第七十七話:バイキング
バイキングレストランに入った弟妹達は、ウェイターから席に案内されたあとバイキングの説明を受ける。どうやら閉店まで時間無制限らしく、翔の表情はパアッと明るくなった。
そして、それが終われば早速と言わんばかりに天宮家の年少組は駆け出し、有り得ない量の料理を両手だけではなく頭の上にまで置いてテーブルに運んできた。落とさないあたりはさすがというべきところか。
周りから痛いほどの視線を浴びるが、やはり当人達は気付いてはいない。
「翔君、一体何なんですかその料理の数々は」
「ここの料理全制覇するって言ったじゃんか。やっぱりバイキングに来たらここにある料理全て食い尽くさないとな!」
「全く……、ここのシェフも管理者も大変でしょうね。きっと今日まで黒字だった経営が一夜にして赤字になったことでしょうよ」
「別にいいじゃん。ハワード財団が管理するレストランが一つ潰れたって、兄貴にとっては大歓迎であっても心が痛むことはないだろ」
「ええ、もちろんそうですけど、味わいもせず消費されていく高級食材があまりにも不敏でならないのですよ」
キャビア、フォアグラ、フカヒレといったようなものまで食べ放題というわけなので、少しは味わえと、寧ろ味わうためのバイキングに違いないのだろうが翔には縁のない話である。
その高級食材の数々はあっという間にテーブルから消え、綺麗な皿のみが残るのだった。
「よし! 次はデザート全制覇してやろうぜ!」
「うん!」
「夢華もいく〜!」
「すみません、ちょっと行ってきます」
これ以上騒がしくしては一般客にも迷惑だろうと、紫月は三人を追いかけた。本当に動きやすいチャイナドレスで良かった、と心から思いながら。
そして、良かったと思っていたのは紫月だけではない。沙南がニッコリと笑って秀に告げる。
「本当バイキングがあって良かったわね、秀さん」
「全くです。危うく僕がバイトしても金欠になるところでしたよ……」
清々しいまでの食べっぷりを見せてくれる天宮家の年少組を見て、秀は心の底からそう思うのだった。
もしもこれがオーダー制だった場合、さすがの秀でも今月は節約生活を強いられた気がする。
とはいっても、秀も彼等の兄だけあって、ちゃっかりもとを取るだけの量は食べてはいるのだけれど。
「じゃあ、僕もコーヒーでも取って来ますけど、沙南ちゃんと柳さんはどうされます?」
「よろしくね!」
「すみません、お願いします」
かしこまりました、と微笑んで秀はドリンクバーに向かっていく。
当然のようにコーヒーはインスタントではなく豆からひくのを見せている辺り、ここのバイキングレストランもやはり高級と印象付けてくれていた。
女性に差し出すコーヒーとあれば、おそらく秀は少しこだわりをもっていれてくるだろうなと思いながらも、どこかいつもより警戒心のない秀に何となく疑問を持った。
「う〜ん、らしくないというかいつも以上に浮かれてるわね」
「えっ?」
「秀さんよ。こう敵地に乗り込むときの秀さんってもっとこう、優美な笑みを浮かべていても隙がなくて刺々しいっていうのかな、こんなに柔らかくはないイメージなんだけどな」
翔君じゃないんだから食事に浮かれる事もないだろうし、と付け加えると柳はくすくす笑った。
しかし、沙南がいうことは確かにその通りで、何度か敵を前にした秀を見て来たが彼は笑っていながらも警戒を解くことはしなかった。
特に敵地に乗り込んでいるにも関わらず、彼は本当にこの時間を楽しんでいるような気がする。
その理由は分からないが、一つだけ彼が楽をしてる理由はある。
「そうかもしれないけど、兄さんも紗枝さんもいるから少し気が楽なのかな?」
「それもありそうだけど、こっちの方が原因だったりして」
「沙南ちゃん!」
沙南は柳の左手を取り、ちょんちょんと指輪を突く。薬指にはめられたそれは、ものの見事に虫よけにもなってくれてるようで、ここに食事に来ている男性陣達はもう相手がいるのかと諦めているようである。
「だけど本当に綺麗。やっぱり本物の婚約指輪?」
「あのね沙南ちゃん、これはね!」
必死で沙南に弁明しようとしたとき、柳のドレスの襞に小さな手が触れ柳は視線を落とす。
「お姉ちゃん、トイレどこ?」
尋ねてくる小さな女の子に、柳は優しい笑みを浮かべて席から立ち上がった。
「沙南ちゃん、ちょっと行ってくるわ」
「うん」
女の子の手を取り、柳はレストランから出ていった。こういうところで誰かに任せないあたり、本当に彼女は優しく魅力的である。
そして、柳と入れ違いに盆にコーヒーを乗せた秀も戻って来た。
「あれ? 柳さんは?」
「小さな子のお手洗いの付き添い」
「ああ、柳さんらしいですね」
「本当。初めて翔君達が会ったときも傘貸してくれたのよね」
「そういえばそうでしたね……」
天宮家と篠塚家の関わりを深めたのは柳が差し出した一本の傘から。それがすべての始まりで今という繋がりをもってるというのも確かで。
秀は沙南の前にコーヒーを置き、それに沙南は礼を述べて口付ける。さすがは秀といったところか、甘さ調整は抜群である。
「だけどね、まだそんなに日は経ってないのに、何だかずっと前から柳ちゃんと付き合ってる気がするのよね」
「全くですね。唯一信じてもいいと思う因縁なんでしょうかね」
天界の夢を見れば現実と混同したくないと思う。いくら純が北天空太子として覚醒したとはいえ、まだ読んだこともない天空記の存在に振り回されるのは御免だと秀は思っている。
しかし、篠塚家との出会いまで否定する気はない。それだけ彼等を、そして従者だったという柳泉と同じ顔をした柳の存在を秀は受け入れていたのだから。
そんな滅多に見せることのない秀の表情にポツリと沙南は零す。
「そういう顔してるのに……」
「えっ?」
「今夜柳ちゃんを婚約者にして、何か企んでる秀さんには教えたげません!」
なるほど、柳を大切に思っている沙南らしい発言だと秀は思う。啓吾と感情表現が違っているとしても、大切な親友が自分の企みだけに利用されるのを潔しとしてくれるほどこの少女は寛大ではない。
そっぽを向く沙南に秀は微笑を浮かべて告げる。
「知りたいですか? 柳さんに婚約者になってもらってる理由」
「えっ?」
「その理由、実は二つあったりするんですけどね」
秀はそっと沙南の耳元で一つ目の理由を簡潔に告げた。
そしてその頃、龍達はありとあらゆる情報をロバートから聞き出したあと絶句していた。しかもそのうちの一つが目の前に現れたのだから。
「……そんな」
「おいおい、嘘だろ……こりゃ夢か?」
紗枝と啓吾はそうとしか発することが出来なかった。しかし、それは確かに自分達の前にいて牙を向いている。
「夢じゃないみたいだな、グリフォンだ……!!」
幻想獣が目の前に現れたのである。
敵地でも食事はきちんととるのが年少組です。
まあ、敵も毒なんか入れてこないだろうと思ってますからね(笑)
そして相変わらず秀は柳ちゃんを婚約者に仕立てているのは何か訳ありな御様子で。それも二つ??
沙南にわざわざ耳打ちしてるということはまだ誰にも明かしてない内容みたいです。
だけど医者チームの前にはいきなりグリフォンが現れてるみたいで……
一体どれだけ妙な話になっていくんだ!?