第三十五話:お伽話が記す者
応接室の扉をノックし、二人の医者はたとえ相手が気にいらなくとも一社会人としての礼儀だけは守ることにした。
「失礼します」
二人揃って軽く会釈する。しかし、啓吾の内心は思った以上に苛立ち始める。龍がこんな時でも礼儀を重んじる必要があるのか、と誰かに告げられてるような気がしてならないのだ。
だが、啓吾のそんな苛立ちなど目の前の大柄な男は見抜いてなどいないだろう。
「さぁ、掛けてくれ。ゆっくり話をしようじゃないか」
愛想よく郷田は振る舞うが、来客者に座れと言われるなど龍も啓吾も不快でしかなかった。すぐに啓吾は切り返す。
「すみませんが、僕達は医院長と違って時間を有効的に使わなければなりませんので、長話に付き合うつもりなどさらさらありません」
全くだな、と龍も同意見である。おそらくハラハラしてその辺をうろついているのだろう、龍はそんな誠一郎を思い浮かべた。
しかし、きっぱり言い切られたが郷田は微笑を浮かべて返答する。
「なるほど、ドクター啓吾は手厳しい」
「当たり前です。妹達を何度危険な目に遭わせたと思っていらっしゃるので?」
「しかし、君達はそれを全て退けた。こちらの被害の方が大きいのだがね」
「手を出して来たのはそっちの癖してこちらがそれを詫びる必要はない」
もっともである。まだ未成年の妹達に次々とこの目の前にいる男は自分の手駒を送り込んで来たのだ。龍がいなければ今すぐにでもこの男を消しているところだ。
「郷田議員」
「なんだね、ドクター龍」
啓吾以上の貫禄があるターゲットに郷田は視線を向けた。
出来れば平和的に大君に差し出したい男であり、大君自身も対面することを待ち望んでいる男だ。その辺の男とは比べものにはならない風格は人を従わせるものではあるが、大君から醸し出されるものとはまた別質である。
彼の周りに様々な事態を起こしてはみたが、いつの間にか郷田自身も天宮龍という青年に非常に興味を持ち始めていた。彼の弟や啓吾とは違う、絶対的な何かを持っている性かもしれないが……
その気持ちが強まっていったからこそ、今日彼は回りくどいことをやめてここにいる。それが実を結んだのか、その回りくどさが龍に足を運ぶ気にさせたことは確かだ。
「僕達二人がわざわさあなたと話に来たのは、一つだけ聞きたいことがあるからだ」
「何かね?」
「高原老の目的をあんたは知っているのか? それとも知らないのか?」
電気が走ったかのように郷田は震え上がった! たった一言告げられただけで自分が小さく思える。この目の前にいる青年は王そのものの風格を持っている、それが事実だ。
しかし、郷田は冷や汗を流しながらも何とか虚勢を保って答えた。
「…知っていると言ったら?」
賭だった。ここで彼が食いつけばまだ会話が長引く。平和的に大君の元に連れていくチャンスはある。
しかし、その返答だけで龍は相手の思惑をすべて見抜いた。これ以上は時間の無駄だと啓吾も見切りを付ける。
「本当に知っていたならまだ聞く価値はあるが、あんたは何も知らされていない。ならばせっかくそっちがお膳立てしてくれた三連休で決着を付けるさ」
龍は吐き捨てるように言った。それは全てを叩き潰すという王からの宣戦布告。つまり自分など全く関係なく、全てを終わらせるということ。それは郷田の役目が果たせず、彼は存在しなくなるということだ!
「まっ、待ってくれ! あのお方の元にドクター龍、君さえ今から私と共に来てくれれば!」
目的は龍か、と啓吾は悟った。おそらく自分まで呼んだのは龍との差を比較するためかと内心で舌打ちする。ならばこちらも容赦する必要はない。
「これ以上龍に口を開かせるな。貴様ごときどうなろうと俺達には関係ない」
死刑宣告と言わんばかりに吐き捨てるように啓吾は告げた。郷田の事情など知ったことではない。もう全てが面倒だ。だが、それでも郷田は食らいついてくる。
「ならばお前達の家族がどうなろうとも構わないのだな!? お前達の唯一の弱点は分かっているのだぞ!? 折原沙南に今から息子達を使って……!!」
郷田の息が止まった。体の全てが押さえ付けられた感覚に陥る。啓吾が郷田の周りの重力を全て支配したのだ!
「今すぐ手を出さないと誓えば命だけは助けてやる。それに俺を殺人犯に仕立てようとしても無駄たぜ? ちょっと集中すれば、あんたが突然心臓発作を起こしたように操作出来るからな」
「ががっ……!!」
心臓に負担が掛かり始める。啓吾は本気だ。これ以上自分の周りでくだらない騒ぎなど起こされては迷惑だとその目に殺気がこもる。
「手を引くのか? 引かないのか!?」
「啓吾止めろ! それ以上やるな」
まさに一喝だった。龍があまりにも真剣な顔をしているので仕方ないかと啓吾は重力を緩めてやれば、郷田は汗を拭き出してむせ返った。
「ったく、これぐらい問題ないだろ」
相変わらずお人好しだな、と啓吾は肩をひょいと竦めて見せるが悪い気はしない。寧ろ、龍のこういうところに好感を覚えるほどだ。
しかし、いくらお人好しでも彼が人に対して与える威圧感は並大抵のものではないということは変わらない。郷田が口走ったことは龍の逆鱗に触れたのだから!
「問題はないが、こいつは俺が片付ける」
「ひいぃ……!!!」
これ以上ない恐怖が郷田を襲い震えることすら出来なくなった。目が啓吾より怒りに満ちていることなど誰から見ても明らかで、傍にいた啓吾ですら一瞬、息を飲んだほどだ。
こんな目をさせるぐらいならやっぱり自分が片付けておくべきだったか、と啓吾は思った。
「折原沙南にこれ以上近付いてみろ、お前達親子共々、生き地獄を見せてやる」
「ひいい〜〜〜!!!」
郷田はついに涙を流して失禁し、さらに泡を吹いて気絶した。これならしばらく手を出さないだろうな、と自業自得とはいえ夢見も悪くなりそうな恐怖に啓吾は一寸ばかりの同時は覚える。
「龍、お前って本当沙南お嬢さんが絡むと人格変わるよな?」
「俺達四兄弟は沙南ちゃんの家来だからな。俺達を受け入れてくれるから守りたいんだ。それに…大切な家族だから」
いい表情を浮かべていることにこいつは気付いているのだろうか、と啓吾は笑った。それは本当に沙南を思っているからこそ溢れているもので……
そして、啓吾はもう一度伸びてしまった郷田に視線を戻すと、やっちまったかと眉を顰める。
「だが、高原老の居場所ぐらい吐かせとくべきだったか? いや、今の誘いにやっぱりのってさっさと片付けに行くべきだったか……」
「その必要はないさ。うちの次男坊は優秀でね、裏社会にはしっかりとしたパイプを持ってるから高原老の居場所ぐらい掴んでるはずだし、俺はまず休憩したいんだ。全て片付けるのはその後でも問題ないだろう」
なにより相手のペースに乗ってやる必要などないと龍は背伸びをした。
「そうだな。とりあえずこいつは医院長にでも任せて俺達は回診にでも行くか」
「ああ」
二人は郷田を放置して応接室から出ていった。
静けさを取り戻した応接室に置かれている観葉植物には盗聴器が一つ。それを一冊のお伽話を読みながら、高原は邸宅で聞いていた。
「やはり篠塚啓吾は当たりかのう」
「天空王の従者、啓星でしょうか」
高原の傍らに寄り添う和装美女は妖艶な笑みを浮かべている。それは啓吾の振る舞いがまさに天空記に登場する啓星という青年とそっくりだからで……
「そうじゃの、重力を操るならばほぼ間違いない。さて、いよいよ対面するとしようかの。天空記に書かれた者達と……」
高原は静かに本を閉じた。
いよいよ大君と対面する日が近づいてきました。
ですが、龍はお疲れ気味なので、ちゃんと休んで会いに行こうとマイペースな模様……
そして大君こと、高原老が読んでいた『天空記』というお伽話とは一体何なのか、少しずつ明らかになってきますのでお楽しみに☆