第26話 初の宮
神が神を創る場所へ
第26話 初の宮
音羽先生が私と千歳さんを瞳の中に入れて研究室を出た。
立派な小屋に入ると真っ白な牛が私たちを出迎えた。
「待たせてすまない、学び舎と導きの宮、結びの宮、理の宮をまわり、初の宮に向かってくれ」
音羽先生は牛に指示を出した。その言葉を理解しているように牛は頷いた。
「じゃあ、行こうか」
音羽先生は飛び乗るように牛に跨った。
「モオオ――」
次の瞬間、ふわりと上へ上へ牛が浮かんでいった。そして、すいすい前へ進みはじめた。
口をぽかんと開けたままでいると、音羽先生の視界の先には見たことのないくらい大きく立派な朱色の鳥居が待ち構えていた。
「あの鳥居の中は神の世界の中枢区域だ」
鳥居をくぐり、真っ先に見えてきたのは石造りの博物館のような立派な建物だった。
「あれは学び舎。神が神としての働きが出来るように教育を施す場所。君たち人の子で言う学校が近いな」
「学校……」
「ここで学び終えた神は大きく四ツの宮へ配置されることになっているんだ」
「四ツの宮?」
学び舎を抜けた先に大きな楼門と屋根には立派な千木が飾られた真っ赤な社殿が見えてくる。
「あれは導きの宮。迷える人の子を導き、救い、開運を手助けする神の集まる場所だな」
「音羽先生、あれはなんですか?」
「ん?」
少し先から何かがこちらに向かってきているような気がした。
犬よりも大きく、渦を巻いている毛並みに大きい口がとても特徴的だった。
見たことがあるような、ないような。
「あぁ、狛犬か? 導きの宮の見回りをしているんだよ」
狛犬って神社の入り口の左右にいる動物のことかな。
狛犬は音羽先生に近づいてすんすん匂いを嗅いだ。
「よしよし、見回りご苦労さま」
音羽先生は狛犬をひと撫ですると持ち場へおかえりと声をかけた。
狛犬は大人しく頷いて戻っていった。
さらに先に進むと、門帳たなびく社殿が見えてくる。
どこからか花びらが舞っていて、その中に様々な色の糸を編んで作られた注連縄を巻いた兎がふよふよ浮かんでいた。
「あれは結びの宮。人の子の縁結び、縁切り、安産祈願、縁に結び付くもの全てをとりしきっている神の集まる場所だな。あの兎は狛犬と違って見回りではなく、結びの宮に入ってくるはずの縁をしっかり誘導しているそうだよ。私にはただ浮いているようにしか見えないがな、ははは」
結びの宮を超えてすぐ垂れ絹のような幕をくぐるとそこは夜だった。
と思ったら朝になって、晴天が雨になって、雪になって、曇り、夕焼けになった。
「あれ、いま」
「驚いた? ここは安定しないものを安定させる理の宮」
目の前には天に伸びる櫓のようなものが見えてくる。
「櫓の中に大きな天秤があって、人の子の喜怒哀楽の感情の量が一定になるように管理されている」
「管理……ですか」
「そう、人の子の世はね。幸と不幸が同じ量でないといけないって理を守ってる。そのために天災や飢餓、疫病を起こしたりもするんだ。逆もあるよ。発生してしまった天災や飢餓、疫病を止めたりね」
そういうもの、なのかな。
機械的な仕組みに驚いてしまう。
「とはいえ、神基準での幸不幸の管理だから人の子からすれば均等なんかじゃないって言われても仕方ないものではあるね」
音羽先生の乗っている牛の左右真横に狼が二頭やってきた。
「理の宮は道に迷いやすいからね。狼が宮を守り、迷った神を誘導してくれるんだ。ご苦労様、ここまででいいよ」
随分、頭のいい狼さんだ。
音羽先生の声に狼は頭を下げて戻っていった。
再度、垂れ絹をくぐり理の宮を抜けた。その先には病院に似ている真っ白な建物が見えてきた。
牛がゆっくりと地上へ下りて行った。
「あの白いのが初の宮。私たちの目的地だ。ここは神を作ったり、神の不具合を調整、研究したりする場所。そこの責任者が私だ」
牛から降りた音羽先生は足を止めることなく、話しながら進んで行く。
「人の理とは違い、神は神を産めない。だからここで創り出している」
「神様って創れるんですね」
「そう。神に寿命はないけど、力を使い切ると消えてなってしまうからね。その補填は必要だろ?」
音羽先生は個室の多い病棟のような場所を抜けて、階段を下りて行った。
「神を創るのは案外単純作業なんだ。神の力に耐えられる器の中に神の力を入れるだけ」
音羽先生の足音が響くだけの静かな通路を進み、扉を開けると人が一人通れるかどうかくらいの小さい鳥居があった。
鳥居をくぐった先には三つの分かれ道。
器の間、汲の間、破棄の間と文字が書かれていた。
「この先が神を創る場所。中に入れば三つとも道は繋がっているからどこから入っても一緒だけど……まあ順序通り器の間からいこう」
器の間に入ると音羽先生と同じく白衣を着た神様が何柱かいて、集中して何かを手で作っているようだった。
「ここではまず、神の力に耐えられる器を作る。君たちで言う身体だな」
音羽先生は作業中の神様の横を通りすぎていく。
手元に集中しているため、音羽先生に顔をあげる神はいない。
音羽先生を白衣の神様が小走りで追い越していった。
その腕に抱かれていたのは人の赤ん坊のように見えた。
その神様は汲の文字の書かれた御簾を上げて先へ進んで行った。私たちもその後ろをついていった。
器を汲の間の中にいる白衣の神様に淡々と手渡すとその神様は無表情で器の間に戻っていった。
「器の中に神の力、それを適正に使える知恵、善悪を図る天秤の3つの力を入れる」
今まさに3つの玉を赤ん坊に入れている工程を見ていると音羽先生が横から呼ばれた。
「音羽先生。こちらです」
「あぁ」
音羽先生を呼んだ白衣の神様は先導し、破棄の間の御簾を上げた。
破棄の間に足を踏み入れるとすぐに下へ降りる階段があった。
足元には彼岸花が咲いていて淡く赤い光を出し、足元を鈍く照らしていた。
その階段をゆっくり降りていく程、薄暗く、どんよりと湿っていて、息苦しく感じる。
「君も中に入るかい?」
「ご冗談を、破棄の間の内部に入れるのは決められた神のみ、初の宮をおまとめになる方のみの決まりです。私はここで失礼します」
階段を降りきって拳二つ分程の錠前のついた立派な扉の前に到着した。
案内してくれていた白衣の神様は一礼をして元の道を戻っていった。
音羽先生は人差し指を錠前に差し込み指を捻った。容易く鍵が開いた。
「ここ少し寒いですね」
音羽先生の瞳の中にいてもひんやりとした感覚が確かにした。
「そうか?」
背後で扉が大きな音を立て閉まったことでどれほど重い扉だったのかを理解した。
音や空気すら漏らしてはならないと言っているようだった。
「音羽先生あれは?」
部屋の中央に丸い金魚鉢に似た水槽が浮いていた。
先程、器の間で見たばかりの赤ん坊がすやすや眠るように丸くなっている。
「二人とも器の中に神の力、知恵、善悪の天秤の3つの玉を入れたのは見てたな?」
「はい」
音羽先生は胸ポケットから眼鏡を取り出してかけた。
器の中に金の玉と青い玉、緑の玉、そして赤と桃の中間くらいの色の玉が見えた。
とても綺麗で温かい光を放っていた。
「4つ?」
ずっと黙っていた千歳さんがぼそりと呟いた。
私はまだ言葉の意味を理解しきれず、音羽先生の言葉を待った。
「神の力は金、知恵は青、善悪は緑」
私があぁと気付いた時にはもう話は先に進んでいる。
「この赤いのは感情。入れていないはずの感情を持った神が稀に誕生してしまうんだ」
「感情があってもいいんじゃないですか?」
「神は感情があると善悪の天秤が狂うから器には入れられないんだよ」
ひたひたと音羽先生の足音とともに水槽に近づいていった。
「見ない方がいい」
旭の声は聞いたことのないくらい冷たかった。
えっと聞き返している間に音羽先生は両手で空間を握り潰すようにして指を組んだ。
その瞬間、金切り声に似た音がした。
器から内部の玉が勢いよく吸い出されるようにも掻き出されているようにも見えた。
玉が器から飛び出した。掌を広げた音羽先生の手の中に吸い込まれるように納まっていった。
水槽と器は床にたたきつけられるようにして空中から地面に落ちた。耳を覆いたくなる音を立て粉々に割れてしまった。
しかし、床に散らばった水槽と器の破片は蛍のように淡い光を放ちながら消えていった。
音羽先生は創った神様をいとも簡単に消してしまったのだ。
まだ耳には心を縛るには充分な程、不気味な音が残ってる。
「け、消してしまう必要はあったんでしょうか?」
音羽先生はため息をついた。
「ナマズは以前、理の宮の半分を壊しかけた……」
「また、ナマズ……」
「完璧ではない欠陥のある神をここでナマズって言うんだ……今回のは感情をを持ってしまった欠陥神」
「鯰って魚からきているんですか?」
「いや、名、非ずからきてるんだ。神の名を与えられないって意味だよ」
破棄の間を出て器の間を通った。
その際、音羽先生は白衣の神様に呼び止められ、至急対応してほしいということで初の宮を出てすぐ私たちはお家まで送られることとなった。
「私がいいと言うまで目は開けるなよ」
千歳さんと顔を合わせ、目を閉じた。
パチンと指が鳴る音がした。
すぐ目を開けてくれと音羽先生の声が聞こえた。
目の前は花宮神社の鳥居の前ではなく、お家の前だった。
「ばたばたとすまないね。あとは旭を問い詰めてやってくれ」
「はい」
「旭、すぐにでも自分の器を確認しに沼の底へ行きなさい。赤い人の子、今度はお茶でも。じゃあ、またな」
手を振られて、手を振り返そうとした時には音羽先生の姿はなかった。
次回は旭が作ったナマズの話