第28話 空論(後編)
旭の机上の空論の結末とは
第28話 空論(後編)
「本当に喜怒哀楽を持っているんだなぁ」
降り立った人の子の世界は泣いたり怒ったり、笑ったり悲しんだりと大忙しだった。
馴染みのない表情にたくさん出会った。
神の世ではまず、見ることのできない表情ばかりだ。
いろんな街を練り歩いていると俺が見えない人の子が大半だった。その中で俺を見える人に話しかけた。
ある街の片隅でこそこそと話をする人の子を見つけて側に寄った。
何か面白い話かなぁ。
「なぁ、神様みたいになんでも願いを叶えてくれる一族の話、知ってるか? 赤髪の器職人だよ」
神の力を持った人の子なんているわけがないと思いながら話を聞いていると願いが叶う器を作る職人がいるという話だった。
人の子が神を語るなんてと思いながら噂を確かめにまた各地を歩いてみた。けれど、話に聞いた人の子を見つけることが出来なかった。
「横着だと音羽先生に怒られるかもな」
上空から千里眼で覗いてみた。
「赤髪の器職人……」
山の奥にひっそりとたてられた家の中に姿を見つけた。
「神を語るわりに質素な家。髪が赤いだけで、あまり派手な人柄でもなさそうだな。」
上空から目的の家までひと思いに飛んでいった。
するりと家の中を通り抜け、赤髪の器職人の背後に立った。
広い背中を眺めていると振り向きもせずに声をかけてきた。
「人の世に何か御用です? 人ならざる御方」
「よくわかったね」
「うちの家系はなんでも見えますからね」
「へぇ、すごいね。じゃあ、ひとつ。なんでも願いを叶えてくれるって本当?」
「それは買いかぶりがすぎますな」
振り返らない赤髪の男に近づいてそろりと手元を覗いた。
節ばった無骨な手を器用に器の表面に滑らせている。
あたりを見まわしてみると棚に置かれている完成した器が目に入り、自然と眉間に皺が寄った。
「ふうん、見事なものだね」
器の中に俺たちに似た力がわずかに入ってるな。
この男からはそんな力を感じないけど、どこからだ。
「それで? どんな願いでも叶えてくれるの?」
「その人次第な部分もありますがねぇ」
彼は草薙鷹通という名前だと3回訪れてようやく教えてくれた。5回通うと好きな食べ物を教えてくれた。好き食べ物を持参し10回目にようやく会話をしてくれるようになった。
「それで神様は私に何かご依頼ですか?」
正直これと言って何かをしたいわけではなく、ただの興味本位で通っただけだった。
何かを依頼する気はさらさらなかったが、今この瞬間に一つ思いついたことがあった。
「神の器を作ってくれない?」
「神の、器?」
「そう」
「どのような神の器ですか?」
「どのようなって、神は神だよ。それ以上も以下もないよ」
「抽象的すぎる依頼は受けられませんな」
「じゃあ、鷹通の思う神にしてよ」
「……なるほど」
鷹通が神の器を作ってくれるなら疑似的なナマズの研究を隠れて出来ることを思いついたのだった。
神の器は初の宮の器の間でしか作ることができない。だからこそ、初の宮以外で研究することを考えなかっただけに好都合だ。
じっくりと頭を悩ませた鷹通は承りましたと了承した。
「5年後、取りに来てください」
「うん、またくるね」
人の子の5年なんて寝て起きたらすぐのようなもので意気揚々、鷹通の家に向かった。
あの日と変わらず器を作り続けている鷹通の背中に声をかけた。
少し白髪が増えたな。
「久しぶり、受け取りに来たよ」
「出来てますよ。今準備をします」
器づくりをキリのいいところで中断させた鷹道は目の前に器を丁寧に並べた。
「わぁ、これが鷹通の作る神の器かあ」
俺が手に取ろうとすると鷹通は手で器を隠した。
「え、なに?」
「この器の代わりに」
「あぁ、報酬? 何が欲しいの?」
いいよ、何でも言ってよと胸を叩いた後すぐ扉の外からお父さん! と声がした。
何度も何度も聞こえて鷹通が扉を開けて外に出た。
彼は赤髪の幼子を抱えて戻ってきた。
「これは私の倅です。この子の子供の子供。私の孫の孫くらいまで何事もなく幸せに暮らせるようにあなたのお力添えを頂きたい」
「あぁ、守り神になってほしいってこと? まぁ、いいけどね。鷹通、鏡持ってる?」
鷹通は棚から鏡の首飾りを取り出して差し出してきた。
「この子のお守りになるように作っていたものです」
「俺の半分をこの中に入れるよ」
「いれる?」
「不満? 百年経ったら俺が俺を迎えに来るからさ、その時返してよ」
「はぁ、左様で」
「心配しなくてもそれまではちゃんと守り神やるってば」
きょとりとしていた鷹通を横目に自分の力の半分を流し入れ、首飾りを手渡した。
交換する様に鷹通は器を改めて俺の近くに置いた。
「まず、ご説明を。私の神様の器とは、愛を受け入れ、与えるものと考えて作りました」
知らない言葉ではない。ただ、学び舎では慈しみや愛はただの学問、実感として伴わないもので感覚がわからない。
「愛ねぇ。わからないなぁ」
「いずれわかると思いますよ」
「ふーん」
鷹通が息子の頭を撫でながら微笑んでいた。俺は首を傾げるだけだった。
「さてと」
神の世では実験出来ないし、人の子の地上でも実験は出来ないから沼の奥底に簡易的な研究室を作った。
初の宮で使用されていた廃棄用の実験道具を隠れて持ち出した。
「やりますか」
鷹通の作った神の器の中に神の力、知恵、善悪の天秤を入れた。
「あとは……」
さらに初の宮に保管されている理の宮から提供された感情分子を持ち出してきたのだった。
無色透明なそれを少量ずつ器の中へ入れていく。
様子を見ながら少量入れて、記録をつけ、様子を見ての繰り返しだった。
「形状、色ともに異常なし。少量なら影響はないのか。暴走しそうな気配もないし」
さらに感情の量を増やしてみようと手持ちの感情分子がなくなった。
もう少し、初の宮でもらってくるか。
一度初の宮に戻り、もう一度沼の底に戻った時だった。
「なにこれ」
神の器が今にもはち切れそうな風船のように膨らんでいた。
人の子が4、5人集まっているくらいの大きさでぶるぶると震え、暴れていた。
「ん?」
目を凝らすと見慣れた3つの力の色のほかに見覚えのない淡い赤の光が3つの力を呑み込むほど膨れ上がっているのが見えた。
感情は無色透明で指一本分以下程しか入れていない。
これがナマズの器で起こることと同様なのだろうか。
震えている器は次第に研究室内の空気を揺らし始め、地面をも揺らしはじめた。
「地震か?」
壁に床に亀裂が入った。器にもヒビが入った瞬間だった。
音羽先生がナマズの力を吸い出した時と同じような音を出しはじめた。どんどんと突き上げるような衝撃が強くなっていく。これ以上は人の子の大地にも影響が出るかもしれない。
「まずい」
意思よりも俺の中の神の力が先んじて動いた。
指が勝手に空を切り、暴れている神の器を圧縮し始めた。
ぎちぎちと耳障りな音を響かせながら片手で掴めるくらいの大きさにしたところで俺の器はそれを丸呑みした。
「う゛っ」
ナマズを吞み込み、突然、身動きが取れなくなった。足元から石のように固まっていき、膝を地面につけた。
自身の器の中にある何もかもが吸われている感覚があった。
空っぽになっていく感覚と合わせ、力が抜けていく。
「あーそっか、俺の力の半分は鷹通のところにあるから力が足りないのか」
何時間か経った後、音羽先生がやってきた。
「馬鹿弟子、お前の中のナマズが一旦お前の力を取り込んで飽和するまで動けないからな。じっくり静かに反省しろ」
「……はーい」
眠るように目を閉じるとそこで意識がぶつりと切れてしまった。
次回はいよいよ縁さんと対面します!
※本日19時に先に後編をアップしてしまいました。
話数が前後してしまい、申し訳ありません。