第32話 ナマズの縁
旭と縁
第32話 ナマズの縁
はじめて学び舎で縁を見た時のことを鮮明に覚えている。
根拠は何一つなく、神になるために生まれてきたのだと直感した。
それと同時に不思議とようやく出会えたと勝手に口から零れ出た。
一緒に学び、話すようになって顔、佇まい、声、公平で平等な考え、どこか近寄りがたい雰囲気は俺の不思議な直感をさらに肯定した。
「なんだね、縁くん」
学び舎の定期試験中に突然、縁が挙手をした。
「すみません。器の不具合かと」
淡々と申告をして縁は離席をした。
器の不具合はよくあること、周辺の神は見向きもしなかったが、俺は何故か放っておけずに後を追いかけてしまった。
「整えの間じゃない」
不具合の場合は初の宮の神が常駐している整えの間に行くはずなのに、縁は学び舎内の音羽先生の執務室に入って行った。
扉の隙間からこっそり覗き込むと、縁の目から止めどなく水が流れていた。
器の不具合?
たまに足が動かなくなったり、声が出せなくなった神を見たことがあった。
目から水は聞いたことも見たこともなかったけれど、不具合なら仕方ないと試験場に戻ろうとすると音羽先生の声がした。
「縁、難しいことは分かっているが、それを制御しないとナマズとして処理されるぞ?」
「はい、わかってます。でも止まらなくて」
「まぁ、勝手に出てくるものを泣くなとは言えないよな」
もう一度、扉の隙間から覗いた、
ナマズって何だろう。縁はナマズっていうものなのだろうか。
「泣く?」
目から水を流すことは泣くというらしい。
なんの不具合かわからないけれど、泣いている縁はとても綺麗だった。
泣いている姿を見ていたいような、もう見たくないような思考に頭部が痛くなった。
「俺のこの思考も痛みも不具合だ。今度先生に診てもらおう」
逃げるようにその場を離れて何事もなかったかのように試験場に戻った。
この日から少し経ち、四ツの宮の見学の日に初の宮でナマズを消し去った音羽先生を見てしまった。
腰を抜かしたまま音羽先生に何をしたのかと問いかけた。
「ナマズってのはさ。感情を持って生まれてしまった神のことだよ」
「よすがだ」
とっさに口から零れ落ちてしまった名を音羽先生は聞き逃さなかった。
「なんだ、知っていたのか」
「今、しった」
縁も同じように俺の器にこびりつくような音を出しながら消されてしまうのだろうか。
何があってもそれは許されないと俺の直感が意思を持った。
「縁はどうなるの?」
「縁自身、自分の感情に振り回されることがなければ何も問題ないさ」
「俺に出来ることあるの?」
「学び舎にいる間は旭が縁を見張ってくれないか。学び舎を出たら……私と一緒に解決策を探す。それでどうだろう」
「先生でも解決策は見つかっていないの?」
「あぁ、私でも見つからない」
「やるよ」
「もう引き下がれないよ」
「うん」
深く、深く頷いてその日から縁を見張る事に徹した。
いつでも近くにいて、少しでも変わったことや気づいたことがあれば音羽先生に相談した。
近くにいると以前よりもたくさん話すようになり、縁からも話をしてくれる回数が増えていった。
学び舎での時間が少なくなってきたある日に縁はこの先やりたいことを教えてくれた。
「学び舎を出た後、旭はどの宮にいくのですか?」
「あー俺は……特に希望はないな」
「もったいない。成績も悪くないはずでしょう。私と力の量も大差ないはずです」
「強いていうなら初の宮?」
「なぜ疑問のように言うのですか」
「そういう縁は?」
「わ、私ですか……」
成績優秀神は導きの宮にいくものだと思って話を聞いていると、結びの宮に行きたいと縁はごにょごにょと呟いた。
「結びの宮?」
「はい……人の子は縁で良くも悪くもなるといいます。私の行いで人の子が幸せになれるのなら、たくさん良縁を結びたいなと思うのです」
「あぁ……あってると思う」
まただ、俺の器のどこかで納得している声がした。
「そ、そうですか。旭にそう言われると自信が付きます」
気恥ずかしそうにする縁にお前なら出来ると念を押したのは俺だったのか俺の器の声だったのかわからない。
学び舎を出てから音羽先生の弟子となり、初の宮の役割と並行してナマズの研究を始めた。
縁の活躍は音羽先生を通して聞かされ、最初は活躍を願っていたものの、次第にナマズの研究を急がないといけないと追い詰められるようになっていった。
「縁が狂ってしまうのが明日かもしれない、明後日かもしれない」
そうした焦りと隣り合わせになって、人の子に器を依頼してしまった。
縁は身体がもう半分も残っていない俺を抱きしめて泣いていた。
「これが俺の話だよ」
「私にはそんな価値」
「……ある、あるよ。縁には神になってもらわないといけない。俺が絶対お前をナマズなんて言わせない神にする。俺の理想が消されちゃ、俺もいないも同然なんだ」
「それでも、私は」
縁は涙で言葉を詰まらせながらあなたが消えることを私が望んでいるはずがないと唇を噛んでいた。俺もまた、目から水が止まらなかった。
「これ以上、崩れないでくれ……消えたら許さない」
「許さないか……神に許さないって言われるの、それ、いいね」
「この状況でへらへらと」
「間近で見てみたかったんだよ。お前が泣くの」
また、一か所自分の身体の一部が崩れた感覚があった。
自分の水も縁の水も拭うことができない。
「旭! 縁!」
走り寄ってきた音羽先生は勢いよく俺と縁を順番に見て、泣きながら笑っていた。
「話したいことはたくさんあるが……今は出来ることをやろう。縁」
「はい……」
「今から言うことを滞りなく行ってくれ」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔で縁が音羽先生に頷いた。
「まず、旭の中身をあますところなく全て玉に換え、消失しないように結びの力で縁と旭の縁を繋ぎなさい。それから私の研究室に行きなさい。話はあとだ。急いでくれ」
縁は急かされるように返事をして、俺の身体の残りを抱き上げながら立ちあがったのだった。
それからすぐ縁の声が聞こえなくなって俺の意識は途切れ、温かさだけを感じていた。
旭と縁の因縁までたどり着くことが出来て個人的に嬉しいです!
さて、一件落着と、いけるのでしょうか。