第七十九話:明かされた真実と思い
最上階の薄暗いスウィートルームは静かに時を刻み始める。それも二百代の時を飲み込んでいくかのように……
ベッド脇に置かれたオレンジ色のランプと王室で焚かれてそうな香草の匂いが立ち込め、それは怪しい雰囲気を生み出し、まさに恋人達が一夜を過ごすにはもってこいといった部屋だった。
しかし、今この部屋にいる美男美女はこの部屋にあった容姿の持ち主だが、けっしてそんな関係ではない。
女の方は美しき体のラインを強調する艶かしいドレスとヒールの高い靴を履いて、いかにも目の前の美青年を挑発しているかのよう。
しかし、美青年の方はまるで興味を示しておらず、ただ美しき微笑を浮かべているのだった。
「あら、ばれてたのかしらミスター秀」
「ええ、弟ほどではありませんが僕も匂いや気配には敏感な方なので」
その答えにセディは微笑を浮かべ、部屋に作られたバーのカウンターに腰掛け足を組んだ。
「そう、それよりなにかいかが?」
「結構です。あなたに何かご馳走になっても血肉の味しかしないでしょうし」
「フフッ、血肉の味ね。本当、調査させていただいた通りの饒舌だわ。まるで美しき薔薇のよう」
「ご理解いただいてるなら結構。それよりまず謝っていただきましょうか。あなた達のお遊びに付き合わされたおかげで、こちらは余計な時間を割く迷惑を被りましたからね」
「あら、あなただってハワード財団の株を暴落させたじゃない」
「ハワードそのものを消しに行っても良かったんですが、僕がそんな暴挙に出るとまた兄が気苦労しますからね。仕方なくその程度にしておいたんですよ」
秀の声は至って冷静だった。しかし、言っていることは真逆で、いつでもこちらは叩き潰す力を持っていると脅迫していることには違いない。
そして、秀が言っていることは力無き者が吠える虚言とは違うためセディはクスクスと笑った。
「フフッ、本当優秀ね。ハワードがなんとしてでも手に入れたいだけはあるわ」
「ハワードだけではなくあなたもでしょう、ミス・セディ」
「ええ、是非ともね。だけどあなた自身を手に入れたいと叫ぶのは二百代前の私、妖姫」
セディは秀の目をじっと見つめた。どうやら沙南の言ってたことは真実だと受け入れるしかないようである。
二百代前、恋愛事で柳泉を苦しめていたという妖姫。それを認めてしまうと自分の心の奥がひどく疼き出す。しかし、秀はそれを抑えて会話を続けた。
「……ハワードもやはり天空記に関わっていたと理解してもよろしいのでしょうか?」
「関わっていたというより、天空記に記されている一民族の末裔といった方が正確かしら」
「そうですか。それでその末裔が僕達にちょっかいをかけてくる理由を教えていただけますか? まさか天空記に記されているだけという理由で僕達を襲って来たはずもないでしょうし」
セディは足を組み直した。そして、カウンターに置かれていたカクテルを一口飲む。
「もちろんよ。確かに天空記にはあなた達の力のルーツが記されているけど、現代における私達の要求はあくまでも一つ。ミスター秀、あなた達の力をハワードに貸してはいただけないかしら?」
「嫌ですね。先日も兄がお断りしたはずです。何より僕達にメリットがありません」
秀は鼻で笑った。しかし、セディは続ける。
「メリットはあるわよ。その前にミスター秀、あなたは日本は好きかしら?」
「純粋に文化という面においては好きですが、汚れた国だとは思ってますよ。事実、高原に命じられるままに動いたクズを見てきてますからね」
もし、龍がこの場にいたら、おそらく彼が告げているだろう言葉を秀は選ぶ。半分は秀の本音ではあるが……
「だけどその高原がいなくなり、第二の高原の座を狙うものが今度はあなた達を狙ってくるでしょうね」
「ええ、本当に煩わしいことですよ」
「ならばハワードの元に来なさい。あなた達の才能や力を彼等から守ってあげるわ。特にミスター秀、あなたほどの優秀な人材が日本なんて檻に捕われていていいはずがないもの」
「それは正当な評価をしていただいてるようですが、ただでとは言わないでしょう?」
「フフッ、それほどハワードが嫌いなの?」
クスクスとセディが笑うと、秀は近くにあった椅子に腰掛けた。
「当然ですよ。僕は医者を目指してますからね、戦争ビジネスが大好きなハワードのもとになんて行く気もありませんし、先程のロバートという解剖マニアがいるような医療機関なんて真っ平です」
「まあ、あの男のことまで調べていたの?」
「調べたのは僕ではありませんがね。ただ、兄が直接出向いてるので彼の身の安全は保障出来ませんけど」
「構わないわよ。ドクター龍の逆鱗に触れるか触れないかなんて私はどうでもいいもの。だけどあなたに触れるのは面白いかもしれないわね」
セディはカウンターから立ち上がり秀の前に立つと、その頬に怪しく美しい指が触れる。
「……何の真似です」
「フフッ、そう野暮でもないでしょう? ミスター秀、あなたは私のパートナーとなりなさい。私は南天空太子としてではなくあなた自身が気に入ったわ」
「遠慮しときます。あなた達が調べた通り、僕には大切な人がいますからね」
「だけど先程のあなたの言葉を聞く限り、あなた達が恋人同士ではないと分かったわ。それにレストランの話も盗聴させていただいたけど、この指輪も発信機だったのでしょう?」
セディは指輪を秀の前にかざすと秀は形の良い眉を顰める。
「かつてあなた達天空族と私達夜天族の間は戦が続いていてね、私達はその掛橋となるはずだったのよ。いかがかしら、二百代の時を越えて愛し合う二人というのも素敵ではなくて? ミスター秀」
妖艶な笑みを浮かべてセディは秀の首筋に腕を回し、豊満な胸を押し付けるかのように体を密着させると秀の鼻に香水が掠める。危険な、まるで男を惑わす香り。
すると秀は一つ深い溜息をついて、ゆっくりとセディの腕を解いた。
「……なるほど、それで柳泉は泣いていたわけですか」
「失恋したんだもの、仕方がないわ」
「いえ、勘違いさせたのですね」
「えっ?」
セディの手から指輪がとられ、秀は自分の手元に戻って来たことに少し微妙な気持ちになりながらも、笑みだけは浮かべた。
「すみませんレディ、まずこの指輪は返してもらいます。それとあなたの勘違いを正しておきましょうか。この指輪は紛れも無く本物です。柳さんの誕生石はルビーなんでね」
「なっ!」
予想通りの反応に、秀はさらに相手を追い込んでいく言葉を遠慮なく吐き出していった。
「さらに二百代前の僕はあなたに手など出してはいなかった。あなたは「掛橋になるはずだった」といった。つまり僕達は何もなかったということです。
何よりあなたを見ても、僕の心はあなたを美しいとすら思いませんでしたから」
それはセディにとっては屈辱的な言葉だった。少なからずとも、彼女は自分の容姿に絶対的な自信をもっていたのだろうから。
「だけど一つだけあなたに感謝しています。今回の騒動で僕の気持ちははっきりしました。南天空太子が柳泉を思っていたから僕も柳さんに惹かれる、長い間そうとばかり思ってましたけど、どうやら僕は彼女自身に惹かれてるみたいです。
そう思えば二百代の時を越えた恋愛、彼女を僕のものにするには大歓迎な理由です」
「ミスター」
秀はセディの唇に人差し指で触れた。
「僕の名前を呼ぶのはやめていただけますか、レディ」
「くっ……!!」
「それと一つ忠告しておきましょう。僕達兄弟は踵の高い靴を履く女性は好みではないので、すぐに僕の前から消えていただけますか?」
病院でされた啓吾の忠告がセディの脳裏に過ぎる。セディは秀に背を向けてカウンターの方に歩き出した。
「そう、二百代前も現代も私はあなたに振られたのね」
「ええ、ご理解いただけたようで」
「それは残念だわ」
「なっ!」
突然椅子から体の自由を奪う鍵をかけられたかと思えば、さらに分厚いガラスの壁が秀を取り囲み天井からガスが噴き出した。
「うっ……!!」
「さすがの南天空太子も神経ガスには弱いでしょう? 出来ればあなたを私のパートナーとしてアメリカに連れ帰りたかったけど仕方ないわね」
秀はそれでも必死に抵抗しようと鍵を壊そうとしたが、力がどんどん抜けていく。
「ミス柳のことは安心なさい。二百代前と同じようにあなたの元から去らせてあげる」
「や……なぎ……」
泣いている柳の表情が脳裏に過ぎった後、秀は意識を失った。
ええ〜〜っ!! 発信機付きの指輪じゃなくて本物!?
一体あなたの財産ってどうなってるんですか!?
じゃなくって、秀は本物の婚約指輪を誰にも明かさずちゃっかり柳ちゃんにはめていたと……
相変わらず侮れない次男坊のようで……
だけどセディは現代でも二百代前でも秀に振られた上にあそこまで毒舌をはかれてしまい……不敏っ!!
でもセディがちょっかい出さなかったら秀は自分の気持ちを過去の自分の性だとしか思わなかったということなので。
じゃあ、一体いつ頃から今回の計画を立ててたんだ?
相手を追い詰め、柳ちゃんも口説いて楽しもうなんて本当秀らしいですが……