第三十六話:ランチ
「緒わったぁ!!」
期末試験最終日、聖蘭高校は最後のテストが終了し活気に満ち溢れた。それは紫月も表に出すことはないがホッと一息つく。あとは夏休みを待つだけだ。
しかし、一息ついたのも束の間、紫月の周りにはクラスの女子達が四日のテスト期間中に起こった紫月の変化を尋ねて来た。
「お姉様! ついに天宮君とお付き合いすることになったんですか!?」
「それとも家族付き合いということは婚約者なんですか?」
紫月は質問攻めに合い内心で深い溜息を吐き出した。いくら何でも婚約者はないだろうと思う。
噂というものは恐ろしく早いもので、紫月達家族が天宮家に泊まり込んでいるとテスト開始日にはばれていた。
もちろん、翔と登下校が一緒になってしまえば無理もないかと思うが、話が飛躍し過ぎるのもどうかと思う。やはりあの元気印の三男坊が関わるからなのか……
「否定させていただきます……」
「あっ! もしかしたら政略結婚ですか!?」
「きゃあ〜〜! ウソ〜〜ッ!!」
どうやら天宮家は一般家庭より評価が高いらしい。確かにあれだけ大きな家に住んでいる上に大病院の後継ぎ候補とくれば気持ちも分かるが、自分達は極普通の一般家庭である。
だが、政略結婚とは一体彼女達にとって自分はどういう認識をされているのか頭が痛くなって来た。
しかし、そんな噂など気にも止めず、翔はテストから解放されたおかげでニコニコしながらやって来た。
「紫月、帰るぞ!」
テストが終わって今日は酒宴、気持ちは分からないこともないがその表情は間違いなく新たな誤解を生み出した気がする。
だが、否定するのも面倒な上にしたとしてもからかわれる方向にしかいかないため、紫月は大人しく従って帰ることにした。
「はい。では、失礼します」
「ごきげんよう、お姉様」
ここで紫月が転んだとしても誰も文句は言わないだろう。もう勝手に彼女達には妄想なりなんなりしていただこう、と彼女は全てを諦めた。
そして、教室から出た後も次々に掛けられる声に翔は苦笑した。
「本当、紫月って女子にモテるな。なんか女子達は話始めたら敬語になるらしいけど」
「悪い気はしませんけど妙な気分です。お嬢様学校にいる気がするんですが……」
敬語で話し掛けられるのは決して不快ではない。しかし、まるでどこかのお嬢様学校のように自分に接して来られても紫月は困惑してしまう。
まぁ、自分の敬語が招いた環境ならば仕方ないのかもしれないが。
「だけどカリスマみたいな感じで面白いじゃん! それより紫月、今から秀兄貴のバイト先寄ってかねぇ?」
「秀さんのバイト先ですか……、それはまずいのでは……」
この三日、秀のバイト内容を知らされていた紫月は白昼堂々と行く場所ではないと思っていたが、その辺答に翔は疑問付を浮かべた。
「へっ? 今日、秀兄貴は喫茶店のピンチヒッターになってるから行こうと思ったんだけど、なんかまずいことでもあるのか?」
「喫茶店ならいいですよ」
そういえばたまに秀兄貴はバーでも働いてたもんな、と何も知らない翔はそう納得するのだった。
秀の働いている喫茶店はあまり人気のない閑散とした場所にあるものの、一部の食通の間では割と話題になってる店である。けっして満席にはならない店だが、潰れることもない店だ。
喫茶店の前に自転車を止めて、OPENと書かれた表札の掛かる片開きの扉を開けば、コーヒーの良い香と絶世の美貌を持つウエイターが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
黒のエプロン姿がやけに似合うウェイターは仕事中以上に女性受けしそうな笑みを紫月に向けてくれた。それに紫月も穏やかな笑みで返す。
そんな二人を女性客が見れば、半数は妹かと思うだろうがあと半分はジェラシー全開の視線を向けるだろうが、昼時を過ぎた頃なので客は一人もおらず翔達の貸し切り状態になった。
「よっ! 秀兄貴!」
「こんにちは」
「おや、紫月ちゃんいらっしゃい」
「えっ!? 俺には挨拶無し!?」
差別だと騒ぐ弟を秀はデコピン一発で黙らせる。そして、紫月をエスコートして椅子を引いて座らせた。
観葉植物が置かれ、ジャズのかかるレトロな造りの店内はとても落ち着く。秀がここでバイトしている理由も何となくわかるな、とくるりと周囲を見渡せば、マスターらしき人物がパチリとウインクして来た。おちゃめな人だな、と感想を抱く。
「さっ、紫月ちゃん、翔君にスパルタ教育してくださった御礼に好きなものを頼んでいいですよ。今日は僕の奢りですからね」
「んじゃ兄貴、俺も」
「自分で払いなさい。あと紫月ちゃん、うちのマスターは賢い女の子が好きですから、時々来てあげて下さいね。紫月ちゃんも非常に勉強になると思いますよ」
「ということはこの店……」
カウンターからマスターがひらひらと手を振っている。その後ろにある厨房からもコック達が白い歯を見せていい顔で笑っている。紫月は微笑を浮かべて軽く会釈した。
「是非、またお邪魔します」
「では、ご注文をどうぞ」
ちゃんと仕事してんじゃん、と笑う翔を軽く睨み付けながらも、秀は注文を受け付けた。
「んじゃ、俺はAランチでカルボナーラとサラダは大盛! デザートはフルーツパフェ! デザートぐらい兄貴の奢りね!」
「はいはい、今回のテスト勉強はかつてない頑張りだったので、たまにはご褒美をあげましょうか」
こういうところはやはりお兄さんなんだなぁ、と紫月は思う。そして、自分の注文をする前に秀はすっと別のメニュー表を紫月に提示した。
「紫月ちゃんはこちらなどいかがでしょうか」
それを覗き込むような形で翔はメニューを見ていくと声を上げた。
「なっ! 超高級パスタランチ!!」
「秀さんこれって!!」
「はい、マスターが是非食べてもらいたいと。特にここのクリームパスタは絶品ですよ」
料理好きとしてはそれ是非は食べてみたいと紫月は思った。
クリームソースというものは非常にデリケートな味付けだ。それが上手く出せるというのは本物の料理人だと紫月は認識している。
冷静な表情を浮かべることの多い彼女が珍しくパアッとその目を輝かせた。
「是非、お願いします!」
「はい、かしこまりました」
「ちょっと待て! そんな裏メニューなんてあんのかよ! 紫月だけずるいぞ!」
「当然です。僕は今回、翔君の勉強の報酬に裏社会に浸らせるといったでしょう? これくらいするのは当然です」
本当はもっといろいろ教わっているのだがあえてそれは伏せておく。内容が内容なだけに兄達にバレたら心配されるに違いない。
しかし、彼女は優しい人間だった。言い争っている翔を一言で抑える。
「翔君、一口ぐらいあげますよ」
「やりぃ! じゃあ兄貴、超特急でよろしく!」
「はいはい」
秀は注文を伝えに厨房へ戻って行った。そして、注文を待っている間、氷水を飲みながら二人はたわいのない話をする。
「ところで紫月達は今日も泊まっていくのか?」
「兄さんが酔い潰れなければ一度帰りますよ。まぁ、三日も休みなら今日もお邪魔しそうですけどね。私もまだ秀さんにいろいろ教わりたいですし」
「なんかやけに秀兄貴と仲良くなってるからな、心配になって来た……」
ここ数日、やけに秀と紫月の仲はいい。兄と妹といった感じではあるのだが、何となく翔は面白くなかった。それが何という感情なのかよく分からないが……
「心配する必要はありません。秀さんは翔君と違って大人ですから」
「大人ねぇ、ただ黒くてそう思うだけじゃ……」
その直後、サラダの大盛が翔の前にドンと置かれた。紫月はくすくす笑い始める。
「翔君、今日は帰ったらたっぷりと僕の趣味に付き合ってもらいますから覚悟しておきなさい」
「うっ……!!」
刺すような視線を浴びながら、折角のランチの味は痛いものになった。
聖蘭高校の期末テストは四日間あるので、本当、紫月ちゃんは翔の勉強に付き合うのは大変だったみたいです。
しかし、テスト勉強をしながらも秀に裏社会のイロハをいろいろ教わってるので、当然仲良くなります。
翔はそれがちょっと気になってるみたいです。
そして、今回二人が行った秀のバイト先の面々は普通に裏社会の人間ですよ(笑)