第四話:命を救う風
聖蘭病院の医局は学校の職員室と非常に雰囲気が似ていた。違いといえば全員白衣というところか。龍が勤める病院内でもっとも気が抜ける場所である。
「へえぇ、珍しいわね。このご時世に傘を貸してくれる人なんて」
「だろ? だが翔の奴は相変わらず抜けててな」
「まあまあ、翔ちゃんだってちゃんと聞いたんでしょ? だったら許してあげたら?」
知的な同期はくすくすと笑った。龍と同じアメリカの医大に留学していた菅原紗枝は、天宮家の面々と付き合いが長く深い。沙南にとっては頼りになるお姉さんである。
「それより、今日からまた新しい先生が来るみたいよ。アメリカ帰りみたいだから龍先生といいコンビになれるんじゃない?」
「相手の性格次第だと思うけど?」
「いい男だってナースステーションでは専らの噂よ?」
テンポのいい会話がなされる。そうなのかと思い、龍はインスタントコーヒーを飲みながら提案した。
「だったら紗枝先生のお婿にでもなってくれないかな? 先輩が行き遅れになるかもって心配してたし」
「あのバカ兄の方がよっぽど心配よ。恋人は戦車なんていつまで言ってるつもりかしら」
紗枝は自衛隊の兄の話になれば毎度溜息をつかなければならない。三つ年上の兄は高校卒業後すぐに入隊した妹いわく、世界一手の施しようがない大馬鹿らしい。
「だけど一緒に暮らしてるからこそ手が出せない龍先生の方が不健康で可哀相かも……、診てあげましょうか?」
「紗枝先生、別に俺と沙南ちゃんはそんな関係じゃ!」
「アメリカ時代、全く誰にも靡かなかった癖に」
正にそのとおりである。背が高く均整の取れた顔立ちをした龍は国に関係なく女性に好意を持たれたが、まったくそのアプローチにすら気付く事はなかった。
その理由が医者に一刻も早くなりたかった勤勉少年だったことと、沙南がいるからに違いないとされている。当人同士は同居している癖に全く関係が進まないが……
そうこう話しているうちに回診の時間はやってくる。
「さて、じゃあそろそろ行こうかな。今日も可愛い子達が待っているし」
「ああ、俺も行くとするよ。新しい先生にも挨拶ぐらいしたいしな」
コーヒーを一気に飲み干し二人はカルテ片手に医局から出た瞬間、ナースが慌てて走って来た!
「先生方! すぐ救命に手を貸してください!」
「分かった」
「すぐに行くわ」
顔付きが二人ともスーパードクターへとスイッチが切り替わったと告げる。この切り替わりの早さが命を救う第一線にいるものの宿命だ。
そして二人が急いで駆け付ければ、救命センターはごった返していた。バスの横転により怪我人が続出したらしい。
次々と搬送されてくる患者の数にとても救命医だけでは手が回らなそうだ。
「こりゃひどい状況だな……」
「うん、だけど医院長達は手伝いにも来てないみたいね」
「ぼやかない。さあ、行こう!」
二人が入ったことによりごった返していた救命センターは少しずつ回転し始める。重傷者多数の状態でも冷静さを失うことは医療の現場ではタブーだ。
しかし、いくら龍が優秀な医者でも体は一つだけ。看護士が急いで龍の元に駆け付ける。
「龍先生! 西岡さんが急変!」
「ちっ! こっちも手がはなせないのに医院長達は何してるんだ!」
龍のアシスタントをしていた救命医は怒りをあらわにした。心臓のオペの最中はとてもじゃないが離れることは出来ない。しかも難解なオペなら尚更だ。
おまけに出勤しているはずなのに手伝いにも来ない医者達。入院患者が急変を起こして来れないなら未だしも、明らかに会議なり来客応対なりしているのだろう。
だが、命を救う新たな風が入り込んで来た。弟の秀と同じぐらいの背丈を持つ医者が龍に声を掛けてきたのだ。
「だったら俺がこの患者を引き受ける。お前はさっさと急変患者の元に行け」
「しかし、この患者は龍先生じゃなければ!」
「俺は心臓外科医だ。両方助けたければ早く行け!」
見たことのない顔だった。しかし、絶対的な安心感が龍をすぐに動かした。
「すまない、頼んだ」
「ああ、メス!」
瞬時に患者の容態を見抜いたらしい。処置していくそのスピードと丁寧さは龍とほぼ変わらない。まさにスーパードクターと言われる腕の持ち主だった。
一通りのオペが終わった後、自動販売機の前のベンチに龍はぐったりとして座っていた。そこに紗枝がやって来る。
「お疲れ様でした」
「お疲れ。結局医院長達は来なかったな」
「接待に行ってていなかったんですって。信じられないわね、外科部長なんて重要な会議まで欠席して戻って来たみたいなのに」
「医院長派に取り入ってないからな、外科と救命は」
「小児科もだけどね」
ごった返していた救命センターは、朝一のオペを終えたスタッフ達が駆け付けてくれたことにより何とか龍達を解放してくれるまでの機能を取り戻した。
だが、医院長派の医者達は連絡があっただろうに戻って来なかったのである。
「それより新しい先生、あれはかなりの腕ね。龍先生と同じくらい速くて処置は正確だったわよ」
「それはどうも」
ゆっくり歩いてくるのは篠塚啓吾だった。今朝、補佐してくれた医者だと気付きすぐに龍は立ち上がる。
「今朝は助かりました。外科の天宮といいます」
腰からしっかりと頭を下げる。あれだけの腕を持ってるというのにと啓吾は好感を抱く。
「どういたしまして。同じく今日から配属されました、外科の篠塚です」
同じように啓吾も頭を下げる。しかし、龍が切り返して来た言葉は意外なものだった。
「篠塚? あの、失礼ですが先生のお住まいは?」
「ん? 高円寺町だが?」
龍と紗枝は顔を見合わせる。
「決まりね……」
「昨日は家の弟達が大変お世話になりまして……」
それを聞いて啓吾は額に手を当てた。天宮と確かに昨日出会った少年は言っていたではないか。
「いや、やめてくれよ。家の妹が優しいがためにやったことだからな。何より俺はあまり人と関わるのは面倒で好きじゃないタイプだ」
どうやら翔が言ってたことは間違いではなかった。変わり者ていう空気も持ち合わせているが、それ以前に人付き合いが面倒なタイプらしい。
「じゃあ、今度昼飯でも奢ります」
「それなら歓迎だ。それとそちらの美人先生は彼女か?」
啓吾の視線は紗枝に向く。それにクスリと笑って紗枝は答えた。
「残念ですがただの同期です。菅原といいます。私は小児外科医ですが救命で研修を受けていましたのでよくこちらに借り出されてます」
「なるほどね、通りで手際がいいはずだ。ちなみに彼氏は? 俺が立候補してもいいぞ?」
ニッと啓吾は女性受けしそうな笑みを浮かべるが、慣れているのか紗枝はあっさり返した。
「お気持ちだけ頂きます。じゃあ、私は帰るわ。明日は夜勤だし」
「ああ、お疲れ様」
ひらひらと手を振って紗枝は医局へ戻っていった。そして紗枝の姿が見えなくなるなり啓吾は零す。
「……勿体ない。手を出すにはいい女なのに」
「まあね。だけど紗枝先生……紗枝ちゃんは妹感覚で付き合って来てるからな」
「ん? あの子何歳だ?」
龍と同期ということは、紗枝は見た目より年齢が上なのかと啓吾は首を傾げるが逆に驚く年齢を龍は答えてくれた。
「二十二。俺の一つ下」
「それであの腕かよ……天才だな」
「ああ、アメリカで医者になったからな」
それならば納得できる。彼女も飛び級で医者になったのだろう。だが、そう言われて気付かされたことがある。
「って、お前俺と同い年か!?」
「ん? 二十三だが?」
啓吾は面食らった。とてもそうとは思えない。もちろん人の見た目と実年齢が一致しないなんてよくあることが……
「若いと思ってはいたが……」
「よくジジクサイとは言われるよ」
その間髪すら入れない切り返しに啓吾は吹き出す。どうやら今回は当たりを引いたらしい。
「ハハッ、お前は好きになれそうだ。よろしく頼むよ、龍先生」
「こちらこそ」
龍は差し出された手を固く握った。
龍、啓吾、そして何やら楽しく付き合っていけそうな紗枝が登場しました!
この三人、どんどん仲良くなっていきますよ!
ちなみに龍は現在二十三歳の外科医。
(他にもいろいろいけるけど)
啓吾も龍と同い年で専門は心臓外科医。
(もちろん彼もいろいろ出来るけど)
紗枝さんは二十二歳で小児外科医です。
(アメリカの救命センターで研修医をやってたらしい)
三人とも飛び級でアメリカで医者になってるという、若いのにとんでもなく優秀だったりしています。(制度はあまり突っ込まないで下さい)
救命のヘルプに呼び出されても適確な処置を施してるので信頼度も高いですよ!
そして次回は「ゆっくり〜ゆっくり〜下ってく〜♪」と歌いながら考えた話になる予定です(笑)