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第30話 器の出来栄え(後編)

こいは千歳を取り戻しに沼の底へ


第30話 器の出来栄え(後編)


 

 再び目を開けると大きな沼の前だった。

「どこの沼?」

「どこかの沼だよ」

 沼以外の選択肢がない風景を見渡して深呼吸をした。

「……もしかして、沼の底って」

「そのまま沼に入って」

 私が泳げないなどと、悩んでいる時間はない。

「私、泳げないけど、行くね! 飛び込めばいいの?」

「勢いが大事」

「いく!」

 もうすでに息を止めはじめると旭がくつくつ笑っていた。

「別に息は止めなくていいんだよ? そもそも泳げなくて全然問題ないってば」

「集中してるから、黙ってて」

 助走をつけて沼に飛び込んだ。

 片手で鼻を摘まんでもう片手で旭を握りこんだ。

 息が苦しくなって呼吸をすると水中にもかかわらず問題なく呼吸が出来てしまった。

 

 その後はただただ身を任せて沈んでいった。

 水面の光が小さくなっていくのを不思議な感覚で見つめていると沼の底に辿り着いた。

 呼吸もできるし、水の気配もないし、地面に足がついていた。

「どういうこと?」

 首を傾げる私に旭はこのまま、まっすぐとだけ言った。

 その先にはさらに下へ続く階段があっておずおず壁づたいに降りていった。

「壁、冷たいね」

「日の光も通らない沼の底だからね」

 自分の足音にびくびくしながら旭を握り、この扉だよと言われるまで足を止めなかった。

 重い扉を自身の全体重を使って開くと、あっと声が零れてしまった。


 目の前には2つの金魚鉢のような水槽があった。

 廃棄の間で見たものよりもだいぶ大きいものだった。

 その中には千歳さんともう一人。ふわふわと水の中で浮いている。誰も触れることは許されな。それは空気さえも例外ではない。


「千歳さん!」


 水槽を叩いてみても壊れそうになく、鈍い音がするだけだった。起きてくださいと声をかけてもきっと届いてはくれない。

「どうしよう。ねぇ、旭」

「となりの、あれは俺の……」

 旭はそれだけを繰り返し呟いている。旭はもう一つの水槽の事を言っているようだった。

「もしかして」

 これ、旭なの? と聞いた私の言葉を遮ったのはいつからか隣にいた縁さんだった。

「随分、久しぶりですね」

「縁……」

 硬直する私をよそに縁さんは旭と会話するために私の首飾りの高さに合わせるように屈んだ。

「真っ赤な人の子なんかの甘言にのせられたのがいけないんです」

「これはどういうこと」

「これとは、どれのことですか?」

 縁さんは何も思い当たることがないような素振りで頬に指を添えて微笑んだ。

「なんで千歳に俺の作ったものを入れた?」

「なにか問題がありました?」

「それにあれは俺の……」

 旭の言葉のどれかが縁さんの気に障ったのか急に空気が凍りついた。

 

 縁さんの指先がゆっくり近づいてくると、いとも簡単に首飾りの紐をちぎられた。

 縁さんは首飾りを私の首から抜きとって、目の前でそれを揺らしはじめた。

「旭が真っ赤な人の子なんて構うから、こうなったんです。あなたは器から離れるべきじゃなかった。ろくでもないものをつくる必要はなかった。あなたの器は……(わたしたち)とは違う、人の子の器だったんですよ!?」

 縁さんが声を荒げて旭に言った。

 表情は怒っているようにも見えたし、哀しんでいるようにも見えた。

「何の話だよ」

「よく見なさい」

 首飾りを千歳さんではない方の水槽に近づけて、押し当てるように見せている。

「中身のない人の子の肉は、腐っていくんです」

 目を凝らしてみると指先の部分が黒く腐っているように見えた。今この瞬間にも崩れそうな部位がいくつもあるのが見えた。

「この水槽に入れておかないと崩れてしまうかもしれない。器があとかたもなくなったら、あなたは消えてなくなってしまう」

「まって、神の器はなくならない。俺は音羽先生から腐りも崩れもしないって教えてもらって……それは縁より俺の方が詳しいよ」

「だから、あなたの器は人の子の器だと言ったでしょう」

「そんなことないって、あるわけないじゃん」

 慌てる旭がまともに縁さんの話を受け入れようとはしなかった。

 その様子に縁さんがため息をついて、今度は千歳さんの水槽前に移動してこんこんと水槽を裏手で叩いた。

「だから、彼をあなたの新しい器として……」

「待って」

 私と旭の声が重なった。縁さんは心底嫌そうな顔をして私を見た。

「それはだめ」

「俺もそんなの望んでない。そもそも、ただの人の子が俺の器になれるはずないだろ」

 縁さんは私と旭を黙らせるように大声で苛立ちを孕ませあーあと声を上げた。

「私がただの人の子を、あなたの器にさせるわけないでしょう。(わたし)の声が聞こえて、あなたの作ったナマズの力に耐えられた器だから、ここに連れて来たに決まっているでしょう。何も、彼だけじゃない。もっと他にも器の候補はいたんです」

 とは言え、崩れず壊れず身体が残ったのは彼だけでしたがと付け加えられてぞっとした。

 千歳さんはバケモノじゃない、試されていただけだった。

 

「もういいでしょう」

 縁さんは綺麗な形の唇で何かを唱えると首飾りの鏡の部分に片手をねじ込み、みちみちと植物の根を切るような音を響かせ、白い玉を取り出した。

 それを千歳さんの水槽に投げ入れるとそのまま彼の身体に吸い寄せられていった。

 目の前で眺めている私は何が起こっているのかを理解するまでに時間を要した。


 旭の中身を千歳さんの中に入れたのだと理解した時、水槽の中の千歳さんの身体が突然暴れはじめた。

 耳を通り越して頭を裂くような叫び声が水槽にひびを入れ、音を立てて割り、旭の身体が入っている水槽までも割ってしまった。泣いているようにも怒っているようにも、はたまた笑っているようにも聞こえる叫び声の中、白い玉が千歳さんの身体からはじき出された。

 飛び出した白い玉は自分の身体を探し求めるように宙をかけ、旭の器に吸い込まれていった。 

 本来の器に戻った旭が咳き込みながら私を呼んだ。

「こい! 千歳を迎えにいって、まだ間に合う」

 腰も抜けて、足に力も入らなくて、ただ水が目から大量に流れていた。

 旭が何を言っているのかわからなかった。何も出来ることがなくて、何をすればいいのかもわからない、どうして私はここにいるんだっけ、こいって誰の事、力になりたいなんて口だけで、何をすれば正解なのだろう。

 今も旭が何かを叫んでいて、手も足も震えが止まらない。指先が冷たい。


 その時、目の前にひらひら落ちてきたのは一枚の薄桃色の花びらだった。

 私の手の甲に落ちてきたそれは皮膚から脳へ、ちりっとした痛みを伴わせ、体中へ電撃を走らせる。

 春の日、私の前髪を切った彼の顔。

 雨の日、傘に入れてくれた時の横顔。

 夏の日、麦わら帽子を被せ、夏祭りで私の手を握ってくれた大きな手。

 秋の夕暮れ時に焚火をしたこと。食べ方が綺麗で大食いな彼。隣でお茶を飲んでいた彼。隣で寝ることに目を細めた彼。

『こいに生きていてほしかったんじゃない?』

 私を救う愛おしい声がした。

『こい』

 それは私の名前。

「……迎えにいかない理由が一つも見つからない」

 何も出来ることがなくても、何をしたらいいのかわからなくてもいい。

「それでも……」

 それでも進まないといつも差し出してもらっていた手を今度は私が差し伸べたいから。

 どう迎えに行けばいいのかわからないけど、あの中に千歳さんがいるなら行かなきゃいけないと意識のない彼に駆け寄った。

 千歳さんの心臓から真っ白な光の粒を寄せ集めたような桜の木が生えていた。

 光の木に触れると触れた指先から溶けていく感覚がした。



次回、こいは千歳を取り戻すことができるのでしょうか?

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