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第34話 手の届く場所(後編)

こいの憂いは晴れるのか


第34話 手の届く場所(後編) 


 

 眠れないまま夜が明け、千歳さんが様子を見に来てくれた。静かな所作で大きい掌が額に当てられた。

「熱は下がったな」

「もう元気です」

「今日も寝ていたほうがいい。何もしなくていいから」

 何も、しなくていいなんて言わないで。

 必要ないって言われているようで体中が痛い。

「大丈夫です。私、お家の事できます」

 千歳さんの顔があまりよく見えない、焦点が合わないような気がする。

「無理する必要はない。そこにおかゆ置いておいたから」

「つ、作ってくださったんですか?」

「水で煮ただけ、だけど」

 顔色がよくないからもう少し寝ていてと再び布団に寝かされて掛け布団をかけなおしてくれた。

「弟に呼ばれて出るけど、すぐ戻るから」

「はい」

 再度当てられた掌が額から頬に流れて離れていく感触が感情の乱高下を助長する。

 

 部屋に一人、ぽつんとした。

 部屋の端に置かれたおかゆの入ったお茶碗とお茶が目に入る。

 するする滑るように近づいてまだ温かいおかゆを食べた。

「塩入れすぎ……」

 あまりにもしょっぱい。

 それでも、残すのはもったいなく、食べ終えて布団を畳んで着替えた。


 このお家にやってきた時と同じ着物を着て、あまり多くない私物を風呂敷で包んでトキからもらった襟巻を首に巻き付けた。

 千歳さんから頂いたものを部屋の隅に置いてお家を出て来た。

 街を一周するように歩き回って、道で会う人に会釈をして駅で切符を買った。

 まずはトキの病院に行って、今までの話をしよう。そして、先に私だけ家に戻って、掃除をしてトキの帰り待とう。今まで通り、これからもトキと一緒に生きていこう。

「そうしよう」

 汽車の時間まで売店に寄ってお茶とトキへのお土産を購入し、駅の待合室で時間を潰した。

 汽車が到着をしてすぐのあまり込み合っていない車内。ボックス席の窓側に入り、風呂敷を棚に持ち上げ、座席に座り発車を待った。

 

 発車間際でがやがやと車内が込み合ってきたと同時に発車ベルが鳴った。

 車窓を少し持ち上げて風を入れながら、ぼうっと車窓を眺める。伸びている爪を親指と人差し指で合わせカツカツこすっていると頭上から声がした。

「ここ、いいですか?」

「あ、はい」

 声に反射するように、返事をして足先を丸めさらに窓際に身体を添わせる。

 ここ、いいですかと聞いてきた乗客が自分の目の前に向かいあうように座り、足を組んだのが見えた。

 足がぶつからないように座り直すと話しかけられた。

「これから、どこに行くの?」

 聞き覚えのある声がして顔を上げると組んだ足に肘をついて私の目線を捕まえるように頬杖をついている千歳さんがいた。

 状況が理解できず硬直し、口が自然と開いた。

「あ……」

 何か言われるんじゃないかと身構えながら様子を窺っていても彼は何も話さなかった。いたたまれなくなって口を開いたのは私の方だった。

「どうして、ここに」

「俺が答えたら、こいがどこへ行くのか教えてくれる?」

 とっさに首を振ったのは私の最大限の強がりだった。

「そう」

 やっぱり千歳さんは何も聞いてこなかった。問い詰めることもない。


 車窓から景色を流し見ているとトンネルに入って真っ暗になった車窓に映った千歳さんと目が合った。

 目を先に逸らしたのは私の方で、左目だけ涙が出て来た。

 最初は一粒だけだったのに、次第にぽろぽろ涙が止まらなくなっていって、慌てて目尻を擦るとそれは白い大きな掌に阻まれてしまった。

「どうして泣くの?」

 彼は伺うように私の瞳を覗いてから未だに流れ続けている私の涙を拭ってくれた。

 そっけない態度をとっていたのは他でもない私。けれど、頬から離れていく彼の手を握ってすり寄ったのも、自分で首を絞めているのも私。何もかもが相反している自覚があって、目を閉じて深呼吸をして千歳さんの手を離した。 

 彼は私から弾かれた手をゆっくりと握るようにまるくして膝に置いた。


「ちとせさんにもう必要ないって言われるのが……怖くなって」

「……弟になにか言われた?」

 首を振った。

「ちとせさんの中にもうナマズはいなくなって、年が明けたら私はもうあの場所にいる必要も意味もなくなって」

 息を吸っているのか吐いているのかもわからない。

「聞いてる。弟とはそういう話で家に来たって」

「ぇ、はいそうです」

 会話が途切れた瞬間、ガタンガタンと汽車が大きく揺れ、私の身体を大きく揺らした。千歳さんは突然、私の腕を掴んで引き寄せ、真隣に座らせた。舌を噛みそうになった。

そして、ずしりと彼は寄りかかるように体重をかけてきた。

「あの」

「いつでも手の届く場所にいて……」

 潰されそうになり戸惑う私をよそに彼はぼそぼそ言った。

「……はい」

「必要ないなんてこれからも思うことは一生ないよ」

「?」

「こいがいてくれて、よかった。それしか思わない」

 体中の枷が外れて体が軽くなった。

 自分からあくまで、控えめに千歳さんに寄りかかってみる。喉が熱くなって、鼻にもツーンと刺激が走り、笑いながら泣けてくる。

 あなたはいつも、私の欲しい言葉をくれる。もう心の声は聞こえていないはずなのに。



 はじめて汽車に乗ったという千歳さんは何を見てもじっくりと眺めていた。

 そのため目的地のトキの病院に着くまでだいぶ時間掛かってしまった。立ち止まってしまった時はこっちですよと手を引いてようやく病室に辿り着いた。

「トキ!」

「あら」

 トキが私と千歳さんを交互に見て少しだけ驚いたように肩を震わせ、胸を押さえていた。

「はじめまして」

「あら、花宮さん……ではないわね」

 やっぱり、トキが見ても花宮さんと千歳さんは似てるんだ。私は全然気付かなかったけれど。

「トキ、花宮さんのえっと」

 もう言っても問題ないのかな。

「兄の千歳です」

「あら、お兄さん? やっぱり似ていると思った。それで、今日は二人でどうしたのです?」

「ひとつお願いがあって」

 今までの事を話そうと思っていた私を遮り、千歳さんが一歩前に出た。

 私はぎょっとして彼を見上げた。

 お願い!? そんなのあったかな。

「お願いですか?」

「もう少し、彼女を預かれないですか?」

 汽車の中での言葉を改めて実感して、両手を握りこんでしまう。

 いつでも手の届くところにいさせてもらえるんだ……。

「……認めません」

 認められないなんて言葉が出てくることを想定していない私は反射でトキを呼んでしまった。

「トキ!」

「お嬢様は大事な大事な英作坊ちゃんから託された宝物です。お嬢様のお気持ちを聞いてませんので」

 トキも千歳さんも私を急かすことなく待ってくれる。

 思っていることを口に出すのって難しいな。

 頭で思っていても口が思うように動かない。

「わ、わた、私も……もうすこし、あのお家にいたいなって、思っていて、それで」

 着物を握りながら自分の意思を伝えるとトキは口元を押さえて笑っていた。

「ふふふ、実はこういうのちょっとやってみたかったんです」

「えぇ……」

 トキが私と千歳さんを手招いて両手を指し出してきた。片手を私が握って、もう片手に千歳さんが手を重ねた。まず、私とつないだ手を握ってくれる。

「お嬢様が自分から何かをしたいと聞く日をずっと待っていました。トキと暮らし始めてからわがままを言わなくなってしまったので……トキはもう少し温かくなったら家に帰れるそうです。もし、何か辛いことがあれば帰ってきてくださいね」

「うん」

 トキは千歳さんの手を握り、話し出す。

「千歳さん。お嬢様のこと、くれぐれもよろしくお願いしますね」

 千歳さんは頷くように頭を下げた。



 病院を出て、再び汽車に乗って帰ってきた頃には日は暮れていて夜風がだいぶ体に染みる。

 お家の前で明かりがついていることに気が付いた。

「あれ、灯りつけてきました?」

「いや」

 首を振る千歳さんを見て、おかしいですねと言いながら玄関を開けると仁王立ちした花宮さんが立っていた。

「どぇ!? は、花宮さん!?」

 驚きのあまり千歳さんの後ろに隠れてしまった。

「月彦、ただいま」

「何勝手に出かけてるの?」

「あぁ、悪い」

「兄さんは経過観察するから出歩かないように約束したよね?」

 千歳さんは今朝の話かと思い出したように呟いた。

「こいちゃんもまだまだ本調子じゃないよね?」

「すみません……」

 花宮さんは眉を吊り上げ、目と口を尖らせて怒っていた。

「今日から数日。いや、君たち二人が治るまでここに僕も泊まる。兄さんの横で寝るからね」

「いや一人で」

「寝るから。こいちゃん、おやすみ!」

 千歳さんは背中を強引に押され自室に戻っていった。

「おやすみなさい!」

 二人の背中を見送って私も部屋に戻った。


誰かのためには全力で動けるのに自分のためには消極的なこいちゃんの姿と他でもない彼女のためなら動く千歳くんの姿を見ているとお似合いだなぁと思います。


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