第29話 器の出来栄え(前編)
束の間のこいと千歳の時間と査定の時間
第29話 器の出来栄え(前編)
旭は話し終えると疲れたと言って何も話さなくなってしまった。
「つまり……」
こんがらがっている私を見かねて千歳さんが近くにあった紙と鉛筆を使い図解をしてくれた。
その場では理解したと思っていたのに、夕食後、寝るために布団に入ったところで再びわからなくなってしまった。
「音羽先生が沼の底に行けって言ったのは……千歳さんの中にあるナマズはもともと旭の身体の中にあったナマズズだから……力のない旭のために鏡の首飾りの中の旭を戻してあげないといけないのもわかった。でも、旭が封じ込めたナマズを取り出した縁さんは何がしたかったんだろう」
状況整理して寝るはずが返って目が冴えてしまった。
「一旦、お茶でも飲もうかな」
寝ることを諦めて台所でお湯を沸かし始めた。
ゆらゆらと揺れている火を眺めながら、難しいなぁ。
「うーん」
やかんから沸騰を知らせる湯気が勢いよく吹き出したのを見て火を消した。
急須にお湯を入れているとぎいっと床が鳴り、千歳さんが顔を出した。
「寝ないの?」
「眠れなくなってしまって」
「そう……」
「お茶、淹れましょうか?」
「頂こうかな」
湯呑みを手渡しながら千歳さんも眠れないんですかと聞けば、湯飲みに口をつけ、くぴっとお茶を口に含んで首を横に振っていた。
「俺は……眠れない、じゃなくて眠らない」
「寝ないと体に毒ですよ?」
猫舌のため湯呑みにふうっと息を吹きかけ冷ましていると横で千歳さんは静かに息をついていた。
「身体には毒であっても寝て、次に目が覚めなかったら怖いなって」
立っているのも目を開いているのもやっとという音羽先生の言葉を思い出しお茶を冷ますのを中断した。
「……きっと目覚めますよ。明日も明後日も大丈夫。もし一人で寝るのが怖くてたまらないなら、私が隣で寝ましょうか? 私も寝るのが怖い夜はトキと手を繋いで寝たり、なにより……そうですね。心強いと思いませんか?」
私の勢いに反し、おとずれた沈黙。
冷静になってしまえば顔を覆いたくなる程恥ずかしくなってきた。
ぎこちなく顔を上げれば目を丸くしている千歳さんがいた。
「あ」
冗談ですと言う前に湯飲みを両手で握りこんだ千歳さんが片目を細めた。
「それは、嬉しいな」
はくはくと口を開閉しながら高速で何度か頷いた。
「じゃ、えっと枕と布団、持っていきますから!」
「うん」
満足そうに口角を上げてくれる千歳さんに私の方が嬉しくなってぱたぱたと台所を後にしようとした時だった。
ゴロン。
急須と湯呑みが床に落ち、転がった。
「え」
振り返った先には千歳さんが倒れていて慌てて駆け寄った。
抱き起してどこか打ってませんか、大丈夫ですか、と声をかけても彼からの返答は一切ない。
代わりに返ってきたのは聞いたことのない声だった。
「随分、しぶといな人の子」
その声を聞いてすぐ金縛りにあっているような感覚になった。
一音一音、蛇口から垂れる水滴の音のように耳に残る。
根拠はない。けれど、隣にいるのが話に何回も出て来た縁さんだと頭が先に理解した。
ぐったりとしている千歳さんが私の胸からずりずり滑っていく。
「あと少しってところかな」
「あとすこしって、なに」
舌がもつれてしまう。
「彼はもうすぐ、完璧な器になります」
「と、せさんは、器には、なりません」
「いいえ、彼を立派な器にするためにナマズをいれました。もうすぐ記憶も意思も何もかもがなくなります。早くあけわたせばいいものを」
「なら、ない」
「あなたが何を仰ろうとも、構いません」
縁さんが私と目線を無理やり合わせるように膝を折った。
女性にも男性にも見える綺麗な顔と吸い込まれそうになる形のいい唇が喋る度に妖しく歪む。
「あぁ、やっぱり、真っ赤な人の子は大嫌いです」
尖って刺さる刃物のような声が喉に刺さった。喉に穴が開いて空気だけ抜けている感じがした。
「彼の最期を見届けたいなら、旭を連れて沼の底へ来てください。待ってますから」
「ぬま……」
「旭に言えばわかります」
気づけば目の前から縁さんも千歳さんもいなくなっていて、空が白んでいた。
「夢、かな……」
足先と指先がじわっと痺れている。
指先から体が動くのを確認して抜け殻のような体に鞭打って立ち上がった。
「いない!」
「ここにも」
「いない」
お家の中の全ての部屋と戸、襖を開いた。お家の外の納屋の中も見にいった。
「千歳さん!」
お家の中のどこにも彼はいなかった。
顔をぺたぺた触り、つねりながら夢じゃないんだと呟きながら自室の端にいる赤いクマのぬいぐるみを叩いて、ぐにぐに引っ張って、振り回しながら声をかけた。
「旭! あさひあさひ! 起きて!」
声をかけ続けるとようやく起きたようで暢気におはようと挨拶をしてきた。
「おはようじゃない! 連れていかれちゃった」
「連れてかれた?」
「縁さん!」
「よすが!?」
旭の声が大きくて耳がキーンとして、やまびこのように脳に響いた。
「そう沼の底に旭を連れてこいって」
「縁が沼の底を知ってる?」
「沼の底ってどうやっていくの?」
「鳥居に行って」
「鳥居……」
私は音羽先生に会いに行った日に盛大に酔ったことを思い出しながらも頬を叩いて頭の中から取り払った。
「沼の底はまだ近い方だからあまり揺れないよ」
「い、い行くしかない!」
思考に余白が少しでもできると急降下、急上昇、急旋回を思い出して胃を押さえたが、そんなことはもうどうにでもなれと旭を首にぶら下げ、お家を飛び出した。
花宮神社の急な石段を一段飛ばしで跳ねるように登りきると、奥のほうに花宮さんが見えた。私を見て駆け寄ってきてくれた彼にいってきますと大きく手を振った瞬間、目の前で光がはじけて目を瞑った。
動き出した縁さん
いよいよ終盤に入っていきます。