第七話:来客者
沙南の父親であり、聖蘭病院の医院長である折原誠一郎は患者と接することより権力を持つものと接することが一日の仕事だった。
もちろん、龍も病院を尋ねてくる権力者の相手をするのも医院長としての仕事だと理解はしている。祖父が医院長をやっていた時代も様々な客がやって来たものだ。
しかし、祖父はけっして権力者達に取り入ろうとはしなかった。病院に儲け話を持ってきて見返りを求めるものなど客として迎える事もなかった。
だからこそ今の聖蘭病院は変わってきているのだ。
「ようこそいらっしゃいました、郷田先生」
誠一郎は人の良さそうな笑みを浮かべ、ペコペコと頭を下げる。医院長室には大柄な中年の政治家が人受けだけは良さそうなスーツ姿で堂々と訪れていた。
ただ、天宮家の面々がこの場にいたらかなり辛辣な評価を下してくれるに違いないが……
「どうぞ御掛け下さい。今日はどのような御用件でしょうか?」
相手を不快にさせない当たり障りのない質問を郷田に投げ掛ける。そして牛革のソファーに深々と腰掛け、葉巻に火を付けながら郷田は答えた。
「今日は私用で来させてもらった。医院長には私の息子とそう歳の変わらん娘がいるそうじゃないか」
「はい、御恥ずかしながらかなり手を妬かされてますが……」
「ハッハッハッハ……! まだ若いのだから当然だろう。だが、名門・聖蘭女子大学の医学部に入った才女で器量良しだと聞く。そこでどうだ? 私の息子の嫁にならんか?」
「郷田先生のですか!?」
誠一郎は飛び付いた。郷田は政界においてかなりの影響力を持つ人物だ。聖蘭病院にとってはまさに宝船が数隻やって来たような話である。
もちろん其の代わりに、と郷田はすぐに条件を出したいところだったがその内容にまだ踏み込むことを思い止まった。まずは足場を固め、それからじっくり攻めようと思ったのだ。
「そうだ。そして将来は君の秘書として使ってやってくれ。悪い話ではないだろう?」
「それはもう、さぞかし優秀な御子息でありましょうな」
娘の気持ちなど考えもせず、誠一郎はホクホクした表情を浮かべていたが、彼にとっての目の上のたんこぶがタイミングよく現れる。
「失礼します」
二人の話を遮り、龍は礼もせず医院長室に入ってきた。普段の龍ならまずそんな無礼を働かないが何やら少々機嫌が悪そうだ。
けっして昨夜の誠一郎との口論だけが原因ではなさそうだが……
「天宮先生、今は来客中なのだから後にしたまえ」
「いや、構わないよ。ドクター龍と名高い青年には一度会ってみたかったからね」
郷田はソファーから立ち上がる。彼のターゲットと平和的に接触するまたとない機会が飛び込んで来たのだから。
「私は厚生労働省の郷田というものだ」
郷田は龍に手を差し出すが、龍はそれを取らず会釈して挨拶した。
「天宮です。御取り込み中大変申し訳ございませんが、医院長にオペの許可を頂きたく参りました。出来るだけ早く資料に目を通していただけるようお願いします」
龍はわざと誠一郎の前に書類を置く。その態度は「仕事をしない医者」に対する当て付けのようだった。
そして、一礼して医院長室から出ようとした龍を郷田は呼び止める。
「待ちたまえ天宮君、君は医院長の娘と住んでいるようだが彼女とは恋人同士なのかね?」
いきなりの問いに誠一郎は驚きを隠せなかった。これで龍が沙南の事を思ってるなどと答えれば、間違いなく郷田との関係は危うくなる。
頼むから余計な事を言うなよ、と誠一郎は龍に強く訴えるような視線を向けるが、龍はそれに気付いている気配すら見せない。というより、気付いていてもまず取り合わないだろうが……
少しだけ沈黙した時が流れた後、龍は静かに、しかしはっきりとした意志を持って答えた。
「…残念ですが沙南は大切な僕達の家族です。仕事がありますので失礼します」
それだけ言い残して医院長室を後にした龍に、郷田はふむと納得してソファーに座り直した。
「なるほど、やはり有能な青年だ」
「はい、医者としてはかなりの腕を持っておりますが……」
「違うな、君の娘が私の息子と結婚するのは家族全員大反対と言われたのだよ」
「えっ!?」
『やはり一筋縄ではいかないか』
心の中で郷田は舌打ちしたが、龍と接触出来たことに満足感を覚えるのだった。
そして、医局へと戻った龍は先程のことに苛立ちを覚えつつも物に八つ当たりすることなく自分の席に腰を下ろすと、隣の席を与えられていた啓吾は一旦ペンを置いた。
「よう、おかえり。医院長は許可出しそうか?」
「その前に面倒を抱えてきそうだ。厚生労働省の郷田と会ってたよ」
「ああ、よりによってババを引いちまったか」
結構手厳しい評価だが龍もそれを否定するつもりない。郷田の噂で良いものを聞いたことがないのだから仕方がないのかもしれないが。
「しかもうちの同居人の婚約話まで持ち出してな」
「まさかその娘って医院長の娘とか?」
「なんだ? 知ってたのか?」
「うちの柳の友人だ……」
また繋がりが出来た気がした。医院長のようなタイプは娘の交友関係でも利用しそうだ。柳の事を知れば、自然と自分にも面倒事が降ってきそうな気がする。
「まったく、おとつい偶然に会ったら傘を返せって言ったばかりなのに、必然的に天宮家と関わるようになって来てるじゃねぇか」
タバコに火を付けて啓吾は煙を吐き出した。日本に来てから天宮家と関わることばかりが起きている。それも家族全員だというのだから不思議なものだ。
ただ、龍はそれも一つの縁だろうと思うらしく口許を緩める。
「まぁ、悪くはないだろ。それに親戚になる可能性まで出て来るかもな」
「んあっ?」
「うちの末っ子と夢華ちゃん、手を繋いで楽しそうに学校に行ってたぞ?」
「転入二日目でやめてくれ……」
シスコンである啓吾にとってそれは悪夢である。小学生の恋愛、ましてや恋愛というより一緒にいたいから一緒にいるような末っ子達に啓吾は脱力感、いや打ちひしがれていた……
そこに本日夜勤の紗枝が入って来た。
「おはよう。あら、啓吾先生何沈んでるの?」
「おはよう、娘を嫁に出す父親の気持ちを味わってるみたいだね」
それは気の毒ね、と紗枝は自分の机に鞄を置いた。本当にそう思ってはまずいないだろうが。
「龍は良いだろうよ、華やぎが増えるだけだろうし」
「確かに華やぎがある子だったね」
見ていてこっちまで明るくなるよ、と言わんばかりの笑みを龍は浮かべる。
「啓吾先生は彼女いないの?
「先日口説いた事は御忘れですか?」
「あら、逆に振られた方かと思ってたけど?」
鮮やかな切り返しに啓吾は笑うしかなかった。「面倒だから私と深く関わるつもりがなかったのでしょ?」とそのいたずらな表情には書かれているようで。
しかし、どうやらそういうわけにはいきそうもない空気に啓吾は白旗をあげる。何よりいい女には違いないので、悪友になれそうだと直感が告げる。
「まぁ、冗談はさておき、しばらくうちの病院はゴタゴタしそうね」
「患者にとってはいい迷惑だよ」
全くである。医院長も医者なら少しは医者の本文を全うしてほしいものだと、龍は話しながらカルテを全て書き終えたのだった。
「だけど龍先生、今クビにならないで頂戴ね。夏のボーナス楽しみにしてる家族がいるでしょ?」
「ああ、予定もぎっしり詰め込まれてるし頑張るさ」
時期は七月に入る直前だった。
龍先生、少しずつストレスが溜まって来てます(笑)
普段は礼節を守りますが、数日医院長が気に入らないのと沙南の婚約話を聞いて無意識の内に無礼な行動に出てます。
だけど「私の恋人です」と嘘でも言えないのが龍らしさです。
龍と沙南が接近するのっていつなのかなぁ??