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第8話 花火のせい(前編)

梅雨が過ぎると夏になります。

第9話 花火のせい(前編)



 うだるような気温が何日も続いていて、何もしていなくても汗が吹き出してくる。

 天井知らずの青い空、食べたら固そうな雲、庭に咲いた向日葵を見ると夏がやってきたと実感する。

 

 ジジジジッ――

 蝉がさらに気温を煽っている。

「あっつ」 

 庭の草取りと植物への水やりをしながら声が漏れた。

 前髪がないから顔や瞳への直射日光が暑いを通り越して痛い。

「日差しが痛いなぁ」

 軍手の中が蒸して、手首がちりちり痛い。

 きっと軍手を外したら手首と手の色が違うほど日焼けしているに違いない。

 太陽を弱点とする吸血鬼の気持ちがわかったような気がした。

 いつの間にか足元から灰になったり、溶けたりしてもおかしくない。


 太陽にさらされていた私に突然、影がかかった。

 見上げると真後ろに千歳さんが立っていた。

 逆光になり表情が見えず、目を細めるとつばの広い麦わら帽子がふわりと頭に被せられた。

「ちとせ、さん?」

 私だけがあたふたしていて、陸に打ち上げられた魚みたいだった。

「何です、これ」

「麦わら帽子」

「それはわかりますけども……」

「溶けそうだったから」

「溶けそう、でした?」

 私が知らないだけで、溶けていたのだろうか。

 彼は淡々と麦わら帽子を私に被せてお家の中へ戻っていった。



 助けてもらったあの雨の日から一緒にご飯を食べるようになった。それからは家の中でばったり会うことも少しずつ増えていった。


 あまり話しかけてはもらえないけど。

 

 食の好き嫌いはなさそう。起きる時間も起きている時間もまちまち。

 いつも本を抱えているから読書が好きなのだと思う。

 台所の棚にお茶の葉の種類が豊富なのは趣味なのだろうか。


 まだまだ分からない人。

 ただ、やっぱり彼がバケモノだと言う側面にはまだ出くわしていない。


「お買い物、いってきます」

 水やりと草取りを終わらせて買い物かごを片手に街へ出た。

 前髪がなくなり心もとなく、ないはずの前髪を指で触ったり、地面を見ることが多かったり、視線も泳ぐけれど視界が広がったのは生活しやすい。

 少しずつ街に馴染んでいくと顔なじみのお店も増えてきて買い物もしやすくなった。

 特に八百屋のおばさんはこんな私にもよく声をかけてくれる。


「こいちゃんいらっしゃい。いいの揃ってるよ!」

「美味しそう」

 夏野菜特有のみずみずしい赤や緑、黄が眩しい。

 ついつい、あれもこれもと手に取ってしまう。

「えっと、あとこのきゅうりも」

 かごいっぱいに野菜を購入して帰ろうとすると、ちょっと待っていてと引き留められた。


 ぼんやり店内を見て回っていると壁に張り紙を見つけた。

「なつまつり……」

 筆で書かれた力強い文字が目に入り、その下に花火大会雨天中止とある。

 馴染みのない文字の羅列を眺めていると私の顔よりも大きなスイカを抱いておばさんが戻ってきた。

「よかったらこのスイカもらって? 表面傷ついちゃって売り物にならなそうなんだけど、中身はとっても甘くて美味しいのよ」

「わ、わ悪いですよ、お金」

 慌てて財布を取り出そうとするのをおばさんに止められた。

「いいのいいの、うちにもまだあるし、このまま腐らせちゃうのもねぇ」

「でも……」

 すいかは大好きだけど、手元のかごいっぱいの野菜を見ながら果たして持って帰れるのだろうかと顎に手を当てむむっと試算していると背中から声がかかった。

 聞きなれた声は助け船だった。

「こいちゃん、こんにちは」

 振り返ると花宮さんが立っていておばさんは私の様子を見て察したのか大玉のスイカを花宮さんに半ば強引に持たせてしまった。

「あらあら、月ちゃん。こいちゃんと知り合い?」

「えぇまぁ」

「これ! こいちゃんの家まで運んであげて!」

「はい?」

「あ、そうそうそんなことより! 月ちゃん良い人見つかった? うちの孫でもよかったらいつでも、声かけてね。おばちゃん大歓迎」

「えっと、はぁ……今のところ予定はないですけど」

 花宮さんがおばさんの押しに戸惑っているのを見るのは新鮮だった。

 花宮さんにばれないように小さく笑っているとおばさんは夏祭りの案内用紙を手渡しながら早口で話し始めた。

「来週末に夏祭りあるから遊びにおいで? 出店もあるし、花火もあるから。浴衣は持ってる? うちの娘のも孫のもたくさんあるからなかったら、貸してあげる」

 話しては話すその勢いは鳴いても鳴いてる蝉のようで口を開いたままの私は間の悪い相槌しかできなかった。

「あ、へ、はい」


 おばさんの話を聞き終えた帰り道ですいかを抱える花宮さんが突然喉を鳴らして笑いはじめた。

「ふふふ、いつの間にこんなに馴染んでたの?」

「馴染んでるというよりはあのおばさんがいい人なだけで」

「そっかそっか。うまくやれているようでよかったよ。帽子も似合ってるね」

「あぁ、これは……」

 千歳さんにもらったと言おうとして口を押さえた。

 バケモノと言われる彼とそれなりに仲良くやっていると思われるのはどうなんだろう。

「そうだ、こいちゃんはお祭り好き?」

「……お祭り、実は一度も行ったことないんです」

「一度も?」

「トキと暮らしてた街にはお祭りはなくて、元々いた帝都では家からほとんど出なかったので」

「じゃあ、行ってみたらいいんじゃないかな」

「花宮さんは行ったことあるんですか?」

「花宮神社も協力しているから毎年強制参加だよ。にぎやかで出店も出るし、楽しいと思うよ」

「そうなんですね」

 にぎやか……か。人混みは少し億劫になる。

「花火も綺麗だよ?」

「花火?」

「見たことないか。夜空に花が咲くんだよ」

「夜空に、ですか」

 夜空に花が咲く。それだけで見たいような気がしつつ、駅でさえ人波に流されてしまった私が人混みを一人で歩くなんて考えられない。ましてや、大勢の視線が自分に集まった時に耐えられるかどうかもわからない。

「行けたら、行きます」

「よかったら、おいで」

 行けたら、行くは結局行かないってことなんじゃないかと突っ込まれなくてよかった。


 もうすぐお家の前というところで花宮さんは何か困っていることない? と聞いてくれた。

「困ってることは特に、ないです」

「そう、よかった。あの人とはどう?」

「あの人……千歳さん?」

 とっさに千歳さんの名前を言うと花宮さんは片眉をつりあげ、抱えているスイカを指で弾いた。

 ぽんと音がした。

「仲良くなった?」

「そういうわけでは、ないですけど」

「僕、名前教えていたっけ?」

「いえ、聞いて」

「本人から?」

「え、はい……?」

「へぇ」

 花宮さんの声はとても小さい声だった。

 千歳さんのお話をする時、どこかよそよそしく話すのはやっぱりバケモノだからなのかな。

 花宮さんは門の前でスイカを私に託すとすたすたと歩いて行ってしまった。


 夕飯の後、スイカがありますと千歳さんをそのままお待たせし食卓に並べた。

 しゃくしゃくと音をたてて食べる彼におずおず話しかけてみる。

「あの……千歳さんはお祭りって行ったことあります?」

「ない」

 余韻もなく、会話が終了した。

 チリン――

 返答の代わりに風鈴が鳴りました。無念です。



風鈴の音に紛れて遠くの方からかすかに聞こえる太鼓の音で今日がお祭りの日なのだとわかった。

「今日かぁ……」

 ひんやりした畳の上で丸くなっていると玄関先から声がした。

「配達でーす!」

 ごめんくださーいと2回聞こえて今行きますと返事をした。

「お待たせしました」

 配達員の方は額に大汗をかきながら今日も暑いですねぇと手で自身を仰いでいた。

 手渡された伝票に名前を記入し、荷物と引き換えた。

「お邪魔しました!」

「ありがとうございます」

 

 配達員さんを見送って手元の包み紙を見ると私宛の荷物になっている。

「私、宛……?」

 身に覚えがなく、包みをぐるりと見渡した後で依頼元の名前を確認した。

「花宮さんから……なんだろうこれ」

 依頼元は花宮月彦となっている。

 自室に戻って包みをおずおず開くと朝顔の柄が目に入った。持ち上げると朝顔が描かれた浴衣。

「浴衣と」

 浴衣と合せるように帯と髪留め、巾着まで入っていてその全てを抱きしめた。

「至れり尽くせり」

 目の前に一つずつ並べると胸の奥が高鳴ったと同時に風鈴が鳴った。

「可愛い……」

 綺麗な柄にしっかりとした生地の浴衣。

 綺麗で正確な縫製は見るからに手がかかってそうだった。

 私が手縫いしたものなんて比べようもない。

 帯の色も素敵、簪の飾りもきっと歩いたら揺れて可愛いに違いない。巾着も真ん丸な紫色で可愛い。見ているだけでも気分が上がっていくのがわかる。とても久しい感覚だった。

「お祭りかぁ」

 私の声が溶け、シンと静まる部屋の中で風鈴の音色が私に語り掛けてくる。

 チリン――

 行ってくればいいんじゃない? 本当はお祭りに行きたいんでしょう? 

 花宮さんの厚意を無下にするのも胸が痛む。でも、腰が重い。浴衣は可愛い。そんな思考の応酬でぐるぐると目がまわる。

「袖を……通すくらいなら」

 言い訳はたくさん思いついた。

 ぶつぶつと零しながら浴衣を着て、私には可愛すぎる気がすると思いながら綺麗な柄だなぁ、色だなぁと興奮する。自然と緩んでしまう口元をそのままに髪を上げ簪を通した。 

 

 部屋にある全身鏡で右に左に身体をよじって眺めては嬉しくなってしまう。

「うーん」

 鏡に映った嬉しそうに微笑む私と目が合った。

 つい頬をおさえて私が私に話しかけてしまう。

「どうしよう……ちょっと覗きに行って帰ってくるくらいなら……いいのかな、どうかな、花火って綺麗なのかな、どう思う?」

 今日の鏡の中の私はどこか好意的だった。

 もう一度、風鈴が鳴ったら歩きだそうかな。やっぱりやめとこうかな。

 未だにそんな言い訳をして風鈴が鳴るのを待って障子を開いた。

 

 こっそりこっそり玄関を目指すと玄関先に千歳さんが座っていた。

「千歳さん?」

 よく見ると、彼もまた浴衣を着ていた。


「浴衣どう?」

 私の足音でゆっくり振り向いた千歳さんは淡々と問いかけてきた。話しかけてくれることに慣れていなくて、驚いて後退ってしまう。

「可愛いと、思います……」

 答えた後でこれは私へ質問したのか、彼自身の浴衣への質問だったのか。頭を抱えてしまった。会話がなくなってどう外に出ようか考えているとねぇと呼ばれた。

「連れてって?」

 千歳さんが首を傾けて右手を私に伸ばしてくる。するりと浴衣の袖が滑り、彼の手首をさらした。

「えっと」

「こいが行くなら行こうと思って」

 

 私の名前……呼ばれてしまった。

 なんだろう、道端でそっぽばかり向いてくる猫がたまにすり寄ってきた時の気持ちと似ているような。

 やっぱり、なんだろうこの人。


「私、お祭り初めてで……よくわからないんですが、あと、人混みが苦手で正気でいられるか、わからないのですが」

「うん」

「私でよければ」

「うん」

「その前にえっと、千歳さんは外に出ていいんでしょうか?」

 私の問いに彼はあぁと天井を見上げてから、手錠をかけられる前のように両手を差し出してきた。

「じゃあ……こいが勝手に連れ出したことにして?」

 屁理屈がだいぶうまいらしい。

「いいんでしょうか」

 おずおず、両手を取った。

 こんなにも暑くて仕方のない日でも彼の手はとても冷たかった。



こいちゃんと千歳くんの独特な距離感。

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