第四十三話:沙南姫
R15になるかどうかは微妙ですが、嫌悪感を抱かれる方はすっ飛ばして読んでください。
銃弾の雨が止んだ。男達が取り囲んでいた中心には間違いなく蜂の巣にされて死んでいる青年がいるはずだった。
しかし、服はボロボロになりながらも青年は血の一滴たりとも流してはおらず、それどころか絶対的なまでの威圧感がその空間の全てを叩き付けた。
「化け物が……!!」
そう呟いたのが最後だった。龍は怒りに満ちた目をあらわにし、瞬時に彼を取り囲んでいた男達を悶絶させた。
そして男の一人が着ていた黒いスーツの上着を奪い、桜の間へと駆け出していった。
その頃、沙南は夢を見ていた。それは遠い過去、自分が天空王に恋い焦がれていた頃の夢……
宮殿の中に作られた庭園の一つに彼女の思い人は夜空に浮かぶ月を見上げていた。
その凛とした横顔に天界の美姫や女仙、さらには天空族に使える侍女でさえ心を奪われていた。
沙南も当然その一人で、自分が高貴な姫という立場でなければきっと声すらかけられることもなかったと思う。
そして彼女は一呼吸をおいて、いつものように慣れ親しんだ表情を浮かべて青年の元に歩いていく。
「殿下、今宵は月が綺麗ですね」
「沙南姫、いらしてたのですか」
「ええ、柳泉に会いに来てこれから帰るところでしたので殿下にもご挨拶をと」
「それはご丁寧に」
穏やかな笑みを浮かべて青年は礼をとる。女を惑わす癖にこの堅物ぶりは一体どこから来るのだろうと思う。
だからこそ彼女は少しこの堅物を困らせてやりたくなった。
「殿下、沙南は今宵帰りたくないと申し上げれば殿下はどうなさいますか?」
悪戯な笑みを浮かべて沙南は尋ねた。少しでも朱くなってくれればいいと彼女は期待したが、龍は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「でしたら月を見て心が落ち着くのを待ち、それから歩みを進めたらいい。沙南姫の帰りを心待ちにしているものは多いですから」
ああ、やはり朱くなってはくれないか、と残念に思うがそれでも心は満たされる。
でもこの堅物のこんなところが好きなのだと思う。
「では仕方がないですね。殿下と月見をしたかったのですけど……」
「…また明日、ここにいらして頂けますか?」
「えっ?」
沙南は目を見開いた。そこには月明かりで少しばかりしか見えないが、僅かに頬を朱に染めた青年がいた。
ただ、愛の言葉は囁いてくれないのだけれど……
「弟達は沙南姫が大好きなので皆で月見でもいかがかと……」
「…楽しみにしています」
優しい月のように沙南は笑みを浮かべた。
桜の間に辿り着いた龍は乱暴に襖を開き、布団の上で眠っている沙南に駆け寄った。特に見たところ外傷はないが服が薄い桃色の着物に変わっていた。
だが、彼女が本当に無事なのかは意識が戻らなければ分からなかった。
「沙南ちゃんっ!!」
龍が何度か呼び掛けた後、ぼんやりとした意識の中、夢に出て来た人物の顔があると沙南は認識出来た。
そして殿下と呼びそうになって声を止める。ここは現代だからとすぐに気付いたからだ。
「龍、さん……」
「良かった、無事だったか」
龍は安堵した。そして沙南の視線はボロボロになっている龍の服にいく。
「龍さん服が……大丈夫だったの?」
「すまない、さすがにリサイクルは出来ないな」
申し訳ないね、という表情を向けられれば仕方ないなぁと沙南は呟く。こんな会話がお互いにとっての平穏だった。
「帰ろう、皆が家で待ってる」
「うん……」
沙南は龍の手をとって立ち上がろうとしたがすぐにカクンと膝を折った。下半身に力が入らなかったのだ。
「…えっ?」
「沙南ちゃん?」
龍も膝立ちになり沙南の顔を覗き込むと頬が少し紅潮し始めていることに気付いた。それからすぐに彼女の身体に大波が襲い掛かる!
「えっ!? な、なに!? なによこれ……!!」
「沙南ちゃん!?」
沙南はガクリと布団の上に崩れた。とても立ってはいられない!
「沙南ちゃん!!」
「龍さん……!! 体が……熱い!!」
突如訴えられた異変に龍は冷静に対処した。顔付きが医者へと変わる。
「沙南ちゃん、ごめんよ」
すっと首筋に手を当て脈をはかる。その異常な速度と彼女の様子を頭の中ですぐに整理した。
『脈が早い、微熱、発汗、呼吸もきつそうなら……』
龍は心の中で舌打ちした。郷田が打ったのか大君の余興なのかは知らないが、明らかに診断結果は一つしか思い付かなかった。
「龍さん……、これ…何なの?」
「媚薬を打たれてる。だけど大丈夫、帰ってすぐに治療するから」
出来るだけ沙南を安心させるため龍は顔に苛立ちを出さないように笑った。こんなとき自分が医者で良かったと龍は思う。
「龍さん……」
「大丈夫だ、俺は医者だからな」
「違っ……」
沙南は龍の腕を掴んだ。そして耳を疑うような言葉を発したのである。
「お願い、抱いて…苦しいの……」
「沙南ちゃん、何言ってるんだ」
薬の作用だと分かっていても心の中で何かが崩れそうになった。
今まで同じような状況に陥っていた女性患者には全く抱いたことのない感情が自分を支配しようとしているのが分かる。
もちろん、相手が沙南なのだからいつもより動揺してしまうのは仕方ないとは思う。医者といっても一人間だという大前提もあるのだ。
だからこそ冷静でいようと思った。いや、いるべきだと自分に言い聞かせているのだ。
しかし、それを揺るがすように沙南は懇願して来る。まるで彼女が本心を告げているかのような気にすらさせられるのだ。
「…龍さんじゃ…なきゃ、いや……!」
沙南から涙が溢れ出した。その表情で見てくれるなと龍は叫びたい気持ちになる。沙南は呼吸も絶え絶えになりながらも龍の首筋に腕を回して心の底から告げた。
「お願い……、後…から…軽蔑して…いいから!!」
互いの唇がぶつかる。避けようと思えば避けれた。しかし、避けることが出来なかった。いや、避けたくなかったのかもしれない。
「んんっ……!」
さらに深く口づけられ、軽く舌先が触れ合うと龍は沙南の背中に腕を回して強く抱きしめた。それに応えるかのように沙南も龍の首に腕を回して幾度も唇を重ね合わせる。
流されたいと思った。このまま抱いてしまえと誰かが告げている気がした。
しかし、龍は沙南の唇が離れた瞬間、彼女に表情を見せる事なく呟く。
「すまない……」
「あっ……!」
首筋に軽い衝撃を加えて龍は沙南を気絶させた。そしてそっと抱き上げる。
「…ごめん、きっと……互いに後悔するから……」
それだけ呟いて龍は屋敷をあとにした。
性描写を入れないラブシーンに挑戦、それも出来るだけ抑えてという感じで書かせていただきました。(しょぼくしょぼくをモットーにですね)
媚薬というものに惑わされる龍さんではやっぱりなかったわけですが、彼にとっては今回いろいろ衝撃的だったようです。
沙南ちゃんを患者として意識しきれてなかった訳ですから。
そんな彼を慰めてあげてください、次回はそんな話になるかと思います。