第三十八話:それぞれの出陣
段ボールに貼られたガムテープを勢いよく剥がせば中には沙南の鞄と携帯が別々に入っており、龍は即座に携帯を取った。
「もしもし」
『よぉ、天宮龍、話すのは初めてだな』
「だったらさっさと名乗れ」
明らかに怒りを含んだ声は周囲に緊張の糸が張り巡らせる。しかし、相手はそれを楽しむかのように返答した。
『郷田寛之だ。親父のことは知ってるよな?』
「ああ、それでそっちの目的はなんだ」
『高円寺町の公園に車が一台停まってる、それに一人で乗ればいいだけだ。そうすれば沙南さんのいるところまで連れていってくれるさ』
「…沙南ちゃんはお前と同じ場所にいないのか?」
『ああ、今はな。だが今夜は楽しみだぜ? あの誰にも触れられたことがない初々しい身体が俺の物になるんだからな。一体、どんな声で鳴くんだろうなぁ?』
涎を垂らして獲物を目の前にしている寛之の顔が龍の脳裏を過ぎる。しかし、龍はただ目を閉じたまま黙って相手の話を聞いていた。
『言っておくが警察に通報しても無駄だぜ? それに来なければ』
「すぐに行く」
これ以上は面倒だと言わんばかりに龍は携帯を切った。そして携帯をテーブルの上に置き静かに告げる。
「すまないが、ちょっと出掛けてくる」
「付いていくか?」
自然と啓吾から声が出た。基本、面倒ごとは大嫌いなのだが、何故かそう言うのが当たり前だと思う自分がいる。
もちろん、龍の力になることはけっして不快ではないのだけれど……
しかし、龍は首を横に振って啓吾の気遣いを断った。
「いや、一人で充分だ。それに今の俺はストレスを発散したくて堪らないからな、獲物を譲る自信がない」
眼鏡を外しそれを秀が受け取る。怒り狂って周りに被害を及ぼしてこそいないが、その目と空気は全てを平伏させる絶対的なもの。
もはやここまで龍を怒らせたとなれば、誰が何と言おうと止められるものではない。
ただ、周りをそこまで不安にさせたくはないと思う冷静さだけは保とうとしているのか、龍はこれから迷惑をかけるであろう同僚達に前もって詫びておく。
「啓吾、紗枝ちゃん、相手が相手だからな、これ以上ハードなスケジュールになったらすまない」
「じゃあ、極力ならないように頑張って来てね」
「ああ、努力するよ」
紗枝が普通に送り出してくれることが有り難い。龍は少しだけ笑って見せた。
「それと秀、ゴリラが別行動していてな、何か仕掛けてくるかもしれない」
「はい、心配しないで下さい。そちらの方は兄さんの分まで僕が片付けておきますよ」
「ああ、頼んだぞ。じゃあ、行ってくる」
そう告げて龍は公園へと向かっていった。
そして龍が部屋から出た数秒後、今まで息を飲んで話を聞くことしか出来なかった年少組の張り詰めていた糸がようやく緩む。
翔は額から流れてきた一筋の汗を腕で拭いながら、少々顔色が悪くなった紫月に尋ねた。
「…大丈夫か、紫月」
「ええ……、ですがあの威圧感、立ってるだけでいっぱいいっぱいです……」
龍の威圧感にあてられ紫月はソファーに腰を下ろし、夢華も不安そうな顔をしてギュッと啓吾に抱き着いた。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だ、夢華。何かあったら俺達も出ればいい。だが、次男坊がどうして兄貴に対してこんなに絶対服従になるのか分かった気がするよ」
夢華の頭を撫でてやりながら啓吾は参謀に視線を向けた。龍の威圧感に多少は慣れているのか冷や汗一つ流していない。
だだ、彼なりに静かな怒りを中に秘めていることだけは確かだ。
「さて翔君、すぐに腹ごしらえしておきなさい」
「ああ、分かった」
翔はとりあえず腹が減っては戦は出来ぬと栄養を摂取しておく。騒がず食べる翔を紫月は初めて見た。
「啓吾さんも今のうちに一服しておいたらいかがです?」
「ん? お前そんな気を遣える奴だったか?」
思ったより冷静なんだな、とそう評すれば秀らしい勝ち気な笑みを浮かべて答えた。
「当たり前です。兄さんはおそらく大君に呼び出されたはずですからね、当然大ボスとの話し合いなら時間も掛かるはず。ですが、そろそろゴリラとの縁ぐらいこちらで切っておきたいですから」
「確かにな。だが、ゴリラはどこにいるんだ?」
その時、紫月の携帯が鳴り響き彼女はメールの内容を秀に告げた。
「秀さん、ゴリラの居場所掴めましたよ」
「さすが紫月ちゃん、将来有望ですね」
秀はニッコリ笑うが、ちょっと待てと言わんばかりに啓吾は秀に突っ込んだ。
「おい次男坊、紫月に何教えた……」
「別に危ないことは教えてませんよ?」
「そうですよ、兄さん。とりあえず、いま郷田親子は自宅にいるみたいですからさっさと一服して片付けて来て下さい」
紫月は完全に秀の味方にまわっている。仲良くなれる気配は確かにあったのだが、こうも早くなるとは思ってはいなかった。
少々冷たい妹に寂しくなった啓吾は煙草に火を付けながら秀に呟いた。
「…次男坊、俺はやっぱりお前が嫌いだ」
「大丈夫ですよ、好きになれとは頼みませんから。ではそろそろ……」
「秀兄さん! 僕も行くよ!」
純も役に立ちたいと秀に申し出るが秀は優しく諭した。
「純君、君には女性達を守ってもらいます。今回は純君より啓吾さんの方がこの汚れた仕事に向いてますから」
「…分かった」
「おい末っ子、汚れたってところで納得するな……」
煙を吐き出すと同時に文句を言う気も薄れていく。天宮家とはそういう人間の集まりなのだと納得するしかなくなった。
「じゃあ紫月、帰ったら夜食よろしく!」
「分かりました。やり過ぎに注意してくださいね」
高校生組は実にあっさりとした会話だ。そして末っ子組が頑張ってと応援すると、翔は任せとけと良い顔をして笑った。
「では柳さん、すぐに片付けてきますから全て終わったらまたデートしましょうね」
「えっ、えっと……! はっ、はい……、気をつけて下さい……」
「嬉しいですね、心配してくれるんですか?」
「ちょっ、秀さん!!」
大きく優しい手が頬に触れ、さらに顔を覗き込まれて柳は赤くなった。
最近やけに秀は自分に触れてくる。完全にからかわれてると思うのだが、この美貌と独特の雰囲気に顔を赤くしない女性などこの世で沙南と紗枝しかいない気がする。
そして、当然それを見てシスコンが黙っているはずがない。特大の青筋を立て、地獄からはい上がって来たような声と殺気を醸し出しながら秀に詰め寄った。
「じ〜な〜ん〜坊〜!!」
「いいから邪魔しないっ! 啓吾、あの二人の足手まといになってもちゃんと私がオペしてあげるから、張り切って行ってらっしゃい!」
「…お前、何か企んでないか?」
「あら、そう見える?」
「ああ、いかにも人に貸しを作ろうって顔だ」
紗枝は目を丸くしてパチパチと数度瞬きしたあと、啓吾に背を向けて小さく舌打ちした。
「おいっ!! 何だそのあからさまな態度は!!」
ツッコミどころは満載だが、全ては片付けが済んでからだ。秀と翔、そして啓吾は郷田邸へと向かっていった。
同時刻、桜色の和服を着た美女は大君の元に参上し、実に凛とした表情と声で告げた。
「大君、沙南姫様はおっしゃるとおりにさせていただきました」
それを聞き、満足そうに高原は頷く。やっとこの時が来たのかと長い時を彼は待ち望んでいて……
「そうか、気に入ってもらえばなりよりじゃのう。郷田も随分時間を食ったようじゃが、とりあえずわしからの咎めは無しとしよう。ようやく天宮家の長男と話し合いの場も持てる」
夜風を浴びて一冊の古書がパラパラとめくれていく。
「今宵、一つの伝承がついに現実のものとなるかのう」
龍は高原の待つ館へと向かっていた。
ようやく出陣というところまで持ってきました。
本当は前回と合わせて一話にする予定でしたが、長すぎるのも疲れるかなぁと敢えて二つに分けています。
ですが、だいぶキャラクター達が壊れて来てくれてるので書き手としてはなかなか楽しい限りです(笑)
次回はアクションシーンを書こうかなぁと思っています。
サブタイトルは「頑張れ啓吾!」という感じにしたいなぁ。




