第二百六十三話:鈍感
先に部屋に戻った沙南は枕を抱えて座り、壁に背中を預けていた。どちらかと言えばいつも無敵だった自分が最近涙もろい気がする。
今まで泣かなかった分をここ数日に詰め込まれるような運命設定でもされているのかと、妙なことを考えてしまう自分に溜息が出てしまう。
そんなくだらないことをらしくもなく悶々と考えていると、部屋の扉はノックされた。
「沙南ちゃん、入るよ」
「ダメっ! いま入って来ないで!」
沙南は即座に拒否した。その反応に龍はキョトンとした表情になる。着替えてるのかとも思ったが、それならもう少し柔らかな答えが返って来るはずだ。扉には鍵までかけられているのだし。
「沙南ちゃん?」
「いま入ったら龍さんの晩御飯作ってあげないんだから!」
我ながら出てきた言葉に情けなくなって来る。だが、自分が作らなくても桜姫の性格上、あまりにも主が不敏になれば作るじゃないかと自問自答してまた胸が痛む。この胸の痛みの正体は明らかに嫉妬。自分でわかるだけ性質が悪い。
しかし、そう告げられた龍はそれなりにショックを受けていた。彼女が食事を作らないということは龍にとってはかなり衝撃的なことだ。弟達が聞けば間違いなく「即刻土下座して謝れ!」とつっこんでくれたに違いない。
「……えっと、沙南ちゃん? 俺、何か怒らせるようなことしたかな?」
「してない! ただ私の機嫌が悪いだけ!」
「どうして?」
「そんなこともあるの! だからほっといて!」
自己嫌悪の海に沈んでいく感じがした。明らかに今回は自分の気持ちが落ち着いていない性。かってに嫉妬して龍の負担になりたくないと抱え込んで、それを抑え込めなくて龍を困らせている。
最悪だなと落ち込むが、だけど顔を合わせたらもっとダメになってしまう気がした。
しかし、龍は少し考えた後、低い声で尋ねた。
「……沙南ちゃん、どうしても開けない?」
その声に鼓動が一つ強く打つ。少しずつ追い詰められていくような予感がするが、それでも沙南は反論した。
「……開けない!」
「じゃあ、このドア壊すよ?」
「えっ!?」
「俺は天宮家の家長だからな。反抗期の家族に妥協出来るほど寛大じゃないよ」
本気だとドアの向こうから感じさせられる。沙南はいっそのことこの部屋の窓から飛び降りてやろうかと唯一の脱出口を見るが、さすがに三階から飛び降りるのは危険過ぎる。
もちろん、怪我程度で済めば治療してくれる医者は四人もいるわけだがと考えていると、さらに龍は追い打ちをかけてきた。
「どうする? 開けるかい?」
こちらの負けだ。そうせざるを得ない状況に悔しくなるが、このまま意地を張って開けなければさらに追い込まれるのは自分だ。
沙南は観念して渋々扉を開けて龍の顔を見れば、やっぱりそんな表情をしてるのかと心の中で呟いた。外にいた龍は家長の顔ではなく、自分に心を開いてくれなかった沙南を怒ってるようで心配している顔。だけど、誰よりも頼りたくなる人の顔だ。
だから開けたくなかったのに……、と彼女の目から涙が溢れ出した。
「沙南ちゃん!?」
「何よ! こういう時だけ実力行使なんて龍さんズルイわよ! この鈍感医者!」
そう叫んで思いっきり両手で龍の胸を叩く! さすがの悪の総大将もそれには困惑した。とりあえず部屋の扉は閉めるかと、龍にしては冷静な行動をとったが、泣きじゃくって自分の胸を叩いて来る沙南をどうしたらいいのかが分からない。
だが、どうにもならないなと思い、そのまま胸を叩かれるだけ叩かれて沙南が落ち着くのを待つことにした。これほど沙南が取り乱したこともなかったから……
それから数分後、彼女はようやく落ち着いてくれた。顔を真っ赤だが呼吸は少しずつゆっくりになっていく。そして腰を引き寄せて頭を優しく撫でてやる。
幼い頃、滅多に泣かなかった沙南だが、時々泣きじゃくればこうして慰めてやるのが龍の役目だった。だが、今の龍の目には家族としてではなくて一人の女性として沙南は映っているわけだが。
そして、一度沙南は息を大きく吐くと龍の胸に顔を埋めたまま少し不機嫌な声で尋ねる。
「……龍さんにとって私って何?」
「ん?」
「ただの家族? 手のかかる主? ハウスキーパー? 一体どれ!!」
「えっと……」
さすがの龍もその迫力にたじろいですぐに答えられない。大切な女の子だとすぐに切り返せればいいのだが、それは龍には不可能でしかない。
すると沙南は龍のシャツを掴んでキッと睨みつけてきた。これはまずいと焦る。彼女はキレてるどころじゃない!
「啓吾さんにはなんでも話せるけど私には話せないの?」
「いや、そんなことは……」
「それに桜姫さんと従者以外の深い関係になっちゃったの? しかも天の力をコントロール出来るようになるために!?」
「全く関係……!」
「さらに闇の女帝ともあんなに仲良くなっちゃって足までマッサージしてあげるし……!」
「沙南ちゃん」
「その上八つ当たりするからほっといてほしかったのに、こんな時だけ実力行使なんだから……!!」
シャツを引き裂かんばかりにわなわなと震える。もうどうとでもなれと、沙南の心の中は自暴自棄になった。
「だから龍さんなんてもう知らない! これ以上ほっといてくれなかったら……!」
「ほっといたら泣くだろう?」
心の中に波紋が広がった。それからいつも以上にギュッと抱きしめられる。その強さが嫌で、だけどずっと好きだった……
そして、沙南は最後の小さな抗議を龍にぶつける。
「……離して」
「離さない」
「どうして?」
見上げてくる目が愛おしい。そんなの決まってると龍は穏やかな笑みを向ければ沙南の胸はトクンと高鳴る。そっと指で涙を拭ってやり、龍はその問いの答えを返した。
「……俺は沙南ちゃんの家来だからね」
「何それ……」
ここに秀達がいたら間違いなく批難の嵐を起こしてくれたに違いない。どうして人の核心を突くのがうまい癖に、最後の最後で決めてくれないのだろうか。
だが、沙南はクスリと笑った。これで良かったのだ。龍はいつだって自分が本当に辛い時は手を差し出してくれるのだから。
自分はそれを信じていれば龍は必ず応えてくれる。だから多少の無茶も平気だと胸を張れていたのに、いつの間に弱くなったんだろうと思えば、今度は反省の情が湧いて来る。
「龍さん、私」
「啓吾は親友だからいろいろ話すけど、まだ推測の域までしか話しがまとまってなかったから沙南ちゃんに言えなかった」
「龍さん?」
沙南が謝罪する前に龍は言葉を遮った。一体どうしたのだろうかと思うが、龍は髪を優しく撫でてやりながら続ける。
「……天の力は天空王に覚醒してから少しずつ自分に馴染み始めてたんだ。桜姫もただその影響を受けただけで俺との恋愛関係はない」
どうやら先程自分が八つ当たりした内容を一つずつ答えてくれてるらしい。ただ、明らかに自分の嫉妬が全面に出ていた解答を懇切丁寧に教えてもらうのは恥ずかしい。
龍と桜姫の関係は二百代前の絆というだけでも納得できるのに、自分はそれに嫉妬したのだ。
桜姫を疑ってしまったことを沙南は反省するが、おそらく彼女は沙南をそこまで追い詰めてしまったことを沙南に対してだけ懺悔し、龍に対しては辛口で忠告してくれることだろう。
あくまでも沙南が嫉妬するのは龍がしっかりしていないから、との見解を持っているからだ。それはいくら主だろうと譲れないとばかりに……
「闇の女帝の件はあれ以上誰も傷付けない方法が見つからなかった。それでももっと良い方法があったのかもしれないな」
「龍さん……」
「どうした?」
「ごめんなさい……」
かってに嫉妬して、八つ当たりして、泣きじゃくって、困らせて、何より信じ続けていられなくて……
そんな思いを全て詰め込んで沙南は謝った。それに龍はホッとしてポンポンと頭を叩いてやる。その扱い方だけは昔から変わらないな、と沙南は子供のように扱われていることが少し悔しく思った。
「さて、じゃあ俺も聞きたいことがあるんだが」
「えっ?」
沙南はキョトンとした表情を龍に向けると、龍はやけに真剣な表情でこちらを見てくる。思わず息を飲んでしまうほどこちらに迫って来るものがある。
「沙南ちゃん」
「は、はい!」
返事が敬語になってしまう。それほど重要なこととなればやっぱり天空記絡みかと思う。確かに自分の夢の内容でまだ話していないことはあるが……
しかし、その予想は見事にはずれた。そして爆弾は落ちる。
「俺はそんなに鈍感医者か……」
「えっ?」
「いや、医者にとって鈍感はまずいと……」
「ちょっと、龍さん!?」
かなり凹んでいく龍に沙南は慌てる。どうやらグサリと突き刺さっていたらしい。しかし、確かに恋愛ごとに関しては否定できないどころではなく……
「龍さん、大丈夫よ! それにさっきのは言葉のあやと言うか……! お願いだからそれ以上落ち込まないで〜!!」
「落ち込むさ。好きな女の子に言われたんだからね」
そうさらりと告げて深い溜息をつく。
今のは何だ? 今のは告白なのか? それともいつも通りの天然か!? そう自問自答してると、みるみるうちに顔は真っ赤に染め上げられる。
「だけど沙南ちゃんに愛想尽かされないようには努力しないとって、どうしたんだ?」
固まってしまってる沙南の目の前で手を振るが反応がない。ただ、やっぱり鈍感だと思うのだった……
龍〜〜〜!!!
何なんだ!? それでいいのか!? やっぱりあなたは告白しないのか!?
いや、してると言えばしてるんだけど……!!
はい、つまりこれだけ甘くなっても龍は鈍感だったと……
沙南ちゃんが嫉妬してるのにそれを平然と受け入れてる気が……
う〜、かなりの批難が予測されます……
それにしても鈍感なわりには核心は突きますよね(笑)
「ほっとけない」とは言わず、「ほっとけば泣くだろう?」と言うのは龍らしいです。
だから沙南ちゃんは龍が好きなのかなぁと。
でも、待ってて下さい。この二人の甘さは作者も諦めてませんから(笑)