第六十八話:海へ
オペ後の疲れもなんのその、黒いサングラスをかけた美女は裏道を車で快走して天宮家の別荘に辿り着いた。
彼女らしいそれなりに名のあるセンスの良い車から降りると、真っ赤なキャリーバックを引いて別荘の扉を勢いよく開ける。
「こんにちは〜!」
「あっ、紗枝さんいらっしゃい!」
沙南が笑顔を向けて出迎えた。それに遅くなってゴメンね、と告げてこの別荘の主に挨拶する。
「龍ちゃん、今年もお邪魔します」
「どうぞ、ゆっくり寛いで」
「そうするわ。今年は兄達が来ないからホント寛げそうだけど」
紗枝は苦笑いを浮かべた。
去年は紗枝の兄である森、そして宮岡と土屋も一緒だったのだが、今年は大事件が連続して発生したため、自衛隊も新聞記者も警察も休みが取れなかったようである。
その事件を起こした元凶達は申し訳なく感じるわけだが、紗枝にとっては海の公害が来なくて本当に良かった、と感謝しているぐらいだ。
寧ろ、あの兄には毎年夏が来なければ良いとさえ妹ながらに思う。
「紗枝、頼んでたものは?」
「ビールは一ケース買ってきました。ついでにおつまみもね」
「サンキュー」
そう言って立ち上がり、啓吾は残りの荷物を取りに紗枝の車に向かう。こういうところは本当に気が利く男である。
「じゃあ、早速泳ぎに行きましょう!」
「疲れてないのかい?」
「平気よ。だって年少組が行く気満々なのにダメだなんて言ったら可哀相でしょ?」
二階からは紗枝が来た、海に行くぞ、と賑やかな会話が繰り広げられている模様。確かに行かなければ年少組から批難の声が上がりそうだと龍は苦笑した。
「分かった。じゃあ、俺達は先に行って準備しておくからゆっくりおいで」
「ええ、よろしくね。それと龍ちゃん」
紗枝はニッコリ笑って龍の腕を掴むと、そっと耳打ちした。
「今年の沙南ちゃんの水着、去年以上に龍ちゃんのストライクゾーンに入れる気満々だから、気を抜いたら大変なことになっちゃうわよ」
「なっ……!!」
一体何を着せる気なんだ、と龍は酷く動揺した。そんな予測を裏切らない龍の反応にカラカラ笑いながら、また後でね、と紗枝は部屋に入って行ったのだった。
青い空、青い海、白い雲にさらさらな砂浜、おまけに照り付ける太陽……。この最後のものさえなければ……、と篠塚啓吾は頭にタオル、長袖の白いパーカー、そしてパラソルの下に座って影を落として一言呟くのだ。
「海なんて嫌いだ……」
「着いた早々どうしたんだよ……」
「確かに。てっきり渚の美女に鼻の下を伸ばすのかと思ってましたが」
「俺は理想が高いの。出るとこ出て括れるとこ括れて、しかもかなりの美女じゃないと興味ない」
普段はもう少し力説しそうな内容も、この太陽の下ではどうも乗ってこないらしい。
「だからといってその全身防備と傍にある日焼け止めは何なんだよ……」
「俺は直射日光嫌いなんだよ。日焼けすると痛てぇだろ」
「つまり肌が弱いと」
意外な弱点だな、と龍と秀は思う。まぁ、日焼け止めさえ塗っておけば問題はないということらしいが、わざわざ危ない橋を渡る面倒をしたくないというのが啓吾である。
「お兄ちゃ〜ん!」
砂浜を元気よく手を振って夢華が駆けて来た。その愛らしい姿に自然と龍達は穏やかな笑みを浮かべる。ピンクのワンピース型の水着は彼女のイメージにピッタリで、周囲の目も可愛らしいといったものだ。
そんな少女と対称的な兄の腕を掴んで、夢華は啓吾も楽しめるはずであろう提案を持ち掛ける。
「お兄ちゃん、泳ぎに行こう!」
「日焼け止めが落ちるからやだ」
「水泡で包んだげるよ?」
「そのあと水浸しだからやだ。末っ子と潜りに行ってこい」
「せっかく海に来たのに勿体ないよ!」
「毎年の事だろ? 泳ぎたくなったらそのうち行ってやるから遊んでこい」
「お兄ちゃんのケチッ!」
普段、八割方は夢華のお願いを聞いてやる啓吾ではあるが、本当に日焼けが嫌なのかさらにこの人ごみが嫌なのかただ単に疲れているのか、今日は拒否状態である。
すると高校生組と純が賑やかに会話しながらやって来た。翔の手にはカラフルなビーチボール。それを見て天宮家の二人の兄は笑う。
「兄貴達、ビーチボールやろうぜ!」
「去年のリベンジですか翔君」
「ぜってぇ今年は負けねぇよ! 啓吾さんもやるだろ?」
「パラソルの下で審判はつとめてやるよ」
大体、お前らと勝負して勝てる奴がいたら心の底から称賛するだろうよ……、と啓吾は思う。あの常識から外れた力がなかったとしても勝てる気が全くしないのが天宮家たる由縁だ。
だが、一緒に来たはずの二人の美女の姿がまだないことに啓吾は気付いた。
「紫月、柳達はまだ着替えてるのか?」
「ええ、すごく際どい水着を着るの着ないのと騒いでましたから、少し時間がかかるかと」
「へぇ〜、楽しみだな龍」
「いや……」
そう答えながら目を逸らして朱くなる龍に周囲は笑った。さすが二十三歳の恋愛初心者である。
そして、龍は何とか平静を保とうと心の中で葛藤する。朱くなるのはさっきの紗枝の言葉の性だ、と自分自身に言い聞かせて、きっと落とされるだろう核弾頭に備えることにした。
なんせ、紗枝が関わると沙南が家族ではなく女性だと意識させられ、そんな時に沙南の顔を見ると堅物、冷静、家来なんて言葉は一気に払拭させられて、とても落ち着いてなどいられないのだから。
だが、兄と全く違った反応を見せるのは秀である。慌てているだろう柳が容易に想像出来てニコニコと笑みが零れてくる。
「柳さんはどんな水着を着てくれるんですかねぇ? きっと凄く可愛らしいんでしょうね」
「次男坊っ! お前は絶対柳を見るな! 末っ子組のスキューバダイビングに付き合ってこい! そんでついでに二度と上がってくんなっ!」
「そんな勿体ないことするわけがないでしょう? それに啓吾さん一人で海の害虫全て沈めるなんて楽しいことさせませんよ」
海を背景にした笑みは間違いなく綺麗なのだが、なんでこんなに黒く見えるのだろうか……、と高校組は感じた。
それから周りが騒がしくなる。海で遊んでいるものの注目を一手に引き受けた紗枝は、それを気にせず歩いてやって来た。肩には鞄、手にはサンオイルだ。
一般より美意識の高い天宮家の面々でさえ、その美女には感嘆の声をあげる。
「ヤッホー! お待たせ! 今年の水着はどうかしら?」
羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てれば、そこには出るところが出て、括れているところは括れているという啓吾の言葉通りの体型があらわになった。
今年の彼女の水着はブラックのスーパーハイレグである。それをたやすく着こなしてしまう彼女はやはりお姉様という感じがした。エロカッコイイというのは彼女のためにある。
「随分大胆に決めたな」
「とてもお似合いですよ」
「紗枝ちゃんカッコイイ!」
「うん、カッコイイよ!」
天宮家の面々はそれぞれ称賛を送る。それにありがとう、と紗枝は笑顔で答えるが一名、紗枝の方を全く見ないものがいる。
「啓吾、あんたも一言ぐらいないの?」
「……その手に持ってるサンオイルを俺に見せるな」
「それが渚の美女に対する褒め言葉なのかしら!?」
ニッコリと綺麗な笑みを浮かべて啓吾の肩に手をかけると「パーカー脱がせて今すぐ塗ってあげるわよ!」と、紗枝は啓吾のパーカーを脱がせようと力技に走った。
しかし、それだけは本気で勘弁してくれ、と啓吾はすぐさま紗枝の手からサンオイルを取り上げ、それを意地でも取り返そうとする紗枝を動けないようにするため重力で縛り付ける。
そこまでやるか……、と周りにいる者達は思うわけだが、ふと、後から紗枝が着替えに行ったにも関わらず未だにこちらに来ていない女子大生達の姿が見えないことに龍は気付いた。いくらなんでも遅過ぎる。
「紗枝ちゃん、沙南ちゃんと柳ちゃんは?」
「そういやお前一緒じゃなかったのか?」
「ええ、更衣室で会ったけど、病院から電話があったから二人には先に行ってもらってたんだけど?」
十分は話してたから、と言えば龍と秀は顔を見合わせ、啓吾はまたかと脱力した。
「ここから更衣室までの距離は?」
「百メートルってところね」
つまりあの二人は百メートル歩くだけでも海の害虫達は寄ってくるということだ。しかし、助けに行かないわけにはいかず、夏の太陽が嫌いな兄は立ち上がるしかなくなった。
「じゃ、ちょっと行ってくるからお前ら先に遊んどけ」
「啓吾さんも先に皆と遊んでいても構いませんよ? 兄さんと僕で行ってきますから」
寧ろ龍だけでも大丈夫じゃないか、と思うのだが、啓吾は首を横に振った。
「……次男坊、お前男女両方相手にする気力はあるか?」
「はい?」
その意味はすぐに解明されることになる。
「ターゲット、分かれました」
「よし、各員戦闘配備。必ず捕獲せよ」
もう一つの動きが海で起ころうとしていた。
沙南ちゃんと柳ちゃんの水着姿は次回ということになってしまいました。
百メートルまともに歩けない彼女達は本当に魅力的なようです。
ですが紗枝さんがブラックのスーパーハイレグというカッコイイ水着を着こなしてくれてるので、そんなハイセンスお姉様が彼女達に押し付ける水着って……
にしても啓吾兄さん、本当に日に焼けるの嫌なんだ……
紗枝さんの水着姿よりサンオイルに目がいくなんて……
彼は無事に夏に打ち勝つことが出来るのでしょうか……