第五十一話:柳泉 <第二章開幕>
ここから第二章開幕になります。
どうぞお楽しみ下さい。
薄紅の衣が向かい風を受けて僅かに揺れる。その艶やかな色の衣をこの宮殿で身につけているのは二人だけ。柳泉という名を持つ、南天空太子に仕えている美少女だった。
宮殿内の廊下を柳泉は足早に歩いていた。そしてその足はどんどん早まり、やがて駆け出す形に変わる。
彼女は今、彼女が最も忠誠を示しているはずの主に追い掛けられていた。主の苛立ちが背中越しに伝わってくるが、それで足を止めるわけにはいかない。
きっと止まってしまえば、自分の主は彼女がどうして逃げるのか納得するまでまず解放してくれはしない。ずっと仕えてきたからこそ、それは手に取るように分かる。
「お待ちなさい、柳泉!」
主の凛とした声が廊下に響くが彼女は止まらない。それどころかさらにスピードを上げて彼から逃げていく。
絶世の美貌を持つこの南天空太子は柳泉と同じ色の衣を身につけているが、やはり王家としてその生地は従者よりも格別に品も良く、近寄らなければ見えないが見事な刺繍が施されたものだった。
そしてその衣の色の如く、南天空太子は何故か逃げる従者に苛立ちを覚えている。
「私の言うことが聞けないのですか?」
「聞けません! どうか従者と思われるなら放っておいて下さい!」
いつもの彼女らしくない自分を拒絶する強い返答。それに南天空太子は眉を顰め、威厳を帯びた声で命じた。
「ならばこれは主としての命令です。柳泉、止まりなさい」
命令と言われては彼女は足を止めないわけにはいかない。彼女は逃げるのを止めてその場に立ち止まり、すっと南天空太子の方を向くしかなくなった。
「……何の御用ですか、南天空太子様」
膝を付き、両手を目の前で組み頭を下げる。態度もさることながら、その声までもが明らかに主と従者としての関係しか示してはいなかった。
それは南天空太子がこの少女との間ではあまり持ちたくないものであり、彼の表情をさらに歪めさせるには充分過ぎるものだった。
しかし、彼はいま彼女に命じてでも聞きたいことがあった。
「顔を上げなさい。それより柳泉、一体私が何をしたというのです? 毎朝起こしに来るように命じているのに他の女神や侍女を寄越し、執務以外では私を避けている。
昨晩は私の部屋に来るように命じていたはずなのに、翔の遠征の手伝いに出掛けたとはどういうことなのです?」
この数日で変わってしまった彼女に苛立ちを感じている分、逆に心配でもあった。
彼女はいつも自分の気持ちで誰かを困らせると判断した時、それを押し殺してしまう傾向がある。
特に天空族のためという名目においては、普段穏やかな彼女からはとても想像が出来ないほど頑固だ。
今回もきっとそうなのだろうと南天空太子は察しているのだが、柳泉は従者として模範的な回答しか返してくれなかった。
「……南天空太子様が守ろうとしているものを私が守るのは不服だとおっしゃるのですか?」
目を合わせることはなく、南天空太子はあくまでも従者としての答えしか告げてくれない少女にさらに苛立つ。
いや、正確に言えば彼女にこの態度を取らせている元凶にだ。
しかし、元が冷静なのか南天空太子は一呼吸置くと落ち着いて話始めた。
「……いいでしょう、百歩譲って昨日の遠征の件については目をつむりましょう。
ですが、何故私の目を見ないのです? 何故名で呼ばなくなったのですか? 納得出来るように説明して頂きましょうか」
そう告げると柳泉の表情から少し動揺が見える。どうやら原因はそこらしいが、それを見逃してくれるほどこの主は優しくない。
「どうしたのです? 私の従者ともあろう者がすぐに切り返すことが出来ないなど、余程のことがない限り有り得ないはずですが?」
「うっ……! おっ、お話することは何もございませんっ! それで南天空太子様が私をお気に召さないのであれば、従者の役目を辞させて頂きます!」
「いいでしょう。従者としての役目は辞していただいても構いません。ですが」
南天空太子は柳泉の腕を引いて強く抱きしめた。それに柳泉はビクリと身体を震わせたが、すぐにそこから逃れようと激しく抵抗する。
「何をなさるのですか! 御戯れは御止め下さい!!」
「戯れ? 私は本気で怒っているのですよ、柳泉」
南天空太子は柳泉の顎を固定すると、互いの顔が至近距離まで迫る。そして、彼女の目には烈火のような怒りを目に宿す主が映っていた。
しかし、そんな表情すら美しく見えてしまうのがこの主であり、柳泉の心は折れそうになる。
だが、今回はだけは折れるわけにはいかなかった。ここで折れてしまえば南天空太子だけではなく多くの者達に危害が及んでしまうからだ。
彼女は唇を噛み締め、意を決して従者としてあるまじき行動を起こす!
「……ならばっ!!」
炎の力が彼女の腕に取り巻こうとするが、それは簡単に掻き消されてしまう。彼女の目の前にいるのは炎を従える南天空太子だ。主との力の差など歴然としている。
「主に手を上げるなど言語道断。柳泉、一体何があなたを縛るのです?」
「何も!!」
唇は奪われた。柳泉は空いている左手で南天空太子を押し返そうとするが、押し返そうとする分だけさらに深く口付けられる。
苦しく息さえ出来なくなるほどの強い思いまでがこの主からぶつけられているようで、彼女の心は悲鳴を上げる。
そして一度唇は離れたが、彼女の口からはまだ本音が出てこない。潤んだ瞳を南天空太子に向けながら彼女は折られまいと必死に抵抗した。
「……御止め下さい、南天空太子様」
「まだ抵抗するのですか?」
もう一度呼吸は奪われる。聞きたいのは従者としての言葉なんかじゃない、知りたいのは柳泉としての言葉だと、南天空太子はさらに抱きしめる力を強めた。
そして、ようやく彼女の感情は涙とともに溢れ出す。そっと離した唇から柳泉の言葉が溢れた。
「……もう、お止めて下さい、秀様っ……!」
柳泉の泣き顔が秀の脳裏に焼き付いた……
いきなり恋愛ですか!?と作者がつっこんでどうするんだと言われそうですが……
ここから第二章ということなので、今回は秀と柳がメインになってくるということですね。
ですが、もちろん周りは相変わらず賑やかになりますが……(啓吾兄さんが大人しくしてません)
この話から一体何が繰り広げられていくのか、そして第一章の謎は解かれるのかお楽しみ下さい☆