第三百一話:幸せのために
秀の試験が終わったと同時に帰国した一行は、残り少ない夏休みを堪能していたが、大人達はそういうわけにはいかない。
特に警視である土屋は帰国早々、早速自分のオフィスの机に積み上げられた書類と向き合わなくてはならないのだから。
しかし、彼の部下であり、婚約者でもある優衣という女性は土屋が不在の間、それなりの仕事は片付けていたらしく、特に急ぎの書類をない状況にしておいた。
つまり、溜まっているのは警視の判が必ずいるものというところだ。
そして、久しぶりにディスクに座る警視を前にして、有能な部下は頭を下げる。
「長期のお務め、お疲れ様でした」
お務め、という表現が正しいかどうかに土屋は苦笑するが、彼がアメリカにいる間もGOD解体のために動いていたことは事実である。なんせ、日本でもかなりの逮捕者が出たのだから。
「ああ。それで、例の件はどうなった?」
「はい、GODに関わっていた政財界の重鎮達は一斉検挙されました。ただ、人身売買の被害者達は全員無事というわけにはまいりませんでしたけど……」
「そうか、GODが消えてもまだ傷痕までは癒えないか……」
闇の闇で行われていた人身売買は闇の女帝でも苦労していた案件だ。一警視が全て解決するには大きすぎる。その被害は世界規模なのだから……
だが、それだけの功績は上げてはいるが、彼は様々な犯罪歴を抱えてしまったわけでもある。特に無断でGODの捜査に出てしまってることはいくら土屋でもごまかすことは出来ない。
「それで、やっぱり今回の件で俺は降格か?」
「残念ながら警視正に昇進されました。ますますお忙しくなりそうですね」
「……まさか」
「父はGODを追えと警視正に命じたと公言されただけですよ」
優衣はニッコリ笑って答えた。それに土屋は目を丸くしたが、すぐにそうなった意味を理解して苦笑した。どうやらまだ修行してこいということらしい。
「そうか、ということは結婚式は延期になりそうだな」
「よろしいではないですか。ただ、来年の四月までに籍だけ入れていただければと思いますが」
「籍だけ?」
「はい、警視正は父親になられますから」
「そうか。……ん?? 今なんって……」
「子供が出来たみたいですから産もうかと思いますが?」
淡々と答えてくれる婚約者殿は実に冷静に物事をとらえるタイプだが、少しだけ不安そうな部分を見抜くのが土屋である。だから彼女は婚約者になったわけで、土屋も彼女を見初めたわけである。
「優衣……、ちょっとこっち来い」
「はい」
手招きされて机を回り込み、土屋の傍に立てば彼は優衣を抱き上げて喜びを爆発させた!
「やったぁ〜〜!!」
「ちょっ、警視正っ!! 今は職務中ですっ!!」
「構わない! そうか! 俺は父親になれるのか!」
どうやら全く聞こえてはいないらしい。だが、彼女も珍しく職務を一時放棄してその喜びに付き合うことにした。
一方、空港では森と宮岡、そして桜姫がそれぞれの目的地に向かうために集っていた。
「あ〜あ。またつまんねぇ自衛隊に逆戻りか」
「お前な、普通はクビか下手すれば消されてたのによくそんな贅沢が言えるな」
「でもよ、女っ気のない場所に左遷だぜ?」
「いいじゃないか、世界が平和で」
「おっしゃる通りですね」
相変わらず容赦ないツッコミだが、しばらくの間、それも聞くことは無くなる。なんせ、海上生活を強いられることになるわけなのだから。おまけに戻って来られるのも数ヶ月後になるか、一年以上になるかという話だ。
「でも、良なんかクビだろ? 本気でどうするんだ?」
「お前な、俺の心配してる場合か。というより、闇の女帝から話を聞いてないのか?」
「何をだ?」
呆れたと言わんばかりに宮岡は一つ溜息を吐き出した。少しは情報の一つや二つ、耳に入れて欲しいものである。
「女帝の情報ビジネスを手伝うんだよ。菅原会長と今回の一件で意気投合してな、世界中にさらなるネットワークを作り出すからその手伝いに行くんだ」
「へぇ、じゃあお前も女日照りが続く訳だ」
「いや、桜姫と何度か顔を合わせることがあるからお前ほどじゃないな」
「何だ、桜姫は龍に仕えるのかと思ってたんだが」
「はい、私はそれでも良かったのですが……」
残念そうに答えるあたり、さすが桜姫と言えるところだが、彼女もきちんと自分のこれからすべきことが何なのかを把握していた。
「GODが解体したといっても残党は残ってますから、それを壊滅させようと思っています。何より、今回の件で世界を敵に回したことは事実ですから、これからのためにも危険な芽を摘み取らないわけにはまいりません」
おそらく、いくつもの危険が付き纏うだろうが、桜姫は必ずやり遂げると決意していた。それが彼女の任務であり、未来を守ることでもあるのだから。
そして、彼女は既に未来の自分を決めていたりする。いや、間違いなくそうなると直感が告げるのだ。
「でも、それが終わったら主の元で働かせていただきますから」
「龍の元って……」
「きっと全て片付く頃には医院長になられるかと思いますから、お役に立てるかと」
「美人秘書か……」
絶対似合うな、と二人が笑うと時間はやって来た。また、彼等の日常が始まるアナウンスが流れて来る。
「んじゃ、行くぞ」
「ああ」
「それでは、また……」
三人はそれぞれ歩き出していった。ただ、きっと近いうちに合流出来るような気がしていたのだけれど……
そして、天宮家でもまた日常が始まっている。朝からドタバタと翔は階段から駆け下りてリビングに飛び込んできた。
「おはよう、翔兄さん」
「翔お兄ちゃん、おはよう!」
「翔君、遅いですよ。何で登校日を忘れているんですか」
夏休みの最中ではあるが、登校日という存在が学生には存在する。そんなことを見事に夏休みボケで忘れていた翔は、寝癖も直さず制服のシャツもはだけたまま、もっともらしいセリフを吐いた。
「夏休みに登校日なんてあるからいけないんだい!」
「ついでに夏休み明けテストが来週だってことも忘れてませんか?」
その言葉に翔は撃沈した。つまり、また彼は夏休みが終わる日まで紫月のスパルタ指導を受けるハメになるわけである。
それを想像して悶え苦しむ翔に末っ子組はくすくす笑った。末っ子組にはテストはなく、残りの夏休みは闇の女帝のところにお泊りの計画も立てている訳だ。
そんな賑やかな年少組達の元に、本日は楽しくデートの予定の秀と柳がリビングに入ってきた。
「翔君、朝から沈んでどうしたんです?」
「いいよなぁ! 大学生はテストがなくて!」
「ああ、夏休み明けテストですか。だったら僕が教えて」
「死んでも御免だ!!」
どれだけのスパルタと毒舌と拷問までもがついて来るか分からない指導なんて、勉強する以前に生死の問題に関わる。それだけは本当に勘弁である。
そんな会話に柳がくすくす笑っているのを見て、秀はまた穏やかになる。この笑顔がいつも見れなくなるのが寂しいのは、案外自分の方なのかもしれないな、と思うのは内緒だが。
「おい、学生達はそろそろ行かないと遅刻するぞ」
「あっ! お兄ちゃん!」
「どうしたんですか、スーツなんて着て」
リビングにスーツ姿で入ってきた啓吾に一行はどうしたのかと詰め寄れば、同じくスーツ姿で紗枝も入ってきた。
そして、鋭い秀は紗枝の薬指に付けられている指輪に気付く。
「啓吾さん、まさか……」
「ああ、墓参りもかねて紗枝の両親に挨拶に行ってくる。まっ、結婚は少し先だけどな」
少しバツの悪そうな表情を浮かべて啓吾は答えるが、妹達はパアッとした表情を浮かべて啓吾に飛びつくのを通り越して、紗枝に飛びついた。
「紗枝お姉ちゃんが本当にお姉ちゃんになるんだぁ!」
「紗枝さん、ふつつかな兄ですがよろしくお願いします」
「紗枝さん、兄さんを幸福にしてあげてくださいね」
何かがおかしい。自分への祝辞が全くなく、おまけに妹全員紗枝に懐いている。いや、良いことなんだが自分はこれからさらに蔑ろにされる気がするのは気の性じゃない。
そんなことを悶々と考えていると、玄関から沙南の声が響いて来る。
「また呼び出し〜!?」
「すまない……」
「これでデートのキャンセル何回目かしら?」
「うっ……!!」
何も龍は言い返せずいつものように頭を下げる。帰国した後も病院から相変わらず呼出しの毎日で、龍が沙南とデートしている場合はない。
しかし、患者第一な龍を止めることなど当然出来ない。だからそれだけの文句を行った後、ニコッと沙南は笑って送り出してやる。
「ほら、早く行った行った! 患者さんが待ってるわよ!」
「ああ」
龍は靴を履き、ドアに手をかけていつものように飛び出していくかと思ったが、ふと、その場で立ち止まった。それに沙南は首を傾げると龍はポツリと呟く。
「……五秒ならいいか」
「えっ?」
何だろうと思った瞬間、唇は重なる。それはほんの数秒だったが、十分過ぎる破壊力で……
しかし、まるで何事もなかったかのように龍は医者の顔となって告げた。
「いってきます」
「い、いってらっしゃい……」
そして、龍が出かけて行った後、沙南はその場にペタリと座り込んだ。今までと全く同じ日常でも、少しずつこれから変わっていく。だけど、それは幸せのために……
「本当、反則よね……」
だから好きなんだけど、と沙南は笑ったのだった。
はい! ついに天空記本編完結です!
最後の最後でやらかしてくれた龍!
うん! 本当に反則ですね、悪の総大将!
本当に長い連載となってしまいましたが、根気よく読んでくださった皆様方、本当に感謝いたします。
さて、このあとの話は番外編で書いてはいますが、それともう一つ、このメンバーで何かお話を書いてみたいなという気持ちがあります。
ただ、悩んでるのが、ノクターンの方で連載してみようかということですが……
十八禁も挑戦してはみたいなと思ってはいましたので……
はい、それはまたおいおい考えるとして、ここまでのご愛顧、本当にありがとうございました☆