第1話 心を手折った日
主人公の幼少期、人となりを知って頂ければ幸いです。
第1話 心を手折った日
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代。
帝都の中心街から少し外れた場所に建てられた洋館の一室で姿鏡を前に赤髪の少女が立っていた。
「こいのいろ!」
赤は好きな色だった。
みんなそれぞれが好きな髪色、目の色をしているんじゃないかと思っていた。
お父様は焦げ茶色の髪の色で瞳も茶色だった。乳母のトキは黒い髪に白い髪が混ざっていて黒い瞳だった。
絵本のお姫様は金色の髪だった。
自分だけが異端なのだと気付いた日の事を鮮明に覚えている。
それはきっと物心がついてすぐの頃、とても強烈な出来事だったからに違いない。
「そういえば、もうすぐ旦那様のお誕生日ですね」
目の前にある昼食の食器を片づけながらトキが思い出したようにそう言った。
「だんなさま?」
首を傾げる私にトキはお嬢様のお父様の事ですと言い、私はわぁっと焦げ茶色の髪の毛に丸い眼鏡をかけたお父様の顔を思い浮かべた。
「おとうさま!」
「えぇ」
「ねぇねぇ、おたんじょうびってなにするの」
「お生まれになった日のことです」
「?」
「生まれてきてくれてありがとうと心からお祝いする日です」
「うまれてきてくれて、おでめとう……おたんじょび」
そういえば私もたくさん贈り物をもらって、美味しいものをたくさん食べた日にトキにおめでとうをされたことを思い出した。
「おめでとするひだ」
「お嬢様に選んで頂いてお花でもお贈りしましょうか?」
「おはな!」
「お屋敷にお花屋さんをお呼びして」
「こいがえらびたい!」
「えぇ、ですからお花屋さんをお屋敷にお呼びして」
「こいが! おはなやさんにいきたい!」
絵本で見たことのあるお花しか売っていないお店。
絵本の中のお花屋さんは魔法使いが店主をしていて、色とりどりのお花がまるで宝石のようにきらきら並んでいた。その魔法のような空間で好きな色や形のお花を選んでお父様に贈りたい。
その一心でトキに抱き着いて駄々をこねた。
「こい、おはなやさん。いく!」
おねがい、おねがいとトキの服に顔をこすり続けると観念したようだった。
「かしこまりました。では、お出かけの準備をしましょう」
「うん!」
一番お気に入りのフリルのついた白いワンピースにピカピカの赤い靴。
「トキ! どう?」
「ふふ、お似合いです」
全身鏡で見ると髪の色と瞳の色、靴の色が赤でお揃いだった。
トキと手を繋いでお屋敷を出た。
お父様かトキと手を繋がないとお外に出られない決まりだからお外に出るのはとても久しぶりのことだった。
お屋敷を出ると乗り物に乗るお母様とお姉様を見かけた。
以前、トキに教えてもらった私の家族だという人たち。
「おかあさまもおねえさまもおでかけ?」
「えぇ、そのようですね」
お母様とお姉様とは挨拶どころかお話しすらしたことがなく、いつも一方的に窓越しから視線を送っていた。
「そっか」
つい最近お父様がお姉様の頭を撫でていたのを見たことがあって、遠くから羨ましいなと思った。
吸い込まれそうな青い空に白い鳥が自由に飛び回っているのを見ると自然と笑顔になって、私も少し飛び跳ねる。
見たことのないものを見るとすぐに足が止まり、都度トキに手を引かれた。
「お嬢様、行きますよ」
「はーい」
流れていく風景の中に赤や青の三角屋根のお家やとても高い建物の下を歩いているとお部屋でのお人形遊びを思い出す。
ふふ、自分がお人形さんになったみたい。
「お嬢様、あちらがお花屋さんです」
「わぁ」
お店の入り口からすでにお花で溢れていて、クレヨンの箱を開けた時と同じ高揚感。胸が踊るにふさわしく、口角も肩も一気に持ち上がる。駆け出してお花に一礼して挨拶をすると一輪だけ揺れた。まるで、挨拶を返してくれたように見えた。
「お嬢様、急に走り出されては危険です」
「トキ、このおはなにしたい!」
「どちらですか?」
「これ」
友達を紹介する口調で隣に立つとトキがにっこり笑った。
トキの表情に安心して少しだけ誇らしげな顔をしてしまう。
「このお花の名前は花車」
トキが何かを話す前にお店のお姉さんがお花の紹介してくれた。トキとお父様としか話したことのない私はそそくさトキの後ろに隠れてしまった。
「贈り物ですか?」
お姉さんはトキではなく、私に話しかけるようにしゃがんで視線を合わせてくれた。
「誰かにあげる予定? それとも、お部屋に飾る用?」
への字に結んでいた口を時間をかけてぐにぐに緩め、口を開いた。
「お、お、お、おと。おとうさ、まのおたん、じょびで」
語尾が小さく途切れてしまったのをお姉さんはしっかり聞き取ってくれて、大きく何度も頷いてくれた。それがとても嬉しくてトキの後ろからそろそろと前に出てみた。
「じゃあ、どの色にしましょうか?」
手前に見えていた花車は桃色だったけれど、お姉さんは見やすいように目の前に花車を手に持って見せてくれる。そこには赤、白、桃、橙、黄色と可愛らしい色が並んでいた。
「これとこれと、これ」
好きな色を指で指すとすぐにお姉さんは花束にして持ってきてくれた。
三本だけの花束だけど、胸で抱えると思っていたよりも大きい。
ふらふらとした足取りを見かねてトキが何度も花束を預かると提案してくれた。けれど、何度も首を振った。
「おとうさま、ぜったいよろこぶよね」
お父様が笑っていたり、喜んでいる姿を見たことがない。この花束をきっかけに笑ってくれたらそれでいい。もしかしたら、ほめてくれるかもと淡い期待まで抱きはじめてしまう。
「ありがとう。綺麗な花だね」
なんて言われて頭を撫でてもらいでもしたらどうしようと頭の中のお父様に一人舞い上がった。
お屋敷までもう少しのところで自分の背中の方から複数の声がした。ひそひそと笑っているようにも怒っているようにも聞こえた。
「あれだろ、東条のバケモノ。見るだけで呪われるってさ不気味なやつ」
「めったに外に出ないバケモノだって母ちゃん言ってた」
「俺の父ちゃんからは鬼って聞いたぞ。人をたくさん喰ってさ。だから髪も目も真っ赤になったらしいぜ?」
「なぁ、俺たちで鬼退治しとこうぜ」
こいのこと……?
言葉の意味は理解できなくても真っ赤な髪と目と聞こえて自分のことだと振り返った。
「おい、こっち見たぞ」
肩に何かがとんと当たった。
そして、そのすぐ後のこと。
額にぱつんと何かが当たって、身体が勝手に傾き尻餅をついてしまった。
――ガサッ
花束が音をたてて地面に落ちてしまった。
「あ」
落としてしまった花束を慌てて拾おうとすると、ぱたぱたとお気に入りの白いワンピースに赤いシミが出来た。
一つ二つ、赤い花びらのようなシミを目で追っているとトキが私の額をおさえて悲鳴を上げた。
「トキ?」
トキを見上げてようやく額に痛みを感じた。
目が覚めたのは見慣れた天井、柔らかなベッドの上だった。
頭が重くてぺたぺた手で触ると何重にも包帯が巻かれていた。
頭に包帯を巻いている少年が魔法のランプを探す絵本を思い出し、本棚を眺めた。
今日買った花束が棚の上に置かれているのが視界の端に入って、はっとした。
「そうだ、おはな」
ベッドから降り、棚から花束を手に取って折れていないか、枯れていないかを確認した。
お父様のお花が無事でよかった。
「こい」
ドアが静かに開かれ、同時に名前を呼ばれた。
「お、おとうさま」
お父様が部屋に入ってきて私の真横に立った。
「頭は痛むか?」
そう言って眼鏡を押し上げ、包帯を巻かれた頭をお医者さんみたいに右に左にじっくりと観察してから、しゃがんでくれた。
「頭以外には怪我はないか?」
怒っているような声と表情のお父様に首を横に振ってどこも怪我をしていないことを伝える。
「今日はもう寝ていなさい」
それ以外の会話はなく、そのまま部屋を出ていこうとするお父様をどうにか引き留めたくて思い出した言葉を口にした。
「おとうさま!」
「ん?」
「こいは、バケモノ?」
言葉の意味なんて考えていなかった。
「誰かに言われたのか?」
お父様の表情がさらに暗く、声が低くなってようやくこれは言ってはいけなかったのかもしれないと首を素早く横に振った。思い描いていたようなお父様との会話が一つも出来ないまま、胸に抱えていた花束を差し出した。
「お、おとうさま、あの」
これでお父様が少しでも笑ってくれるといいなと思った。
お誕生日の贈り物だもの、よろこんでくれる。
受け取ってもらえたことに舞い上がった。
「お、おた」
「もう外には出なくていい」
お誕生日だから私が選んだのと言いたかった。おめでとうまで言いたかったのに言わせてもらえなかった。受け取ってもらえて嬉しいはずの花束は今にも手折れても仕方のない力で握りしめられていた。
首を絞められているような花から目が離せない。そして、お父様はただ私を見下ろしていただけだった。
それからもう一度言い聞かせるように外には出るなと言った後、部屋を出ていってしまった。
包帯を巻かれている頭よりも胸の方がじわじわと痛んだ。
「こい、いいこじゃないから……あかい、バケモノだからあたまを......をなでて、もらえない」
自分の手で頭を撫でても何一つ満たされなかった。
その日から部屋には鍵がかけられるようになった。
私の心の中にもひとつ鍵がかかったようだった。
第1話といいつつ、物語進捗としては0.5話くらいでしょうか。
こいちゃんの髪が赤色!とだけでも覚えていただければ、嬉しいですね!




