第二百八十四話:約束
それは二百代前、まだ龍が東天空太子だった頃の話だ……
桜の木の下で医学書を数冊広げて読み耽っていた龍は、ふと、太陽みたいな活発な足音が近付いて来るのを感じて穏やかな表情を浮かべる。
「殿下!」
龍は顔を上げると、そこにはたいそう不機嫌な幼い姫君が駆け寄ってきた。いや、どちらかと言えばお転婆な少女といった表現の方が似合うかもしれない。
ただし、龍はそれに関してはつっこまず、本にしおりを挟んで不機嫌な姫君に向き合った。
「これは沙南姫、どうされたんですか?」
「もう聞いてよ! 私はまだ子供なのにどうしてあんな変な奴らに求婚されなくちゃいけないのよ!」
そう言ってドンと沙南姫は隣に座るが、龍は完全にフリーズした。確かに気持ちは分からなくもないが、自分の心の中でいろいろな葛藤があるわけで……
ただ、それでも反応は早い方だった。彼は当たり障りない返答をする。
「えっと……、それは沙南姫様が魅力的だからではないかと……」
「殿下! 殿下まで皆と同じこと言わないで! いくら子供でも私が光帝の娘だからって利用しようとしてるって分かってるのよ! じゃないと誰がお子様に求婚なんてするもんですか!」
そうだな……、と思う。彼女は幼いながらも自分の立場はよく分かってる。だからといって、それを全て受け入れられる訳でもないから自分の元に来るのだ。
それに淡い満足感を覚えて、龍はポンと沙南姫の頭を撫でてやる。
「沙南姫様、そういう時は匿ってあげますから天宮へいらして下さい。皆喜びますから」
「喜ぶの?」
「ええ。皆、沙南姫様が好きなんですから」
「殿下も?」
「もちろん」
自分が守るべき大切な姫君、そういった使命感は彼女と出会ったあの瞬間から既に固まっていたもの。だから彼女が困っているなら助けてやればいいのだ。
ただし、これがこの先の彼の周りの人物達にからかわれる材料となり、沙南姫のバックには天空軍がついてると恐れられる要因になるわけだが……
「じゃあ、殿下。沙南が大きくなったら殿下のお嫁さんにしてくれる?」
そう尋ねられて龍は固まった。断るのも失礼であり、かといって鵜呑みにするのもどうかという葛藤が彼の心の中で繰り広げられる。
そして、結局彼は一番無難な答えにたどり着くわけである。
「えっと……、それは光帝にお伺いを」
「父上は殿下なら安心だって言ってるわよ? だから約束して、ねっ!」
あまりにも眩しい笑顔で言われては当然断る訳にもいかない。まだ先のことではあるが……、と龍は答える。
「……では、沙南姫様が大人になったときにこの約束を覚えていられたらということで」
「本当!? じゃあ、私はずっと覚えてるわ! ちゃんと素敵な姫君になるから!」
それが龍との約束となった……
戦の音が聞こえる。それぞれが覚醒し、二百代前、彼等が戦っていた場所に主上がその身体を移動させた。まるであの最後の戦いを再現しているかのように……
上空に浮かんで虚ろな黄金の瞳を主上に向けた沙南の意識は、完全に二百代に引っ張られていた。いや、正確に言えば沙南姫として覚醒することを彼女が望んだのだ。折原沙南のままでは、この目の前にいる男には勝てないと……
そして彼女は凛とした声で対峙する主上に告げた。
「主上……、やっと見えることが出来ましたね」
表情は変わらないものの、目の前に立つ沙南姫の力を感じ、主上は充分な満足感を覚えた。彼女の力は光帝に匹敵するほどの力を得ていたのだ。それは先日沙南が覚醒した時よりもさらに強く……
「なるほど、やはり二百代の時はお前の力をより強固なものにしたか。今では立派に光帝の跡目を継げよう」
「それは二百代前の話。現代、私の名は折原沙南です」
「だが、天空王に力を貸すことは変わってはいない」
「当然です。私は天空王様に全てを捧げると幼少の頃より決めておりました。けっして神族のためにこの力を磨いてきたわけではございません」
素敵な姫になると約束したから、現代でも龍は自分を求めてくれたから、何より龍を愛しているから、その思いは力となってくれた。
彼女は自分の手元に力を集め、それは太陽のように光り輝く。
「天空王様、いえ、龍様の望みのため、私は」
「沙南姫、あなたが戦う必要はない」
上空に二人の従者が浮かび上がって来る。その姿に主上の表情が若干動く。
「啓星様、桜姫……」
覚醒し、青い衣を纏った二人は沙南姫の前に立つ。その力は解放ギリギリまで高められており、爆発すればこの辺り一帯が変形するほどのものとなっていた。
「沙南姫様、お下がりください。私達の役目はあなたと主を守ること。そのためにはもう、二百代前の悲劇を繰り返すわけにはいかないのです」
「近くに紗枝の奴がいるはずだからそこまで下がれ。それと天空軍以外全て敵だと思えよ」
戦況はまさに二百代前と同じように作り上げているというならば、この神宮の周りは敵だらけだ。事実、視覚に入ってくる戦は啓星が二百代前に見たものと全く同じなのだから……
「……分かりました」
「行かせるとでも?」
主上が神通力を放とうとした瞬間、啓星は一気に力を解放してそれを弾き、花びらを纏った桜姫はそのまま突っ込んで主上のさらに上から蹴り下ろすが、それはあっさりとかわされた。
「二百代前の再現でもなさるおつもりでしょうか、主上」
「再現ではなく続きだ。事実、啓星の軍はここにいるだろう?」
「まっ、そう言われたら納得は出来るな。妹達はあの時と全く同じ場所にいる訳だし。だが、全てが同じようにいくとは思うなよ? 俺は篠塚啓吾としての意識は残してるんだからな」
「なに……?」
それは主上にとっては予想外の出来事だった。ここは彼の作り上げた世界であり、彼自身が啓吾達の覚醒を促したのだ。でも啓吾は、いや、桜姫も彼の意志に抗って現代の意識を保ったまま力だけ二百代前に戻っている。
そんな主上の思惑を少しでも裏切れたことに啓吾は口角を吊り上げて告げる。
「啓星だったら、主が望むことは従者が叶えるものと答えるだろうな。でも龍は俺に過去を断ち切ってほしいと願っていた。だから俺は啓星としてだけではなく、篠塚啓吾としてもあんたを倒させてもらう」
すると啓吾の横に桜姫も並んだ。いつもは一歩後ろに下がる彼女らしくない行動だ。
「なんだ? お前もやるのか? てっきり沙南姫様の後を追って守るのかと思ってたが」
「沙南姫様は皆様が守ってくださいますし、沙南姫様をそう簡単に捕らえられるものはございません。何より、私自身の二百代前の怨みもありますし」
「二対一だと少し卑怯な気もするけど」
「啓吾様、こちらの方が圧倒的に不利でございます。天界全土の民族と天空軍で戦ってるのです。この程度卑怯のうちにも入りません」
「ハハッ、やっぱお前が味方だと違うな」
「恐れ入ります」
少なくとも相手は龍と同じ天の力を操ることが出来る強敵だ。しかし、それでも何とかなるような気がして来るのは明らかに二百代前と違う点がいくつかあるからで……
そんな二人に主上はスッと腕を上げて静かに威圧感を醸し出す。
「天空王の従者風情が……」
「天に二人も王はいらねぇよ」
「全くです。地へと落ちていただきます」
そしてまた、新しき歴史が刻まれていく……
それぞれが覚醒して二百代前にいた場所に飛ばされているみたいで……
どうやらしばらくは戦争模様に染まりそうな天空記です。
ただ、桜姫はやっぱり二百代前と違ったということで、神宮で啓吾兄さんと戦うことになる模様。
本来なら二百代前も一緒に神宮を攻撃していたでしょうからね。
そして、沙南姫様の活躍はもう少し先とまたおあずけに……
でも、かなり強くなってるみたいですね。
主上が何故、二百代前の再現をしているのかは多分すぐ語られると思います。
次回は誰の視点に話が行くやら……