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第9話 花火のせい(後編)

いざ! 夏祭りへ!

第9話 花火のせい(後編)


山道を降り、街の入り口付近からだんだんと人が増えてきた。

「やっぱり人が多いですね」

 かろうじて両手を伸ばせるくらいの人と人との間隔がいつの間にかなくなっていき、今は肩が触れそうなほど近い。

 行き先を示すような赤い提灯が道案内を担っていて、出店と言われる小さいお店が建並んでいるのをみると自然と顔も上がるし、声が上ずった。

「わぁ」

 絵本で見た妖精の国みたいだ。

 花宮さんの言った通りとても賑わっていて、活気を肌で感じた。

 見たことのない食べ物にお面に、どう使うのかわからない置物。

 その場にいるだけで勝手に口角が上がり、顔を右に左に振り、とても楽しんでいる自覚があった。

 大勢の視線も隣に千歳さんがいてくれているおかげか今はあまり気にならない。


「こい」


 名前を呼ばれたような気がして隣を歩く千歳さんを見上げたが、彼はあたりをゆっくりと見渡していて、流れた視線の最後に私と目が合っただけだった。

 相変らずどこを見ているかわからない灰色の瞳。特に呼ばれたわけではなかったことに少し恥ずかしくなった。

 私がとても浮かれてるみたいじゃない。

 体中が一気に茹ってしまって体温を下げるように顔を手で扇いだ。突然、千歳さんは人差し指で前方をさした。

「かき氷ってなに」

「なんでしょう?」

「魚焼いてる」

「あれは、鮎ですね」

「あれ、こいとそっくり」

 見たことのない置物……。

「りんご飴とは、どう食べるんでしょうか?」

 齧るのか、舐めるのか。

「やきそば」

「あんず飴、あ」

 出店の名前を読み上げている中で射的の出店の上段で目が止まり、足を止めた。

「こい?」

 上段にある真っ赤なクマのぬいぐるみに見覚えがあった。

「似ているものを確か持っていたような気がして」

「そう」

 今どこに置いているのかも覚えてないんですけどと苦笑していると、背中に誰かがぶつかって体がよろめいた。

 すると後ろから神輿が通るぞと野太い大きな声が複数聞こえた。

「神輿?」

 振りかえった時にはもうすでに神輿がすぐ近くを通り、人波が大きく揺れた。

 うまく波に乗ることが出来なかった私の身体が2、3歩前に押し出されてしまった。


「おっととと」

 どうにか体勢を立て直した時には千歳さんは近くにいなかった。

 案の定、はぐれてしまった。ぐるりと体を回しても見つからず、一人になってしまった。

「うわ真っ赤」

「邪魔」

「止まらないでよ」

「もっと早く歩け」

 右に動いても左に動いても人にぶつかってしまった。のろのろと道の端に出ることができた。

「ひどい目にあった……」

 息苦しくて溺れしまったのかと思った。

 

 行き交う人を眺めてふと千歳さんと歩いている時は誰にもぶつかることはなかったのにと思った。

 じっくり出店を見ることができていたのにこんなことになるとはと深くため息をついた。 

 自然と落とした視線の先に自分の爪先があり、草履もかわいいなと思った。

 あ、鼻緒のところ赤くなってる。

 認識すると草履の鼻緒で擦れている足の痛みをじわじわ感じた。


「千歳さんの隣は歩きやすかったなぁ」

 ぶわり。 

 体中を形容出来ない気持ちで満たされた。

 次第にちりちりと心臓が痛みはじめたのはどうしてだろう。

「違う違う、人混みで頭に血が上っただけ。のぼせただけ」

 頬叩いて顔を上げた時だった。

 道行く人と数人目が合った。

 目をそらしてもまたほかの誰かと目が合ってしまい、背中がひんやりしてきた。

 地面に視線を落としても鋭く見られているように感じて呼吸が浅くなっていく。


 ガヤガヤと太鼓の音、話し声、目の前がぐるぐるぐらぐら揺れ、肩で息をしはじめてすぐ、右手の人差し指を握られた。

 見るとそこには私の腰くらいの背丈の女の子が立っていてガラス玉のようなころんとした瞳に見つめられていた。

「ねぇ、お母さん知らない?」

「ま、迷子?」

(よい)は迷子じゃないの。お母さんが迷子なの」

「そ、そうなんだ」

「お姉ちゃんのほうこそ、もしかして迷子?」

  自信満々の女の子の表情に救われ、促されるままに頷いてみると女の子は花が咲いたように笑顔になった。

「もう、仕方ないなぁ。宵も一緒に探してあげる」

「ありがとう、ございます」

「どういたしまして!」

 金魚柄の浴衣を着た女の子が私の手を引いて歩いてくれる。

 ゆっくりな足取り、人波を先導してくれるのはとてもありがたく、心強かった。

「お姉ちゃんはなんて名前?」

「こいです」

「こいちゃんね! 宵の名前は宵」

「いくつですか?」

「5歳!」

 随分しっかりしている。

 私より年上だったりしないだろうか。

 宵は手のひらを開いて歳を教えてくれた。


 宵には知り合いが多くて先に進むと出店のおじさんや私くらいのお姉さんまで声をかけられていた。

 さっきお母さん見たよ、この先だよ、とかきっともう花火大会の場所にいると教えてくれる。それをありがとう、もう仕方ないなぁとちゃんと返事をしていた。

 羨ましくなるほど世渡り上手な女の子。

「こいちゃんこいちゃん」

「?」

「どうしてこいちゃんの髪の毛真っ赤なの?」

 宵は悪意なんてまったく感じさせない素直な声で聞いてきた。

どう言ったらいいんだろう。こんなに小さい子でもやっぱり気になるんだろうか。

「あ! 目も真っ赤」

 宵に下から見上げられて反射的に目をそらしてしまう。こんな小さい子にあからさまな態度を取ってしまい申し訳なくなったと同時に情けなくなる。

「き……」

 気持ち悪いって言われてしまったらどう答えようかとぐっと眉間にしわを寄せた。

「えっと」

「きれー! いいないいな」

 宵は私の手を引きながら飛び跳ねていいないいなと繰り返していた。

 戸惑う私をよそに今度は繋がれた手を右に左に大きく振り始めた。

「宵もこいちゃんと同じ色がよかったなぁ」

「そのままの宵がいいと思うよ」

「なんでなんで、とっても可愛いのに」

「そんなこと、ないよ」

「えー、宵のお父さんも顔の一部真っ赤だよー。宵はねー、夕方のお日さまとね、とまとが大好きだからこいちゃんの色も大好き、あといちごも好き」

 まっすぐな気持ちが時間差で体の奥の方に到達すると泣きそうになって上を向いた。

「あ、ありが」

 ずっと鼻をすすった時、宵が大きな声であ! と言った。

 私の手をするりと放して走り出してしまい、離された手に少しだけ寂しさを感じた。

 少し先にいる女性に抱き着いたのを見るとどうやらお母さんと合流できたみたいだった。

「こいちゃん!」

 手を振られて小さく手を振り返すと宵のお母さんが深々と頭を下げていた。私も慌てて頭を下げた。



「こい」

 二人を見送った後、すぐ名前を呼ばれ、振り返ると千歳さんが立っていた。


「え、どうしたんですか」

 振りかえった先にいた彼は頭にはお面、両手には食べ物の入った袋や水風船。

 あまりにもたくさん持たされていて思わず笑ってしまった。

「しっかり楽しまれていたんでしょうか?」

 千歳さんはその状況とは不釣り合いなほど、楽しそうでも怒ってそうでもなく表情を変えなかった。

「歩いていたら、声をかけられた」

「はい?」

「真っ赤な女の子を見てないかって尋ねたら、いつのまにか人だかりができて……これもあれもこいに渡してほしいって」

「こんなに」

 言われるがまま、持たされるがままにこの状態になっている千歳さんを想像して顔が緩んでしまう。

 じとりと光のない瞳を見てはっと口元を手で覆いかくした。

「みなさんには今度しっかりお礼しに行きますね」

 頭に浮かんでくる顔なじみのお店の人たちの優しさがじんわり沁みてくる。

 来てよかったなぁ。

 噛みしめていると千歳さんが私の頭にお面をかぶせてきた。


「あと、これも」

 両手で収まるくらいの真っ赤なクマのぬいぐるみを私の手に置いた。

「これ、射的の」

 手の中で真っ赤なクマのぬいぐるみをまじまじと見て、わざわざ取ってくれたんだと勢いよく顔をあげてお礼を言った。

「ありがとうございます!」

 お面を取った千歳さんの顔を見るととても顔色が悪かった。

 額にも大粒の汗が滲んでいた。

「もしかして、体調悪いですか?」

 千歳さんは否定も肯定もしなかった。

 けれど、汗が頬を伝い、顎まで到達したのを見て慌てて巾着の中からハンカチを取り出した。

「汗、すごいですよ?」

 彼の頬の汗をとんとんと拭った。

 だんだんと苦しそうに呼吸が乱れてきたのを見て彼の手を取った。そして、人の波に逆らうように手を引いて歩き出した。



 少しだけ人混みが少なくなってきたところで我に返ると勢いで繋いでしまっている手を後悔した。

 しかも、ぎゅうっと握りかえされていて、遅効性の毒のように恥ずかしさが込み上げてきた。

 

 私の心臓の音が手から伝わったりしちゃわないかな。

 

 こんな時に私は余計なことばっかり考えていて、思ったより手のひらが大きいなと思ってからはもうなにもかもがいっぱいいっぱいだった。

 ぱっと手を離して先を歩いてみたところ千歳さんがついてきていないことに気が付いた。

 振り返ると数歩後ろでしゃがんでうなだれていて、慌てて駆け寄った。

「歩けないくらい辛いですか?」

「こい」

 名前を呼ばれて引き寄せられたように私もしゃがんでしまう。

「どこか……痛いところ、でも」

「まだ、離さないで」

 こんなにもお祭りの太鼓の音や出店の方の声出しも聞こえている中で彼の声がとても鮮明に聞こえてしまった。

 顔を上げた彼の灰色の瞳が一瞬、揺れた気がした。

「おねがい」

 掠れた声は私をかき乱すには充分だった。

 目の前に先程まで繋いていた手が伸びてくる。

 大きい掌に長い指、私の手とは違う節が見える。

 手を伸ばしたところでいいことなんてないと分かっているのにその手を取ってしまった。

 飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ。


「えと」

 正面から手を取ったのはいけなかった、大失態だ。指を絡めないでほしい。握らないでほしい。こんな時だけ手が冷たくないなんて嘘であってほしい。

「やっぱり……」

 離してと言ったのに丁度、夜空に打ちあがった大輪の花に打ち消されてしまった。

 初めて花火を見たのに、熱に浮かされた私は感想の一つも出てこない。

 きっと綺麗だったに違いないのに。花火が打ちあがる音なのか、心臓の音なのかもうわからなかった。

 

 彼がバケモノって誰が言ったんだろう。



 

ぜんぶ、花火のせいだ。

某スキーのキャッチコピーみたいでなんか微笑ましくなりました。

こいちゃんと千歳くんの名前のない関係構築が進んでおります。

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