頭を下げて用意を急いだ。竜騎士たちが連れてきた親竜が子竜と再会を喜び合っているところを邪魔してしまうが、少しだけ付き合ってもらいたい。
エリーゼはふと思いついて声をかけた。
「わたくしにはテア・ルルをお願い」
「……かしこまりました」
思考を放棄したらしい侍従が慇懃に答えた。決闘など本当にやるのだろうか、それともなにか他の意図があるのだろうか、呑み込めていない様子で去っていく。
もはや夜会どころではない。「赤薔薇の中の赤薔薇」は狂ったのか、いやあまりにも皇子のなさりようがひどい、いやいや混ざり者などと仲良くする様子を見るに……などなど、あちらこちらで、あるいは大声であるいは小声で、あることないこと様々に取り沙汰されている。エリーゼに声をかけようとする者もいたが、エリーゼよりもむしろ周囲の視線と圧力に負けて引き下がっていった。成り行きを見届けたいから邪魔するな、心変わりするようなことを言うな、といったところだ。
(このドレスでも動けないことはなさそうね。布地は傷んでしまうでしょうけれど、もう着る機会もなさそうだし。上から防護用のローブを羽織れば充分ね)
試案していると、上から苦笑するような声が降ってきた。
「あなたは本当に……測りがたい方だ」
青年が少し表情を緩めている。エリーゼは瞬いた。
「決闘などと荒唐無稽なことを言い出しておいて、その荒唐無稽を現実のものにしようとしている。冷静に算段を立てて、竜を指名して……肝の据わり具合が、戦場の竜騎士のそれだ」
「止められるかと少し思っていました」
「止められるものなら止めたいが? 美しい乙女を守るのではなく、守られる側になってしまった情けない男の気持ちを分かっていただけるなら」
エリーゼは小首を傾げた。
「わたくしは先ほど、あなたに守っていただきました。味方のいない中で……すごく嬉しかったのです。今度はわたくしの番だというだけ。『守られる側になってしまった情けない男』なんてどこにもいませんわ。むしろわたくしが背中を預けた気分でおります」
言うと、シグルドは苦笑でなく笑んだ。「敵わないな」と小さく呟く。そのまま小声で続けた。
「女性が決闘だなどと……という部分を無視すると、あなたは相当やるだろう。竜に乗れるのは知っている。その手も、剣をとる者のそれだ。魔力の高さも分かる」
なぜ竜に乗れるのを知っているのだろう。もしかして、助けたあの少年の主君がこの人なのか、そうでなくても繋がりがあって話を聞いたのかもしれない。
エリーゼの手も、普段は手袋で隠しているが、剣を握って柄に当たるあたりの皮が厚くなっている。それを見咎められたのだろう。魔力についても、魔力の高い者はとくに、他人の魔力も感じ取れる。
エリーゼは不敵に笑った。
「わたくしは訓練を積んできましたが、対人戦はほとんど経験がないのです。でも、負ける気がしませんわ。相手がジーン殿下ですもの」
ジーン皇子はもちろん、皇族のたしなみとして竜に乗れる。剣や槍も、魔術も扱える。だがその腕前はエリーゼから見てもお粗末なものだ。剣や魔術の教師を無視して遊びに出かけたジーンの代わりにエリーゼが指導を受けたことも一度や二度ではない。いくら女性の筋力が弱いとはいえ、そもそも生身の人間の力などたかが知れている。鍛えたうえでさらに魔力を通し、自在に扱えるようになれば、性差など簡単にひっくり返る。個人差になり下がる。
(このさい認めるけれど、わたくし、男性であることを鼻にかける人って大嫌いなのよね……)
筋力的に、社会的に、強い立場で生まれたことをひけらかす男性が、大嫌いだ。男性であることを誇るのはいい。むしろ良いことだと思うが、それが女性への見下しとセットになっているのがいただけない。自分は男性に生まれて良かった、女性の立場は苦しくて不自由だ、などと優越感に満ちた視線を向けられると張り倒したくなる。つまりはジーンのことだ。
決闘の主目的はもちろん、シグルドの、そしてエリーゼの名誉を守ることだ。断じて鬱憤晴らしではない。身勝手に婚約を破棄した馬鹿皇子に目にもの見せたい、万が一にも復縁することがないよう叩きのめしたい、などとは思っていない。……ほんの少ししか。
「……エリーゼ嬢。なんだか……雰囲気が怖いのだが……」
「あら、失礼しました。つい殺る気が」
「やる気、というのとは違うニュアンスに聞こえたのだが。……きっと気のせいだな」
「そういうことにしておいてくださいませ」
そんなふうに話す間にも準備は着々と進んでいく。テア・ルルが連れてこられ――まだ仔竜の域を出ていないが、すでに充分な動きができることは実証済みだ。他の竜よりも少し長い時間を共に過ごし、気持ちを通わせてもいる――、ジーン皇子の方にも竜が連れてこられたようだ。ジーンがいかにも強そうな雄の成竜を選ぶのを見てエリーゼは眉をひそめた。
もちろん、手強そうな相手に焦りを抱いた、などという理由ではない。むしろ逆だ。ジーンは雄の成竜を……それも竜騎士がふだん乗り回しているような戦いに慣れた気位の高い竜を、御すことができるのだろうか。
得物を選ぶ様子にも、本当に大丈夫だろうかと立場を忘れて言いたくなってしまう。……使いやすさではなく、見栄えで選んでどうする。長い槍は振り回すためのものではなく、竜の上で構えて体ごと固定し、突っ込むことを想定しているものだ。槍を動かすのではなく、竜に動いてもらわなければならない。竜と心を通わせる必要があるのみならず、竜を乗りこなす技量も必要だ。――どちらも、彼に備わっているとはとても思えない。
だが、そういったことを見て取る素養の無い人々は、いかにも美々しく仕上がっていくジーンの様子に、彼の勝ちを確信したようだった。一瞬で片が付いてしまったら面白くない、などと言っている声が聞こえる。
(どうなるか――今に分かるわ)
エリーゼもローブに袖を通し、準備を進めた。




