第36話 器の起源(前編)
音羽の語る、器の起源とは
第36話 器の起源(前編)
千歳さんの体の中からナマズがいなくなって三ヶ月。
もうすぐ桜の花が開く季節になった。
私は相変わらず、このお家でお世話になっている。
全て、元通り。とはいかなかったけれど、身体の調子を徐々に取り戻した千歳さんは花宮神社によく呼ばれるようになった。
花宮さんのお手伝いをしながらながら、今まで出来なかった花宮神社のお仕事を少しずつ覚えていくのだとか。
時折酷く疲れたような顔をして帰ってくる日もあるけれど、今日は良いことがあった、うまくいかないことがあった話を聞くのはとても嬉しくて、彼が充実した日常を送れているようで安心する。
太陽が一番高くなる前に洗濯物を干し終え、縁側で休憩中。
ぽかぽかの陽気につい眠たくなってしまい、隙あらば欠伸をしてしまう。
「やあ、こい。息災か?」
少しだけ眠ってしまおうかと思って肩の力を抜いた時、目の前に音羽先生が現れた。
驚きのあまりお化けに遭遇したような声で叫んでしまった。
「わっ!?」
音羽先生は微笑みながら私の横に腰を下ろした。
「久しぶりだね。遅くなってしまって申し訳ない」
「び、びっくりしました……」
まだ心臓がバクバクしている。
「悪い悪い。驚かせる気は全くなかったんだ」
「ハッ、お茶!」
神様にお茶も出せないなんて、罰当たりだと慌ててお茶を用意するために立ち上がり、ばたばたと走り、台所へ向かった。そして、おたおたお茶を差し出すとすまないねと言って音羽先生はうっとりするほど綺麗な手つきで湯呑みを取った。
「あの、旭と縁さんはお元気ですか?」
「あぁ、旭はとても小さくなってしまったが、新しい神の器に移ることができた。器に馴染むまでには時間がかかりそうだけど、おそらく元気だ。問題ない」
「縁さんは……」
「縁は結びの宮の神をクビになった! 当たり前だな」
音羽先生は私の想像以上に軽く明るい口調で縁さんの話をしてくれる。
「クビ!? あ、当たり前なんでしょうか」
「お咎めなしとはならないだろ。罰として私の助手になった。毎日朝から晩まで私にこき使われているよ」
「ふふ、それはよかったです」
縁さんも元気そうでよかったな。
私もお茶を飲みながらホッと一息ついた。
「本当は縁も来たがっていたんだ。君と彼にしっかり謝罪をしたいとね。まぁ、私が仕事押し付けてきたんだが」
縁さんも大変だなあと思いを馳せていると今日は昔話をしに来たと音羽先生は私に微笑んだ。
「昔、話ですか?」
「……はじまりはね、偶然に偶然が重なったくらいだったんだと思うよ。学び舎を出た私は初の宮に入った。私の先生は神の器をつくった原始神だった。作り方を学ぶ分には苦労はなかったけれど、実際に作ってみるとこれがまた、難しい。何も作れなかったよ」
音羽先生はお手上げのような素振りで掌を私に見せてきた。
「音羽先生にもそんな時代が……」
「そりゃあるさ。それで不貞腐れて……まぁ、私も旭と同じだよ。人の子の街をふらふらしていたときに出会ったのが草薙小鳩という人の子の女だった」
「草薙?」
「そう、君の先祖だ」
「ごせんぞ、さま」
湯呑みを両手で包んで膝に置き、絵本を読み聞かせるように語る音羽先生の声に耳を澄ませた。
初の宮で器作りをしっかり学び、いざ自分で作り上げた器はどこか欠けていたり、歪んでいたりと散々だった。
飾らずに言うのであれば、ただただ美しくなかった。
作り直し、やり直し。
私の先生は何一つ器を作れない私に人の子の世でいろいろと見てきなさいと言った。
「嫌ですよ。時間の無駄だ」
「器も満足に作れない奴が時間を語るんじゃない。では、何か? 出来損ないのお前と話している私の時間も無駄ということでいいか?」
言い合いで勝てたことのない先生の説教から逃げるように初の宮を飛び出して人の世に降りたのだ。
「つまらん」
そう言いながらとある街を歩いていると市場が開かれていた。
興味のない物の羅列を流し見していると、器を並べる商店で勝手に足が止まった。
「見ない顔だね。お気に入りでもあったかい?」
「おじさん、目が言いね。私が見えるのか」
「なんだ、とんちかい?」
店主に声をかけられて、足を止める原因になったお猪口を手に取った。
「これ、人が作ったの?」
「人に決まってるだろう。さっきからおかしな奴だな。作者はえぇっと草薙小鳩」
「そいつ、どこにいる?」
「あいつは、あぁ確か山の中さ。俺も見たことはないんだが、山から出てこない変わり者で熊みたいな奴って話だ」
「これくれ」
「毎度」
お猪口をそのまま購入して店主が指さした山の方へ向かった。
道中、草薙小鳩の所在を聞くと皆が口を揃えて熊のような奴だ、近づかない方がいいと言った。しかし、同じく口を揃えて作品自体は高評価だった。
「熊みたいな奴がこんな器作れるはずねぇだろうが。節穴どもが」
そう、その器は神が作る器に似て、繊細でなめらか、曲線が美しく目を引くものだった。
だから私は足を止めざるを得なかった。私が目指さなくてはいけない器だったからだ。
小鳩の家について戸を叩いてもいっこうに誰も出てこなかった。
三日間、戸を定期的に叩き続けていると熊のような男が弓矢を片手に出て来た。
「何か用か?」
地を這うような低音。
こいつが草薙小鳩かと疑問に思った。名前も見た目も作品も何一つ噛み合っていない。
「お前の器を見た。素晴らしい出来だった。繊細な作り、滑らかさ、曲線、どれをとっても神の御業だ。どう作ったのか教えてほしい」
熊のような男は眉間に皺をよせ、こちらを睨み、帰れとだけ言って猟に出かけて行った。
ある時は釣りをしている傍ら、弓矢で鹿やうさぎを仕留めながら、背中に籠を背負いきのこや山菜を取っているのを追いかけながら器の作り方を教えてほしいと懇願し続けた。
「おい」
「ん? 教えてくれる気になったか?」
たけのこを掘りながら私に声がかかった。
「しつこいやつだな。ついてこい」
そう言って家の中に通され、敷地内の小屋に案内された。
熊のような男もとい、小鳩は小屋に向かって小鳩と自分の名を呼んだ。
随分、おかしな奴だ。
小屋から出て来たのはとても小柄な女だった。
「小鳩。もうこいつには敵わん。話だけでもきいてやれ」
背中を押されて小屋に入るとそこは器が並ぶ制作小屋だった。
「はー、これはまた」
並べられた作品をじっくり見ては自然と声が零れた。
「そんなに器が好きですか?」
「あぁ、好き? どうだろう何度も見たいと思う程度だな」
「それは好きということでは?」
「じゃあ、それでいい。私は小鳩が作る器が好きなんだ」
「面と向かって言われると……照れますね」
「なぜお前が照れる?」
返答がなく女をみるとぱちくりとその大きな水晶のような瞳で瞬きをしていた。
「なぜって、私が草薙小鳩ですから……」
「は?」
草薙小鳩は熊のような男ではなかった。
どちらかというと野兎のようだった。先程の熊のような男は兄だという。
「兄貴?」
もともと器職人だった父が早死にし、後を継いだのだという。
兄には器を作る才覚も気力もなく、もともと器づくりが好きだった小鳩が継いだ。しかし、女の器職人だと体面が悪く兄が全ての窓口になっているという。
「その、あなたに器の作り方を教えてほしいと兄が言ってしましたが……」
「そう、それはとても知りたい。でも、よくよく考えると突然やってきて教えを請いたい等、無礼だな。ふむ、どうすべきか」
「ふふ、兄がここまであなたを連れてきたのですから、あなたは悪い人ではなく、無礼でもありませんよ」
「人ではなく、神だがな」
「ふふ」
小さく笑う女だった。いや、全てが小さい女だった。声も口も手も体も。
住み込みで教えてくれることとなり、小鳩の隣でひたすら器を作ることとなった。
小鳩の隣で器を作りはじめてひとつきが過ぎた。
「音羽さん、とても上手になってきましたね」
「そうか?」
理想には程遠いがな。
「音羽さんは誰のため、何のために器を作っているんですか?」
「なんのため?」
正直、考えたことはなかった。
神が神を創るために器が必要だからくらいしか理由としてはないだろうな。
「必要だからだろうな」
「それは音羽さんにですか、それとも音羽さんではない誰かがでしょうか?」
言うなれば誰だろうか。
神は誰のために存在、しているのだろう。
「そういう小鳩は誰のために、何のために作っているんだ?」
「私は……そうですね。最初は父のため、兄のため、私のため、生きるためではありました。でも、ここ何年かは器は求める人のためにあるべきだと思うようになりました」
「求める人のため?」
「えぇ、私はこの器にたくさん愛を入れます。求める人の背中を押せるように。あなたなら大丈夫、あなたのちからになりたい」
誰にも言ったことなかったので恥ずかしいですねと笑った小鳩の言葉の意味は何一つさっぱり分からなかった。
しかし、いざ初の宮に戻り、誰のため、何のために作るのかを自分なりに考え神の器を作った結果、見たことのない美しい器が自分でも作れるようになった。嬉しく、誇らしく、小鳩にお礼をしようと再び訪れた。
「小鳩のおかげでとてもいい器が作れた。お礼にお前の願いを叶えよう」
「願い……そうですね。私の器を求める人に必ず出会えて、その人の願いが必ず叶うようにって、お願いでもいいですか?」
全てが小さい女だと思っていたのに彼女の願いはとても大きく、壮大で笑ってしまった。
この小さな体のどこにそんな願いを抱いていたのか。
「あぁ、承った」
私は小鳩の願いを叶えた。
その手で作る器が求める人に必ず出会い、その人の背中を押せるように。
願いを叶えた後、小鳩の髪と瞳がじわりじわりと赤く染まっていった。
音羽先生が語る過去回前編です。
後編は本日21時に!