第八十二話:涙を流す少女
赤く染まる南の空をビルの上から見つめながら、桜姫は天空記を開いていた。
天空記の一節にこういった記述がある。
『南の天を治める太子、火の力を司りその姿華麗にして鋭気を纏う。天界においてその働き、乱世に終止符を打つ英雄となる』と……
「火事だ〜!!」
「きゃあああ!!」
「お客様!! 落ち着いて!!」
悲鳴が上がる中でも、ハワード国際ホテルを訪れていた客達は指示に従い避難していく。
そんな中、避難指示に従わずにドンドン非常階段を駆け上がっていく青年が一人。天宮家の家長だ。上から下りてくる煙が肺に入って少し噎せながらも、止まる事なく走り続けられる身体能力で良かったと思う。
しかし、これがただの火事ではないと直感がそう告げる。炎自体から意志を発しているかのようにすら感じられるからだ。
その時、火災から逃げて来たのだろう、非常扉が勢いよく開き、二人の弟が龍の前に飛び込んできた!
「兄貴!!」
「龍兄さん!!」
危うく火災流に飲み込まれるところだったと二人はホッと息をつく。
「お前達なんでこんな中途半端な階にいるんだ!?」
「聞いてくれよ兄貴! 秀兄貴が持っている発信機の反応辿って来てたらいきなりスプリンクラが作動してびしょ濡れになったかと思ったら今度は火災流に追われてさ!」
「それでね、とりあえず危ないから非常階段に飛び込めば秀兄さんがいる屋上までは何とか辿り着けるだろうって飛び込んだら龍兄さんとバッタリ!」
相当危なかったのか、二人は息も付かずに事の顛末を説明した。しかし、ここでまず龍は医者としての性が働く。
「それでお前達無事なのか?」
「ああ、純の水の力のおかげで無事なんだけどさ。だけど、いきなり火事なんか起こってハワードの奴らやけでも起こしたのか?」
「いや、秀だ」
「えっ?」
「正確に言えば南天空太子」
その名に二人は心あたりがあった。ほんの少し前、東富士の自衛隊演習場に現れたのが水と雷の力を使って大暴れした北天空太子、つまり純が覚醒した二百代前の純だった。
そして、龍がその名を使うということは……
「ってことは秀兄貴も純みたいになったってことか?」
「ああ、おそらくな。秀に何があったのかは分からないが、あいつが覚醒したってことだけは感じるよ。それも相当怒ってることもな」
物が燃え、窓が割れる音が非常階段にも響き出した。どうやらこの先はさらに炎の勢いが増しているようだ。龍は純の方を向いて命じた。
「純、俺に水を思いっきりかけてくれ」
「うん!」
ふわりと水泡を作り上げ、それを浴びせて龍はびしょ濡れになる。そしてら純に礼を述べて弟達に命じた。
「よし。じゃあ、お前達はここから避難してろ」
「ちょっと待ってくれよ! 純はともかく俺は!」
「兄の言うことは聞くもんだ。いいから避難してろ。ここから先は家長の仕事だ」
「だけど!」
食い下がる翔の頭を軽くこつんと叩き、龍は微笑を浮かべた。
「頼んだぞ、西天空太子」
「兄貴!」
「龍兄さん!」
龍はあっという間に駆け上がっていった。
一方、ホテルの外に出ていた篠塚家の面々は、火の粉が及ばない閑散としたホテルの中庭に移動していた。
もちろん、火が襲って来ても夢華の力で消火してしまえば問題はないのだが、彼等にはそれ以上の問題が目の前で発生していたのである。
「柳! しっかりしろ!」
「姉さん!」
「柳お姉ちゃん!」
突如光り出した柳に兄妹達は呼び掛ける。柳の意識は既にここにはなく、ただ天を見上げているのみだ。それは啓吾と紫月には見覚えのある状態だった。
そして、啓吾も中庭から上空を見上げれば、真っ赤な空の中に火の塊が宙に浮いている。そこにいる人物の姿は遠くて分からないが、柳をこんな状態にさせるのはこの世に一人だけしか思い浮かばない。
「お兄ちゃん! 柳お姉ちゃん、どうしちゃったの!?」
「次男坊に影響されてるんだよ。夢華、お前も東富士の演習場で全く同じ状態だったんだぜ?」
「ええ〜っ!?」
その時だ、火球が無数放たれ周囲を火の海に変えていく。まずい、と夢華は直感的に感じて目を黒い光に満ちさせ、辺りを水浸しにして消火した。
水浸しになった中庭はしばらく火の手が及んでもすぐに消えてくれそうだ。
しかし、その見境のない暴れっぷりに啓吾は悪態をつく。
「次男坊め……!! 南天空太子になっても性格の歪みは相変わらずか?」
「すごい破壊力ですね、姉さんの倍でしょうか」
「倍ってレベルじゃない。あいつは火の神そのものだ」
あいつの性格にピッタリな力だとは思う、と敢えて啓吾は言わないが。
すると南から火の塊に向かって戦闘機が次々とやってくる。間違いなく攻撃する気だ!
「またアメリカ軍か!」
「本当に懲りないですね」
「秀お兄ちゃん!」
そして、火球に向けて攻撃は開始された。ミサイルが次々と撃ち込まれ火球から多くの爆発が生まれる。それで火球の中にいる青年が落ちればこの業火は鎮まるはずだった。しかし、その攻撃が更なる悪夢を生む。
火球が一気に消え去り、その中から深紅の衣を身に纏った火の力を司る青年が黄金の目をして姿を表したのである。
その姿華麗にして鋭気を纏う、まさに南天空太子の姿であった。
戦闘機を操縦していたアメリカ兵達はそれに目を奪われる。火球の中に人がいるとは知らされていなかったのである。
「あれは……!!」
「人だ……!!」
「いや、違う!! 火の神だ!!」
次の瞬間、南天空太子の目がさらに黄金に光り、戦闘機は火に飲み込まれて一瞬のうちに消え去る。それが起こったと同時に柳も声を発した。
「南、天空……太子……様……」
「柳? くっ!?」
高熱が柳を取り巻く! 体がふわりと浮かぶ! そして……、弾ける!!
「柳!」
「姉さん!!」
「柳お姉ちゃん!!」
まばゆい光が周囲を突き抜けたあと、暖かな炎が辺りを照らした。そして、啓吾達の心に温かく苦しい何かが伝わってくる。
「お姉、ちゃん……?」
柳の心に触れた性なのか、夢華の目からポロポロと涙が溢れてくる。そんな夢華の頭にポンと啓吾は触れた。
この苦しみを知っている、この切ない恋を自分達は確かに遠い過去に見ていた。
「柳泉……」
それからすぐだった。炎の中から涙を流す紅い衣を着た少女が現れたのだ。
「姉さん……」
「お姉ちゃん……」
きっと妹達の声など届いてはいない。涙を流す柳泉に啓吾は一歩歩み寄りそっと告げる。
「行け、お前の主の元へ……」
柳泉に通したのだろうか、啓吾を見る目が一瞬変わったのを感じた。そして、彼女は舞い上がる。
二百代の時を越えた思いがここにあった……
柳ちゃん覚醒!!
ついに二百代の時を越えた恋はどうなるのか!!
にしても、啓吾兄さんの思ってるとおり、本当に火の力って秀らしいなあ。
それに破壊してるときも秀の性格の歪みが見えるって……
まあ、暴走状態なんだから許してやって下さい。
そして、そろそろ天空記第二章もクライマックスを迎えます。
一章よりも短い話にしてはしまいましたが、その分三章にまわしてやろうかなあとも思ってますので許してください(笑)