第九十五話:いい奴
紗枝は非常に苛立っていた。いきなり連行され取調室に入ったのはいいがいつまで経っても始まらないのである。
こっちはさっさと相手に抗議だけして病院に戻りたいというのに……と腕を組んで考えていると、取調室の扉がようやく開いて彼女を取り調べる人物は満面の笑みで入って来た。
「いつから警察は代議士を取り調べに使うことにしたのかしら」
「特別にだよ紗枝さん」
紗枝の皮肉をあっさりかわして楢原は椅子に座った。紗枝は真っ正面に楢原と向き合うのも嫌悪感を抱き、体を横に向けて足を組む。
ついでにタバコでも吸ってやればこの男も諦めてくれるのかしらと考えてはみるが、あいにく彼女はタバコを吸う習慣がなかった。
「おや、非常に機嫌が悪そうですね」
「患者そっちのけでこんな茶番に付き合わされても寛大でいろと?」
「すみません。ですが、お嬢様がきちんと座らないのは品格を下げることになるかと思いますが?」
「あら、どんな私でも綺麗だといったのはただのお世辞だったのかしら?」
「もちろん魅力は損なわれませんがより美しいあなたがみたいので」
「でも私は見せたくないわ」
相当不機嫌らしいと楢原は思ったが、とりあえず紗枝の興味をこちらに引き付けることにした。
「さっき牢獄に入れられてる篠塚啓吾先生に会って来ました」
「へええ、彼はどうして牢獄に?」
「それは犯罪者だからさ」
にやりと楢原が笑う。紗枝は「まあ、前科はいくらでもあるから懲役数百年ぐらい仕方ないわね」と普通なら言っているところだが、とりあえずそれは言わずに無難な言葉を選んだ。
「犯罪者ね……彼はどのように扱われるの?」
「今回のハワード国際ホテルの放火犯として死刑が確定するだろうね」
「……冤罪で死刑になるなんてさすがに同情するわね」
「おや、彼氏に同情の念しか浮かばないのかい?」
「いいえ、彼を愛してるからこそ平静でいようと努めてるのよ」
紗枝はニッコリ笑った。心中で「あの大馬鹿こいつぐらい黙らせときなさいよ! 後から絞めてやる!」とまさか思ってるなどと楢原は思ってないだろうが。
つまり啓吾は楢原からまだ何も聞き出していないことは確かなようなので、紗枝は仕方ないと楢原に向き合った。
「それより教えて頂戴。高原の後釜を継ぎたいものが菅原財閥の力を利用したがってるのは分かるわ。だけど天宮家の力を誰から教えられたの?」
「それは大君があれほど執着してたんだ。僕達も興味を示すさ」
「それもあるのでしょうけど、私達が狙ってるのはあなた達が私達に興味を示すように仕向けた人物の正体」
相手を射抜くような視線を紗枝は向けた。さすがは財閥のお嬢様という貫禄だが、楢原は肩を竦めて答えた。
「やれやれ、これではどちらが取り調べを受けてるのか」
「この状況でいえばあなたが受けてるんじゃない?
とりあえず教えてもらえるかしら。じゃなければあなたが高原の二代目になれるようにバックアップしてる組織を潰して、あなたを死刑台送りにする手筈を整えなくちゃいけなくなるんだけど?」
「ははっ、そんな脅しが……」
「あなた達が手に入れなくちゃまずいと思ってる菅原財閥と天宮兄弟が敵になると言ってるのよ?」
ゴクリと楢原は唾を飲み込んだ。高原が菅原財閥を吸収できなかった理由がようやく理解できたような気がした。
目の前にいる女はとても一筋縄ではいかない、啓吾がいうように「普通の男じゃ満足しない」と言ったのはこういうことかと思った。
もちろん、深窓のお嬢様というようなイメージを紗枝に持っていたわけでもないが……
「どうする? 早く楽になった方がいいと思うけど? これでも龍ちゃんより優しい言い方もしてるんだし?」
にっこり微笑むその顔の裏には「早く吐かないともっとひどい目に遭うわよ」と言ってるようで……
楢原は観念したのか静かになって一つ溜息をついた後答えた。
「……科学者のダニエル・フラン」
「ああ、ハワード財団の若手科学者」
「そうだ」
「そっ、じゃあ私はそろそろ病院に戻るわ」
「そうはさせない!!」
椅子がガタンと倒れて紗枝は床に組み敷かれる。両手首を押さえ付けられて腹の上に楢原の片膝が乗せられて身動きが出来ない。
頭を打って気絶しなくて良かったとは思うが、自分が思っていたよりも相手をさっきの質問で追い詰めてしまったことは確かで。
「くっ!!」
手首に痛みが走る。そして相手の顔が近づいて来て楢原は怒鳴り付けた!
「紗枝さん、僕はこの日本を牛耳る位置に立つんだ! だから僕のものになれ!」
「嫌よ!」
「何が不満なんだ!? 日本一の権力を手に入れられるんだぞ!?」
「その程度で私が落ちると思う?」
「何!?」
女にとっては絶体絶命のピンチにも関わらず、それでも紗枝は全く動じていないのか楢原を射抜くような目をして告げた。
「悪いけどその程度の男なんかに私は靡いたりしない。自分が満足しない相手に抱き込まれるなんてごめんだわ!」
「篠塚啓吾がそこまでいいのか!!」
「あなたよりはうまいんじゃない?」
「このアマ……!!」
それから一分後だった。楢原と紗枝が同じ取調室にいると聞いた土屋はダッシュでその場に駆け付けて乱暴に扉を開いた!
「紗枝ちゃん!!」
「あっ、あっちゃん!」
にっこり笑って迎える紗枝は楢原を見事に取り押さえていた。紗枝の上着は乱れているのと一発だけ殴られたあとを見れば一目瞭然。
「……なるほどね。楢原代議士、あなたを婦女暴行の現行犯で逮捕します」
「なっ! 何を!?」
「女性に襲い掛かっておいて言い訳なんかしないで下さい。君達もそう思うだろ?」
「その通りであります! 土屋警視!」
土屋のあとを追って来ていた刑事達もそれに同意した。そして土屋はカチャリと楢原に手錠をかける。
「お前、僕を誰だと」
「性犯罪者。世間一般的な呼称ですけどね。君達、頼んだよ」
「はっ!」
「はっ、離せ!!」
楢原は連行されていくと土屋は座って服を直している紗枝に一言告げた。
「……全く、紗枝ちゃんを襲う男がこの世にいたとは」
「あっちゃん、それどういうことかしら?」
「深い意味はないさ。まあ、紗枝ちゃんにキスマーク付ける男が出来たのは俺としても嬉しいけど」
「ああ、これ違うわよ」
「そうか、やっぱり違うのか」
なによと膨れる紗枝に手を差し出して立たせてやる。赤くなった手首と一発平手打ちを喰らった頬が見ていて痛々しい。
しかし、それを直接刺激するのを彼女が嫌うことを土屋は知っていたため月並みな言葉だけをかけた。
「でも無事で良かった。どうする? 少し休むかい?」
「そうしたいけど、とりあえず龍ちゃんと啓吾を釈放してあげてくれない?」
「ああ、だけど二人ともとっくに脱走したみたいだけどね」
取調室の扉には龍と啓吾が立っていた。龍は入って来るなり頭を下げる。
「土屋先輩、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな龍。それと君が噂の篠塚啓吾先生かい?」
「はじめまして」
「こちらこそ。警視庁の土屋淳行です」
土屋は手を差し出し啓吾も握り返す。基本啓吾は警察は嫌いだが、龍の先輩とだけあって土屋が好人物というのは分かる。
「とりあえず紗枝ちゃんが襲われたから楢原は逮捕したが、残りも証拠が上がり次第動けるようにしたから」
「ありがとうございます。だけど紗枝ちゃん大丈夫だったのかい?」
「少なくとも俺が取調室を開けたときは楢原が取り押さえられてたけどな」
「ああ……」
さすがだなと龍と啓吾は紗枝を見る。しかし、この二人はあくまでも彼女より一つ年上だった。
啓吾は紗枝の頭を抱え込み取調室の外に連れ出した。
「ほら、さっさと病院に戻るぞ」
「ちょっと、髪が乱れる!」
「よしよし、よく頑張ったな」
「だったらもっと早く助けに来なさいよ!」
「分かった。今度は助けてやるから怒んな」
廊下にギャーギャー叫ぶ声がこだます。じゃれあい、ふざけながら歩く二人を見て土屋はほう、と感心した。
「……いい奴だな」
「ああいう奴なんですよ。森先輩にちょっと似てるでしょう?」
「確かに人としては問題あるが兄貴としては立派だからなあいつも」
「ええ、それではまた」
龍は土屋に一礼して二人に追い付く。いまだにふざけてくる啓吾に困った顔をして紗枝は龍に告げた。
「龍ちゃん、もう啓吾の奴なんとかしてよ!」
「では私がエスコート致します。御手をどうぞ、紗枝お嬢様」
「あら、龍ちゃんが私を口説くって沙南ちゃんに言い付けてやろうかしら?」
「いや、それは……」
「冗談よ!」
にっこり紗枝は笑って龍の腕を取る。病院に戻れたのは夜勤開始時間ピッタリだった。
楢原逮捕となりましてようやく紗枝さんは一息つける模様。
だけど組み敷かれて大逆転とはさすが紗枝さんです。
しかもわざと殴られたという裏事情もあります。
相手を逮捕する証拠が必要ですからね。
しかし彼女も女性なので全く恐怖がないわけではありません。
それでも直接「怖かっただろう?」と聞かないのが天空記の男性陣。
紗枝さんはそういうのを嫌う人だと分かってるからこその応対です。
だけど彼女のおかげで裏が出てきましたよ!
紗枝さんが殴られた仕返しをしないほど龍も啓吾も大人しくありません。
これから一体どうなるのでしょうか??