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――その違和感を、放っておいたつけが回った。
「私、第四皇子ジーンは、エリーゼ・フィネ宮中伯令嬢との婚約を破棄する! 代わりにフィネ家の第二子、リリア・フィネ嬢と婚約を結びなおすこととする!」
竜騎士の凱旋式、年に一度の大きな式典に付随する夜会で、エリーゼは婚約者から婚約破棄を突き付けられていた。
(?????)
「ふ、茫然としている様子だな」
ジーンは金髪をかき上げ、悦に入った様子で言った。その逆側の腕には、リリアがしがみついている。こちらへ向ける眼差しが、ここ最近ずっと感じていた……「女性」のものだ。婚約者を奪い取ってやったと勝ち誇るものだ。
茫然というより唖然として、エリーゼは口を開いた。
「わたくしは何も聞かされておりませんが?」
「だから今、こうして言っているだろう! 馬鹿なのか?」
「…………」
馬鹿はこの場合、ジーン皇子だ。本人の了承なく大勢のいる前で勝手な決定をし、非のないエリーゼに恥をかかせようとしている。エリーゼが見た目通りにかよわい令嬢であれば、ショックで寝付いてしまったりしたことだろう。
「この婚約は第二皇妃殿下のご意向で整えられたものですが……?」
「私の決定に母上は頷いてくださる。なに、姉妹なのだから相手が変わっても問題ないだろう。どちらもフィネ家の娘だ」
「……………」
フィネ家は、そこまで有力な家というわけではない。皇子妃を輩出できるくらいの血筋の良さはあるが、係累が多いわけでもなく、飛び抜けた資産を持っているわけでもない。これは家同士の結びつきというより、エリーゼ個人が資質を買われて結ばれた話だ。
第二皇妃は息子に甘いから、彼に言われたら決定を変えるかもしれない。だが、問題は他にもある。
「その、妹には荷が重いかと……」
「なんだ、私に未練があるのか?」
勝ち誇ったような顔で聞かれ、エリーゼは思わず半眼になった。曲解もいいところだ。彼との婚約は外れくじを引かされたようなものだと認識しているから、可愛い妹をそんな立場に立たせたくない。そう思ってのことだ。
だが……もしかして。可愛い妹はもう、可愛いだけの妹ではないのかもしれない。
「お姉様、未練がましくてよ」
リリアが言う。
「殿下はお姉様ではなくて、わたしを選んでくださったの。わたしが一生懸命に気持ちを伝えたら、応えてくださったの」
しがみつくリリアを抱き寄せながらジーンは言った。
「リリアは素直で健気で愛らしい。取り澄ましたエリーゼとは違ってな。姉の婚約者だとは分かっていても私が好きだ、せめて気持ちを伝えることだけは許してほしい……そう言って涙をこぼす君は美しかった」
「殿下! 恥ずかしいからそんなことを仰らないで!」
「………………」
二人のやり取りに、エリーゼは軽く天を仰いだ。さりげなく見渡すと、娘そっくりの勝ち誇った表情をするタバサが目に入った。
(なるほど……そういうことね……)
エリーゼは察した。リリアの行動は、タバサの入れ知恵だ。
いじらしく愛情を求め、自尊心を満たしてやれば……ジーン皇子の心は動かせる。エリーゼがタバサに語ったそのままを、タバサは娘にさせたのだ。――エリーゼのことなど考えず、エリーゼをリリアの踏み台にさせたのだ。そしてリリアも、それを嬉々として実行したのだ。
(………………)
ジーン皇子から婚約を破棄されようがされまいがどうでもいいが――いや、こうなったらむしろ破棄されたいからどうでもいいわけではなく逆だが、それはともかくとして――、こちらの衝撃の方が大きいかもしれない。仲良しとまではいかなくても問題なく家族として過ごしていたはずのタバサ母子に、もしかしてエリーゼは家族と思われていなかったのだろうか。利用するだけ利用して、必要となれば容赦なく踏み台にするような、そんな存在だったのだろうか。
(……弟は? セオドアは?)
タバサの陰に隠れるようにしてこちらを伺うセオドア――タバサの息子でリリアの弟、エリーゼとは母親違いの弟にあたる彼は――エリーゼに警戒の眼差しを向けた。母に、姉に、恨みを向けてなにか害をなすのではないか。それを警戒する眼差しだ。
弟とも、とくに関係は悪くなかったと思っていた。線の細い弟は十二歳にしては幼くて、十七歳のエリーゼのことをもう立派な大人だと見ているふしがあった。自分の成長が遅いのもあって気が引けているようで、無理に近づいたり構ったりするのはよくないだろうと、少し遠慮がちに接していたところはあったが……こんな視線を向けられるほどよそよそしい関係だったとは思わなかった。
(……仕方ないかもね。まだ母親の影響力が強い年頃だし、お母様からわたくしの悪口を聞かされていたりするのかも。そんな気がするわ……)
混ざり者に対するやりとりで、タバサの差別意識や口の悪さを実感したばかりだ。娘や息子に対しては悪影響だろうと思うものの、似たもの親子なのかもしれない。だったらもう、三人で仲良く好きなだけやっていてくれと匙を投げるだけだ。
ジーン皇子に対しては、最初から愛情は無い。タバサとリリアとセオドアに対しては家族の情があったが、それも消え失せた。そもそもエリーゼがジーンと婚約していたのは主にリリアとセオドアのためだったのだから、こうした理由で婚約が破棄された以上、婚約の動機までもが一緒くたに消え去ったことになる。
(……あれ? わたくし、すごく身軽になったのでは……?)
「……お姉様?」
エリーゼの様子に不審を覚えたのか、リリアが不安を打ち消そうとするような声を上げた。エリーゼは応えた。
「リリア」
「何!?」
「ジーン皇子殿下のこと、好きなの?」
「!? あ……当たり前でしょう!?」
肯定の返事をしておきながら、リリアの目が揺れている。答えはそれだけで充分だ。恋焦がれてジーンに近づいたのではなく、タバサから入れ知恵をされて、エリーゼの婚約者を奪って自分が第四皇子妃になりたくて、ジーンその人をではなく立場を求めたのだ。
(別に、それが悪いとは言わないけれど……)
どんな動機でどんな相手と婚姻を結ぼうが自由だ。そのこと自体はそれでいいのだが……
「……じゃあ、頑張ってね。さっそく来月には隣国の大使交代にあたっての式典があるから、殿下と一緒に参加することになると思うわ。もちろんお相手の国の言葉に合わせてやり取りをするのよ?」
「え……!?」
「相手方の地理や歴史についてもさらっておいてね。殿下をお支えしたいのでしょう?」
「ちょ……それと、これとは……」
「マナーも確認しておかないといけないし、皇子妃としての勉学も膨大だし……でも、やるのよね?」
妹に苦労はさせたくないと思っていたが、苦労を自ら望むのなら話は別だ。「好きな人」の役に立つために頑張ってほしい。
リリアは肯定も否定もできずにうろたえている。そんなリリアを、ジーンは庇うように抱きしめた。
「大丈夫だよ、リリア。そのくらいのことはエリーゼが何とかしてくれるはずだ」
「しませんが? 馬鹿なのですか?」
「なっ……!?」
エリーゼの暴言にジーンは固まっている。さっき言われた分を返しただけなのだが、さすが皇子、罵倒されるのに慣れていないご様子だ。
「しませんし、できません。それらは『第四皇子妃』に準ずる者の役目です。わたくしはお役ごめんのようなので」
「……そうか……。それなら、エリーゼを側妃として迎えよう! それならどうだ?」




