第六十九話:水着
百メートルがこんなに遠かったかしら……、と沙南は思う。まだパーカーを着たままだというのに一体何人のナンパ男達をかわし、何組のカップルが喧嘩して、何人の渚の美女からチクチクとした視線を受けてるか分からない。
しかし、柳はやはり優しいのか出来るだけ相手を傷つけないようにごめんなさいと頭を下げている。
それがナンパ男をより引き付けてしまうと彼女は気付いていないようだ。
「しつこい! どっかに行って頂戴っ!」
ついに沙南の勘忍袋の緒がキレる。それで沙南からナンパ男達はやっと離れてくれたが、傍に柳がいない。
「柳ちゃん!?」
辺りを見渡せば、柳にはナンパ男ではなくヤンキー系の女がいちゃもんを付けているのを発見した。
それを律義に聞いているのが柳らしいと沙南は親友の元に駆け出そうとしたが、また彼女の前に新たな男の群れが立ちはだかる。もう本当に煩わしくて仕方ない!
「どっきなさいよ〜!!」
沙南は腹の底から声を上げるのだった。
一方、柳はナンパ男に頭を下げ倒してようやく切り抜けたあと、順番と言わんばかりにいちゃもんを付けられホトホト困り果てていた。
「ちよっとあんた! うちの拓也に色目使ったでしょ!」
「そんな……使ってなんかいません」
「嘘言いなさいよ! マジでムカつくんだけど!」
啓吾が傍にいないだけで何故ここまで言い掛かりを付けられやすいんだろう……、と柳は思う。
沙南のようにきっぱり言い切る度胸があればこんな状況軽く抜けられるのだろうが、生憎自分にはそんなものは持ち合わせていないのだ。
「あやまんなよ! 色目使ってごめんなさいって」
「……ごめんなさい」
「何その目、まるで自分は悪くないみたいな感じでさ! いい加減に!」
女の平手打ちが飛ぼうとした時、それを止めるシスコンが現れた。
「兄さん!」
「すまない柳。次男坊が傍にいたらやっぱり逆ナンの嵐でちょっと来るのが遅くなった」
ニッと向けられる笑みに柳は安堵する。そして啓吾は遠慮なく女の腕を乱暴に振り払った。
「いったぁ! 何すんのよ!」
「そりゃこっちのセリフだ。うちの妹に変な言い掛かりばかり付けんじゃねぇよ貧乳」
「なっ!」
女は絶句した。いきなり出て来たシスコンに貧乳呼ばわりされてすぐに切り返せる思考の持ち主ではないらしい。
「それに彼氏一人捕まえておけない女がうちの妹に勝てるわけがないだろ。分かったらさっさと消えろ」
「ムッカ〜! 何よシスコン! あんたなんか女一人捕まえられないんじゃないの!」
「俺は理想が高いからな。お前程度じゃ満足出来ないんだよ」
勝ち気な笑みを向ければ、女はさらに怒りで顔を真っ赤にした。柳はなんでこう人に油を注ぐのかと思うが、啓吾にしてみればまだ次男坊より優しい言い方だろうと自負している。
とりあえずこんなバカ女にこれ以上関わりたくないと、啓吾は柳の肩を抱いてくるりと女に背を向けた。
「行くぞ、柳」
「う、うん……」
真っ赤になって怒鳴り散らしている女に、柳はごめんなさいと内心で謝罪しながら、二人はその場から去っていった。
それからようやくまともに砂浜を歩けることに安堵しながら、柳は啓吾に尋ねた。
「兄さん、秀さんは大丈夫なの?」
「次男坊? 気にするなあんなの。ナンパの百回ぐらい軽くかわす男だろ」
犠牲者に仕立て上げて柳の元に駆け付けた啓吾は当然の役回りだろうと特に気にした様子もない。
だが、啓吾は秀の実力を見誤っていた。地獄から帰還した青年はようやく彼等の元に辿り着いたのである。
「ええ、ちゃんとかわしてきましたよ」
後ろからかかった声の持ち主は笑顔ながらも青筋を立てている秀だった。多少お疲れ気味なところもあるようで、彼が羽織っていたシャツはしっかりシワになっている。
啓吾はそれに満足感たっぷりの笑みを浮かべて告げた。
「遅かったな、次男坊」
「ええ、僕は啓吾さんよりいい男ですからね、本当大変でしたよ!」
人をよくも犠牲にしたな、と笑顔の裏にバッチリ書かれている。柳はそれを見て一歩後退した。秀の性格は兄より分かっているからだ。
「だけど僕だけ幸せな目に遇うなんてやっぱり不公平だと思いましてね!」
秀は啓吾の腕を掴み高く上げて叫んだ。
「皆さん、この人はフリーですからどうぞ御自由に!」
それを聞いた渚の美女やおば様方が放っておくような容姿を啓吾はしていなかった。
美少女の部類に入る妹達の兄、そして節操無しと評価を受ける男が世間一般男性より魅力的じゃないわけがない。
秀は啓吾の背中をトンと押して一人の渚の美女にぶつけた。それから押し寄せてくるのは地獄という名を持つハーレムだ。
「お兄さん、私達と遊ぼう!」
「お兄さん色白いね、可愛い〜!」
「小娘どきな! 坊や名前は?」
「おばさんは引っ込んでなよ!」
次々と寄ってくる女の波に飲み込まれ、それを満足そうに秀は見て、柳の肩に腕を回して楽しそうな笑顔で告げた。
「さっ、柳さん行きましょうか」
「えっ! でも兄さんが!」
「大丈夫です。啓吾さんは渚の美女がお好きでしょうし、ここで彼女でも作っていただければ僕もとっても嬉しいですから!」
彼女が出来てシスコンが治れば紫月ちゃんも喜んでくれますし、と告げれば女達の波に溺れながらも啓吾は声を張り上げた。
「オイコラ次男坊!!」
「心配しないで下さい。柳さんは僕が責任を持って守りますから! どうぞお幸せに!!」
ワタワタと柳は慌てるが啓吾を助けにいく勇気も秀に回された腕から抜ける力もないため、兄の無事を願うことしか出来なかった。
それから天宮家が陣取っていたビーチパラソルの元へ辿り着くと、二人に気付いた沙南が手を振って声をかけた。
「秀さ〜ん! 柳ちゃ〜ん!」
「おや?」
ビーチパラソルの下にいる美女の姿に秀の口元が吊り上がる。パーカーを脱ぎ捨て白のビキニ姿となった沙南に好感を覚えたからだ。
「二人とも大丈夫だった?」
「うん、兄さんが助けてくれたから」
「それで啓吾さんは?」
「渚の美女に預けてきました」
ニッコリ笑う秀と苦笑いする柳を見れば結論は簡単なこと。
「つまり犠牲者」
「いいえ、啓吾さんに彼女が出来てほしいという僕なりの気遣いですよ。ところで沙南ちゃん、その水着の兄さんの反応は?」
真っ白なビキニなんていういかにも清純さを表す色に龍が好感を抱かないわけがないと秀は予測していたが、沙南は一つ深い溜息を吐き出して答えた。
「紗枝ちゃんか……、だけよ」
「はい?」
「それからジュース買いに行ってくるって」
がっくりと沙南は肩を落とす。いつもなら似合ってるの一言くらい言ってくれるのにと残念そうだ。
「この水着なら龍さんを悩殺出来るって、紗枝さんのセンスなら間違いないと思ってたんだけど、龍さん今年は気に入ってくれなかったのかな」
やっぱりビキニなんて紗枝さんぐらい素敵な女性じゃないと着こなせないのかしら……、と続ければ、秀と柳は顔を見合わせた。
「あの、秀さん……」
「多分。逃げましたね兄さん」
どうやら二人は同意見らしい。そして落ち込む沙南に穏やかな表情を向けて秀は告げた。
「沙南ちゃん、自信もって着て下さい。それに兄さんと一緒にいない時は絶対それを来て一人で歩かない方がいいと思いますよ」
「でも、あんな表情されちゃうとちょっとショックなんだけどな」
「ただ照れ隠しに逃げただけだと思いますけど」
「私もそう思うな。沙南ちゃん凄く素敵だもの」
二人に言われると何となく心が軽くなる。沙南はありがとうと笑って柳のパーカーに手をかけた。
「ちょっと沙南ちゃん!?」
「泳ぎにいくわよ柳ちゃん! 早く脱ぎなさい!」
「沙南ちゃん、ちょっと待って!」
「秀さんに見せるために私と紗枝さんが選んだんだから観念なさい!」
元気を取り戻した沙南に柳は勝てるはずがなく、あっさりとパーカーは脱がされ彼女の水着姿はあらわになる。それに一瞬、秀の目は奪われた。
「う〜〜!!」
紅のパレオが巻かれた鮮やかな水着だが彼女の人生経験上、これほど肌を人前で曝したことはないというほど刺激的な水着だった。
沙南は悪戯っ子のような笑みを秀に向ける。
「秀さん、柳ちゃんに対する感想は?」
「……兄さんの気持ちが今痛いほど分かりましたよ。それに啓吾さんのこだわりもね……」
これだけ均整のとれたスタイルをした美女なんて沙南や紗枝ぐらいだと思っていたが、柳はそれプラス女性の繊細さまで兼ね備えたスタイルの持ち主だった。
啓吾が理想が高いといった理由が納得出来る。
だが秀は秀である。すぐに悪戯な笑みを柳に向けた。龍とは違って歯の浮くようなセリフがスラスラと出て来る。
「柳さん、これを僕のために着てくれたんですよね?」
「え、えっ、えっと、その……!! 紗枝さんに勧められたからでして……!!」
「とてもお似合いですよ。渚の美女なんて霞んでしまうぐらいにね」
「うう〜〜っ!!」
誰かこのストレートを止めてくれと思う。そして柳の肩に腕を回そうとした時、秀の後頭部に剛速球で投げられたビーチボールが直撃する。
「次男坊、テメェ〜!!」
「邪魔ですよ、啓吾さん!!」
「うるせぇ!! 今すぐ沈めてやる!!」
「いいでしょう! 返り討ちにしてやりますよ!!」
龍が戻るまでの間、ビーチボールがドッジボールになってたのは言うまでもない。
やっと二人の水着姿がかけました。(紫月ちゃんの書いてないじゃんか!)
とりあえず、沙南と柳のイメージを逆にした水着の色を紗枝さんは選んでくれたわけですね。
ですが彼女が選んでくれたものなので、結構大胆な作りをしているとご想像してくださるといいなと思います。
にしても龍……、逃げるって……
ヘタレ全開ですかあなたは……
そして秀も相変わらずストレートですね(笑)
まあ、啓吾兄さんが地獄からはい上がって来て恋人ムードを阻止したわけですが。
次回はいよいよ水上戦になるかと思います。
海を満喫している年少組と紗枝さんに魔の手が襲い掛かるのでしょうか……