第六話:勝者は誰?
勤務一日目から夜勤ということは聖蘭病院ではまずない。そういった意味でラッキーだったと思いながら、啓吾は愛しい妹達の待つ我が家へと帰り着いた。
「ただいま」
「おかえり、お兄ちゃん! 今日ね学校でいっぱいお友達が出来てね、天宮純君って男の子がすっごく優しいんだよ!」
「天宮って……」
夢華はきゃっきゃと騒ぎながら兄に飛び付いた。近所で天宮というならおそらく龍の弟なのだろう。
「それでね、純君の家に遊びに行ったら紫月お姉ちゃんに会ったんだよ!」
眉がピクリと動く。紫月と同じ年頃といえばおそらく翔と名乗ったあの少年の事だ。あの紫月が男の家に行くとはどういうことなのかと勘繰っていれば、啓吾に少し遅れて紫月も帰ってきた。
「只今帰りました」
「おう、おかえり紫月。学校はどうだった?」
「……天宮という男子生徒が非常に騒ぐ学校です」
振り回されてかなり疲弊した、と紫月は深い溜息を吐き出す。その反応を見て彼女は翔と恋仲になってるわけではないと安心するが、珍しいことがあるもんだとも思う。
基本、紫月も啓吾に似て自分のペースを乱されることを好まないため、他人と極力関わらないところがあるが、それを差し置いて翔に付き合ってやるとはどういった風の吹き回し何だろうかと疑問が浮かぶ。
しかし、もしそれを問われれば、面倒見の良い性格は啓吾に影響されたからだと紫月は答える。翔に宿題で泣きつかれて断れない性分も持ち合わせているということだ。
「それと姉さんが傘を貸した少年だと分かりましたから、今日持って帰って来ました」
「お前もかよ……、つくづく天宮家と関われと……」
「兄さんも?」
「その兄が医者だ」
本当に勘弁してくれと思う。つまり一日で天宮家の次男以外、全員関わってしまったのである。
「さすがに柳まではないよな?」
「ええ、今日知り合ったのは折原沙南ちゃんっていう素敵な子よ」
「ただ、天宮家と一緒に住んでるみたいですけど」
「あら、そうだったの?」
これは意外と柳は驚いた。しかし、啓吾の関心は沙南の苗字に向く。
「折原……、父親はうちの病院の医院長か?」
「さぁ? そこまでは聞いてないけど」
あくまで今日聞いたのは沙南の思ってる医者のこと。だが、啓吾の予測は見事に当たっていたのである。
「龍、大概に沙南を返してもらえないか?」
聖蘭病院の医院長であり、龍達の親戚に当たる折原誠一郎は天宮家に娘の沙南を返せと乗り込んで来ていた。
毎度の事と龍はうんざりしているが、沙南の答えが決まっているので聞き流すのが常である。
「だいたい、男四人の中に妙齢の女がいて間違いがあったらどうするつもりだ?」
「まずないでしょ。少なくとも兄さんより危ない僕でも手を出してないんだし」
間髪入れずに秀が答える。秀と比較されれば確かに龍の方が安心出来るというものではある。それだけ龍が真面目で堅物だということは誰しも認めること。
しかし、娘が慕っているのは龍だということはもはや天宮家に関わっているものの常識(龍は気付いてないが)となっているため、親としてはどうしても龍を責めてしまう。
「そういう問題ではない! 龍がアメリカに留学していた期間はじいさん達がいたから安心してたんだ!
だが、今は二人とも亡くなり狼の中に娘を置いてるんだぞ!」
「別に問題ないでしょ。病院は本来兄さんが医院長になっても良かったはずなのにおじさんがししゃり出て来たんですから。
ならば、沙南ちゃんが兄さんに嫁いだ方がよっぽどおじさんの立場も確立出来るのでは?」
もとは派閥すらなかった聖蘭病院も、今では医院長派と天宮家の教えを守り通しているメンバーに別れている。それも龍達の祖父が亡くなった時、誠一郎が次期医院長になるために動き回った性だ。
それを一つにして自分が医院長で居続ける理由を持つなら、龍と沙南を結婚させた方がまだ大義名分が成り立つだろうと秀は言っている。
「秀、間違っても龍と沙南の結婚を私は認めん! 沙南はもっと未来ある男と結婚するべきだ!」
「医学界で兄さん以上に優秀な人材なんてそういませんよ。なにより沙南ちゃんがそんな事納得するなんて思えませんが?」
誠一郎が反対する理由はそこだった。一天才ドクターと結婚させるより、病院をより大きくする権力者に沙南を嫁がせたいのだ。
龍達の祖父の考えは古く温いといつも思っていたのである。
「とにかく龍! 沙南には家に戻るように説得しろ! 出来なければお前はクビだっ!」
「看板ドクターをクビになんてしたら、それこそ病院の質は落ちるでしょうね。兄さんのオペを望む患者はかなりいるでしょうに」
「秀、それ以上は言うな。おじさん、俺は沙南ちゃんの意志を尊重します。沙南ちゃんが戻りたいなら戻るように手配します。ですが、そうでなければここで暮らしたらいい。
もちろん、おじさんが心配なさってることは一切起こさない」
結局、最後は龍の威圧感に誠一郎は押されて終わってしまう。二十三歳にしていかにも大物の風格を漂わす龍が誠一郎は気に入らなかった。
「だったらこの前のデートは何なんだね!?」
「私が龍さんと出掛けて何がおかしいのよ!」
沙南が勢いよくリビングの扉を開けて入って来た。そして誠一郎に断言する。
「私は家には帰りませんからね! 大学だって一時間以上かけていくよりここから歩いて通った方が安全だもの!
夜遅くなるときだって夜勤さえなければ龍さんが迎えに来てくれてるんだから親なら感謝ぐらいしたら!」
「沙南! 少しは世間体を考えろ!」
「小さな時から天宮家で暮らした時間の方が長いんですから、沙南ちゃんは完全に世間から天宮家の人間だと思われてますよ?
それにうちぐらい大きければ行儀見習いに上がってるか、もしくはとっくに婚約者と暮らしてると取られてるでしょうね」
言い返せなかった。自分は沙南を天宮家に幼い頃から預けていたのだ。長く近所に住んでるものは例え苗字が違っても天宮家の孫として暮らしてると思っているだろうし、祖父母が亡くなったのもつい少し前の話だ。
どうしてまだ一緒に暮らしているかと言われても秀の事だ、いま誠一郎に言った内容をさらりと答えているに違いない。
他人の家の話など一瞬の興味を満たせればあとはどうでもいい、という世の中の理屈を利用してしまえば世間体など特に問題ないのだ。
「とにかく私は帰りません! お母さんだって安心してるんだからお父さんもほっといて頂戴!」
龍と秀は顔を見合わせて苦笑し、今宵の勝者が誰なのか理解した。
「あ〜あ、おじさん怒って帰っちゃったよ」
翔は「話にならん!」と出て行った誠一郎の車を見送りながら言う。
しかし、それを全く気にしてない実の娘は誠一郎にとって恐ろしいことを口にした。
「だけど、いっそのこと私が龍さんの部屋に入り込んでやろうかしら? そうしたら諦めがつくかもね」
「冗談でも心臓に悪いことは言わないでくれ……」
「あら、医者の不養生?」
「気をつけたいところだけどね」
龍は眉尻を下げて笑った。弟達は本当に沙南が龍の部屋に入り込んでくれても構わないと思っているが、沙南が入り込んでもまず手を出せないだろうと認識している。
恋愛に関して、いや、沙南との関係は非常に奥手な龍であった……
沙南お父さん登場!
龍と沙南の結婚には絶対反対というお父さんなので、二人がくっついたときが非常に楽しみです☆
ですが龍さん、沙南ちゃんの事を大事だと思ってる上にナンパ男も容赦なく片付けてますが、恋愛かと聞かれると首を傾げるタイプです。
こういう男性って書いてると楽しいですねぇ〜。