第六十話:妖姫
沙南は久々に天界の夢を見ていた。ただ、その夢は親しき者達との楽しかった日々ではなく、親友を思って心が切なく痛んだあの日のこと……
柔らかな桃色の衣に天女の羽衣を纏う沙南姫はその日、天空族の宮殿の廊下を悲しそうに歩く薄紅の衣を身につけた親友の姿を目にした。
「柳泉!」
声がした方に柳泉は目線を向けると、そこには心配そうな表情をして駆け寄って来る姫君がいる。
普段は会うことをとても楽しみにしているが、今日だけはタイミングが悪かったと柳泉は思った。
「沙南姫様……」
「敬称はなし! 一体どうしたの? 凄く目が紅いわよ?」
目の色自体は元々紅なのだが、泣いたあとを隠しきれていない。しかし、彼女は悲しい笑みを浮かべて言うのだ。
「元々この色ですから……」
「親友を誤魔化せるもんですか! 一体何があったの?」
チクリと胸が痛む。さらに昨晩の主とのやり取りを思い出し柳泉は俯いた。その様子にこれは彼女の主が原因だな、と沙南は察する。
すると沙南の後ろから妖艶な姫が歩み寄って来た。それに柳泉の表情がまた陰る。
「これは沙南姫様と柳泉。ご機嫌麗しく」
沙南は形だけの挨拶をして柳泉は深く頭を下げた。
この廊下を歩く女は滅多にいない。寧ろ限られたものしかいないと言ってもいい。
その理由はこの先にある部屋の主が自分のテリトリーを侵されることを最も嫌うからだ。それを知っているからこそ沙南は尋ねた。
「妖姫様、天宮に何の御用でいらっしゃったのですか? 特にこの先は南天空太子様の寝室に繋がりますけど?」
「ふふっ、その南天空太子様に会いに来たのです」
「ですが南天空太子様は気に入らない相手と会う趣味をもたれておりません。寝室になど行けば門前払いを受けることになると思いますが?」
沙南は珍しく攻撃的だった。しかし、妖姫はそれに全く動じず柳泉をちらりと見たあと沙南に投げかけた。
「沙南姫様、天空族と夜天族の間に絆という掛橋を作ることは素敵だと思いませんか? 長きにわたった戦の平和の象徴として私が南天空太子様の寵愛をいただければ、天空王様もさぞ心休まるでしょう?」
「おっしゃっている意味が全く理解出来ませんが」
沙南はすぐに切り返した。心中はとても穏やかではいられないが、恋愛に関して柳泉はこんなちょっとしたことでも傷ついてしまう少女だ。出来るなら一刻も早く妖姫を追い払ってやりたい。
しかし、そんな沙南の思惑など気にもとめていないのか、妖姫はクスリと笑って返答した。
「あら、沙南姫様は天空王様のお相手になるために毎日天宮に通っているわけではないのですか?」
「私を侮辱なさるつもりですか?」
ふわりと沙南の髪が揺れる。凛とした声と最高峰とされる力がこれ以上の無礼は許さないと妖姫に叩き付けられる。
さすがにそれは失言だったと気付いたのか、名門中の名門である沙南姫を怒らせるのは得策でないと妖姫は笑みを浮かべて謝った。
「申し訳ございません、沙南姫様を怒らせて天空王様に嫌われたくはございませんもの。やがては義兄になるのですから」
それに沙南はキッと妖姫を睨んで不快感を隠しはしなかったが、柳泉の心は潰されそうになる。すると妖姫は沙南の後ろに控えていた柳泉に命じた。
「柳泉、南天空太子様の元へ案内していただけますか? 従者としては主の幸せを第一に考えるべきですわよね」
「……畏まりました。沙南姫様、申し訳ございませんが執務がございますので」
どうして……、と沙南は言おうとしたが、柳泉の顔は南天空太子の従者となっていたため口出し出来なくなった。しかし、沙南の気がそれで収まるわけはない。
「柳泉、でしたら案内が済んだ後、すぐに私の元に参りなさい。南天空太子が何と言おうともです、いいですね?」
「はい、沙南姫様」
どうぞこちらへ、と柳泉は妖姫を南天空太子の寝室前まで案内し、主の顔を見ることもなくその場から去っていった。
それから柳泉は沙南姫の待つ客室へと足を運べば、やはり予想通り彼女は御立腹だった。
「柳泉っ! 一体どういうこと!? 秀太子はいつからあんな性質の悪い女に現を抜かすようになったの!?」
「いえ、沙南姫、南天空太子様は現を抜かしているわけでは……」
「柳泉も柳泉よ! 秀太子は柳泉一筋だったはずでしょ!? なのにどうして寝室に連れていったりするのっ!!」
沙南がテーブルをドンッと叩き上等品の茶器がカタカタと揺れる。これが名門の姫君のやることかと突っ込まれそうだが、こんな飾り気のないところが天空族に好まれる理由だ。
しかし、柳泉は従者の顔をして答えるのだ。
「……それでは困るからです」
「えっ!?」
「妹達はともかく、南天空太子様は天空王様を兄と共に支える役目を担っています。ならば当然、南天空太子様の隣に立つのは私というわけには参りません。私は従者なのですから」
「でも秀太子は柳泉に傍にいて欲しいんじゃないの!? 天空族の繁栄とか確かに考えてるかもしれないけど、柳泉の幸せを潰してまで手に入れたいなんて絶対思わないし、寧ろ最初から両方手に入れる人でしょ!?」
沙南の言う通りだ。それが南天空太子であり自分が支えるべき主だ。だからこそ主は戦い続けてしまう、守らなくてもいい自分を守るために……
「……主の本当の幸せを考えるのが従者の務め。そのためなら私はこの宮殿から去りましょう」
だけど……、と言おうとして沙南の視界が崩れていく。夢はここまでのようだ……
「柳ちゃん……」
沙南の目には涙が溜まっていた。自分の部屋で布団を敷いて眠っている少女と同じ顔をした柳泉の気持ちが痛いほどに分かったから……
沙南はそっと柳の髪を撫でてやると、彼女はそれに気付いて目を覚ました。
「……んっ、沙南ちゃん……どうしたの?」
「柳泉の夢を見てた……」
「そっか……」
柳は時計の針を見るともうすぐ起きなくちゃいけないなと思う。だが、どんどん覚醒していくと沙南が少し不安そうな面持ちを見せていることに気付いた。
「柳ちゃん、柳ちゃんが見る南天空太子の夢ってどんな感じ?」
ふと投げ掛けられた質問に柳はゆっくり考えて答える。
「……秀さんそっくり。だけどやっぱり違うかな」
「どんなところ?」
「そうね、柳泉にとって南天空太子は主、だけど私から見た秀さんは綺麗で優しくて、とても悪戯好きな人だもの」
そう答えて柳は小さく笑った。どんなに顔が似ていても夢と現実は違う、何より今の柳は泣いていない、そう思えば沙南は少し心が楽になった。
「ごめんね、柳泉が辛そうな顔してたから柳ちゃんもなのかなって思っちゃった。変だね、夢の話なのに」
「ううん、心配してくれてありがとう」
沙南の手をキュッと掴む。そこには二百代の時が経っても変わらない温かさがあった。
沙南ちゃんの夢の話となりました。
やっぱり前世でも沙南と柳は親友で、こうやって恋バナしてたんですねぇ。
今回の話は二章の一番最初に書いた秀の夢のあとの出来事です。
話が進んでいくたびにどんどん関わっていく内容になりますので楽しんでもらえたらなあと思います。
にしても……この話本当性質Sよりな人ほど柳ちゃんに優しく甘いですよねぇ(啓吾兄さんや紗枝さんもだし……)