第三十話:柳の力
基本、自分を見て赤くなる女性も欝陶しく寄ってくる女性にも秀は興味を持たなかった。沙南や紗枝みたいに波長があったり、普通よりすっきりした女性がタイプというわけでもないが、今まで彼に彼女がいた試しはない。
しかし今、自分が珍しく好感を抱いてからかいたくなる存在が傍にいる。沙南が太陽だとすると、まるで月のように穏やかな少女。可愛らしい声も仕種もとても自然で何より心が安らぐ。そのおかげか、今宵の彼の機嫌は非常に良かった。
だが、少女の方は若干落ち着かない様子である。ニコニコしている秀に頬をほんのり朱く染めながら尋ねた。
「あの、秀さん……」
「はい、何でしょう?」
「その、手を……」
「僕と手を繋ぐのは嫌ですか?」
「そうじゃなくて!! からかわないで下さい……」
「僕は繋ぎたいから繋ぐんですけどね」
いたずらモード全開である。柳が動揺して赤くなるのが楽しくて仕方がない。とにかく自分の事で困ったり慌てたり、そして笑顔になってくれたらいいと秀は思った。それだけこの柳という少女は魅力的だ。
「それより柳さん、今度はどこでデートしたいですか?」
「えっ?」
「夏休みになりますからね」
さも一緒に過ごすことが当たり前のように尋ねて来る秀に柳はまた頬を朱く染めるが、彼女も秀と一緒に過ごす夏を望んではいて……
少しだけ考えて、柳は精一杯の勇気を振り絞って彼女の望みを告げた。
「ヒマワリ畑がみたいです……」
ポツリと呟いた彼女の行き先に自分も行きたくなる。そう思わせるから不思議だ。普段の秀からは考えられないほど彼は優しい表情を浮かべて答えた。
「…そうですね、見に行きましょうか」
「はい……」
柳のはにかんだ表情がまた秀を穏やかにさせる。このままギュッと抱きしめたりしたらもっと面白くなるだろうか、と思ったが、どうやらそれはお預けらしい。
「柳さん、すみませんが少しだけ待っててくれますか?」
秀はスッと柳の手を離した。少しだけ残念に思ったが、視界に入ってきた不良と言う名の害虫達をまず排除しなければならなくなったのだ。
優美且つ、凛とした声で秀は害虫達に注意を促す。
「人の車の前で屯するのはやめていただけますか? 非常に迷惑なんで」
「はっ、ようやく来たか、天宮家の次男坊」
ピクリと秀の柳眉は吊り上がる。こちらに見覚えはなくとも相手は自分のことを知っているらしい。しかし、そのことには動揺せず相変わらず彼らしい言葉を紡ぎ始めた。
「誰も待っててくれなんて頼みませんよ」
「相変わらずの減らず口だな。この前はよくも郷田さんに向かって暴言を吐いてくれたな」
「当たり前でしょう? それともあの顔がゴリラに似てると誰も思ったことがないんですか?」
絶句したのはきっと誰も言い返せないから。主思いならそれはないとぐらい言い返してもらいたいものだ。
「フン、ちょっと顔が良いからって調子にノリやがって!」
「顔も性格も歪んでるあなた達よりは調子に乗ってもいいと思いますけど?」
完全に秀のペースだった。学の差というものはこういうところに表れるものだ。もちろん、それ以前に秀の元々持ち合わせている性格もより皮肉に拍車をかけているわけだが。
しかし、こうも言い返せない要素が明確になれば、舌戦で勝ち目がないことに気付くため害虫達は柳に目を付けた。
「だが、そっちの女はかなり楽しめそうだな。まだ犯られたこともなさそうだし」
「ああ、いろいろ犯りてぇ〜。お姉ちゃん」
秀は柳の耳を塞いだ。彼女には刺激の強いことも下劣な言葉も聞かせたくはない。きっと啓吾でもそうしただろう。そして、聞かせたくない言葉が終わりそっと両耳を塞いだ手を離した。
「柳さん、三十秒だけ待ってて下さい。それに兄さん達が忙しくならないことを祈りましょうか」
声は穏やかでもその目は苛烈で笑ってなどいなかった。喧嘩前の紫月と同じ顔だと柳には分かる。
「三十秒だと!? お前どんだけ馬鹿なんだよ!」
「全くだな! そんな柔なナリをしている癖に俺達と喧嘩になんのかよ!」
「喧嘩にもなりませんよ。本気を出せば十秒で片付きますけど、精々全治数ヶ月に抑えなければならない僕の苦労も考えと欲しいものですね」
「へえぇ、面白ぇじゃねぇか」
害虫達はニヤニヤと笑いながら秀を取り囲み始める。だが、柳は秀の言ってることがハッタリではないと感じた。逃げなければならないのは害虫達の方だ。
それを証拠に秀の口元がクッと吊り上がれば、彼は足を半足後ろに引いた。
「とりあえず」
「ぐあっ!」
まさに一瞬、先ほど柳を犯すと言った害虫の顔面を蹴り飛ばし、鼻血を噴かせて悶絶させる。
「その下劣な思考を止めておきましょうか」
「このっ!!」
次に襲い掛かってきた害虫には腹部に蹴りを、さらにその直後に突っ込んできた害虫には首筋をおもいっきり叩き、崩れかけた体を蹴り飛ばして数人の仲間達を巻き添えにした。
その動きは華麗で流水のよう、全てを見切っている彼には傷一つ付けられそうになかった。
それに苛立ちを覚えたのか、リーダー格であろう体格の良いピアス男が怒声を上げて秀に殴り掛かっていく。
「このガキがぁ!!」
やれやれと思いながら、秀は直線的に突っ込んで来た男にさっと足を引っ掛けて転ばせる。
「直線にしか突っ込めないんですか? 僕は闘牛士になる気はありませんよ?」
それも似合いそうだな、と柳はぼんやりそう思った。だが次の瞬間、転ばされた男は改造銃を抜く!
「死ねっ!!」
銃声が鳴り響いた! 銃弾は間違いなく秀に直撃した! それからさらに柳の背後から鉄パイプを持った別の男が飛び出して来た!
「これもくらえっ!!」
柳の後頭部目掛けて男が鉄パイプを振り下ろした瞬間、柳の中で何かが弾けた!
「秀さん!!」
「熱っ!」
男は持っていた鉄パイプを落とした直後、秀の蹴りが顔面を直撃しその場で悶絶した。それからさらに秀を撃った男の腹部に拳打を一発おみまいし、胃液を吐いて男は膝を折った。
「柳さん、大丈夫ですか!?」
柳の顔を見た瞬間、秀は目を見開いて驚いた。彼女の目の色は深紅に変わり高熱が彼女を纏っている。それは明らかに柳から発せられているものだと証拠付けるには充分だった。
しかし、その温度はすぐに彼女の周りから消えていく。おそらく、柳の意志が熱を無理矢理抑え込んだのだろう。もう触れても大丈夫かと秀は柳に手を差し延べる。
「柳さん……」
「見ないで下さい!!」
柳が叫んだのと同時に伸ばした秀の手も止まる。温度は消えても目の色までは簡単に元に戻らない。彼女はその目を隠すかのように顔を伏せてその場に膝を抱え込んで座り込む。
咄嗟の事でつい力を解放してしまった。それも秀が撃たれたと思った瞬間、自分でも驚いてしまうぐらい高熱を発してしまったのだ。
せっかく平穏に付き合っていける友人やその家族が出来たと思ったのに、自分はそれを今の瞬間壊してしまった。そして、彼女は震えながらポツリと呟く。
「……軽蔑されますよね、こんな力」
「どうしてですか?」
「だって魔女みたい……」
「可愛い魔女なら僕は嫌いになれませんけどね」
秀は眉尻を下げてもう一度柳に手を伸ばすと、触れるどころか彼女を横抱きにしてその顔を覗き込んだ。
「秀さん!?」
いきなり抱え上げられたことに驚いて顔を上げ、深紅の目は秀の視線と絡まる。降り注いでくるのは柔らかく優しい視線。本当になんて強く綺麗な人なんだろう……、と改めて柳は思う。
そして、驚いた柳の反応にクスリと小さく笑みを零して秀は全てを包み込むかのように告げる。
「帰りましょうか、丁重に送り届けるのが僕の使命ですし」
「だけど秀さん……!!」
柳はようやく気付く。右肩には間違いなく撃たれた跡がくっきり残されているが、秀は血の一滴すら流していなかったのだ。
「肩が銃弾で破けてしまいましたね。沙南ちゃんに怒られてしまうかもしれません」
秀は苦笑した。まぁ、家事のプロである彼女のことだ、服の再利用はしてくれそうだが。
それから秀は自分のことを話始めた。相手を信用しない限り話しもしない天宮家の秘密を……
「残念ながら僕に銃弾は効かないんですよ。化け物だって軽蔑されます?」
「そんなことっ……!」
柳は必死に首を横に振って否定した。そんなことがあるわけない。秀は秀だという事実は変わらないのだから。
「僕も同じ気持ちです。突然、熱を発しても目が紅くなっても柳さんは柳さんですから。それに今の目の色、まるで宝石みたいでとても綺麗だと思いますからもっと自信を持って下さい」
夜風が秀の髪をさらりと弄ぶ。自分へと向けられる優しい笑みに魅了されるのと同時に、柳は心から感謝した。
「秀さん、ありがとうございます……」
スッと涙を流しながらもふんわりとした笑顔で柳は礼を述べる。そして、深紅の目は元に戻り始めていた……
秀、どんだけ柳ちゃんをいじるのが好きなんだ!?
しかも恋愛感情というもの抜きでも彼女と手を繋ぎたいから繋ぐって……
さすが天宮家の血筋なのか……
さらにお姫様抱っこまでやっちゃったよ……
そして柳ちゃんの力が秀が撃たれたと思って発動!
高熱が発生して目の色が深紅に変わってしまうという確かに魔法つかいみたいですが、まだ彼女の力はこんなものではないと言っておきましょう。
ちなみに今回緒俐の頭の中で、お姫様抱っこした辺りからは「サクラビト」がイメージソングかなぁと頭の中で流してました(笑)