第二十六話:情報
嵐の後の静けさなどというものは、天宮家にはなかなか訪れはしない。
宮岡良二という龍より二つ年上の新聞記者は常識を守る男でもありつつ、事件も持ってくるタイプである。そのおかげなのか、彼の職業の適正は非常に高かった。
「車は車庫に入れといたぞ」
「ありがとうございます、先輩。どうぞ、上がって下さい。沙南ちゃん、すまないけどコーヒー二つよろしく」
先程、自分は確かに愛の告白をしたはずなのに、この医者はなんですぐに話を逸らしてしまうんだろう……、と沙南は相変わらず恋愛事に関しては初を通り越して鈍いんじゃないかという家長に悪態を突きたくなった。
ただし、いつものことだからと寛大にもなっていたため沙南の切り換えも早い。
きっと、彼の得たい情報がやって来たのだから自分の存在など二の次になってるに違いない、とほぼ無理矢理理由をこじつけると、沙南は有能な天宮家総指令官へと変わる。
「分かったわ。その前に龍さん、溜まってる洗濯物出して頂戴!」
両手を腰に当てて沙南は命じる。語尾が少し怒ってるように龍は聞こえたが、洗濯物をためてるのは事実だ。
「ああ、主に言われたら命令は聞かなくちゃな」
宮岡から車のキーを受け取って龍はもう一度門の外へ出た。そんな龍の後ろ姿を見送ったあと、深い溜息を吐き出すとともにガックリと肩を落とした沙南に宮岡は尋ねる。
「相変わらず龍との仲は進んでないのかい?」
「進む以前の問題かしら……、うちの彦星殿は決めるところを決めた後に絶対甘いムードを壊すんだもん……」
確かに沙南が抱き着いているところを彼もバッチリ目撃して、少し二人の時間を邪魔しないようにと遠慮していたが、龍はやはり龍だった。こんな時に気の利いた言葉の一つすら言えないのは、もはや国宝級の恋愛初心者である。
写真ぐらい撮っておけば良かったのかもしれないな、と宮岡は沙南に同情してしまう数もこの数年は増加傾向にある。
「ごめん、来るタイミングが悪かったかな……」
「ううん、宮岡さんが来てなかったら、間違いなく龍さんは殺人犯として明日の新聞のトップ記事を飾ってたわよ」
「そうか、記者としてその場面に出くわすはずだったならかなり惜しいことをしたね」
そう感想を述べる宮岡に沙南は苦笑した。彼のそんな冗談はいつ聞いても面白い。もちろん、龍にとっては時々、眉間にシワを寄せて悩む原因にもなるのだが……
そんなほのぼのした会話を聞いていた紫月は、兄の失態を見て額に手を当てている翔に尋ねた。
「あの人、どちら様なんですか?」
「宮岡の兄ちゃん。龍兄貴の幼なじみで先輩。さらに紗枝ちゃんの兄貴の親友。そんで新聞記者なんだ。夏休みとか正月休みに開かれる家の酒宴には毎年来るんだけど、今日はどうしたんだろうな?」
はて、と翔は首を傾げる。用事がある時は龍が宮岡の元を訪れることがほとんどだ。しかし、今日はその逆で珍しく宮岡が天宮家にやって来たのである。
一体、何が起こったのかと気になるところだが、大人達の会合に入る無礼をさすがに働く訳にはいかない。どうするべきかと翔はう〜んと頭を悩ませる。
「頼んだとしても、会合には入れてくれないよなぁ?」
「でしたら、バレないように聞き耳でも立ててみたらどうですか?」
あっさりと回答を出してくれた紫月に翔は驚くが、一番有効な手立ては盗み聞きには違いなかった。
リビングに通されて約十分後、龍が着替えて来たのと同時に煎れたてのコーヒーが差し出された。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、沙南ちゃん」
また腕を上げたな、と久し振りに沙南が出してくれたコーヒーの香から宮岡はそう感じ取った。彼はこのコーヒーを家に帰るたびに堪能している龍が羨ましくてならない。
「先輩、早速で申し訳ありませんが約二週間前、うちの年少組が変な奴らに追い掛けられてそいつらを返り討ちにした件についてなんですけど……」
篠塚家と関わるきっかけになった雨の日、翔と純が門限を破った理由の事件を龍は宮岡に調べてもらっていた。最近の一連の騒動はそこから始まっている気がしたからだ。
しかし、その件については、通常なら被害に遭うはずの少年達が立派な加害者になってしまったのだけれど……
「ああ、お前さんのヨミは正しかった。翔君達を襲ったのは郷田議員の手のものだ」
「やはり……」
タイミングが良過ぎる、と龍はずっと思っていた。次から次へと起こる騒動も盤面の外から見れば立派な一つの戦略になる。
ただし、天宮兄弟にはどうやらそれがかなり無意味だったらしく、昔から彼等のことをよく知っている宮岡はやれやれといった顔をして一つ息を吐き出した。
「だが、相変わらずお前ら兄弟は強いな。いくら襲われたからって暴力団一つ壊滅させるか、普通……」
「なるほど、あいつらが三時間も門限破った理由は暴れ過ぎだったか」
「龍さん、そこまで。このまま翔君のことを追求してたら話が脱線しちゃうわよ」
沙南はクスクス笑いながら龍の説教モードを一先ず停止させておいた。だが、門限破りの原因まで掴んでおく家長はさすがというべきなのだろうか……
「だけど、郷田は篠塚家にも手を出したみたいだな」
「篠塚家にもか!? そんなの一言も聞いてないぞ!?」
啓吾の奴も話せばいいものを……、と龍は批難するが、ここ数日の啓吾のシフトを見る限り、篠塚家が無事だった理由について沙南に一つの推測が生まれた。
「もしかして、紫月ちゃんが撃退したの?」
「御名答。篠塚家にも何かしらあるみたいでね、それに龍の同僚の篠塚啓吾と言ったか? どうやらあいつも過去にいろいろやってるみたいだが調べきれなかった」
アメリカの権力者が匿ってるのか、よっぽど本人が情報操作が上手いのかは分からないけどな、と付け加える。
「だが、郷田の方は結構面白い事が分かってな。龍、お前んちの祖父さんの葬式の時、やけにすごい警備を引き連れて弔問に訪れた老人を覚えてるか?」
「ええ、確か高原って名前でしたか……」
龍は記憶を辿っていく。どこのお偉いさんかと思われるような老人がSPを引き連れて弔問に訪れたのを見て、翔と純が凄いと騒いでいたのを思い出した。
ただ、冷静にその姿を見ていた秀は何か異様なものを感じると龍に零し、龍もその意見に近かったが……
「そうだ。その爺さんは大君と言われてる裏社会のドンでな、郷田はそいつの犬だって事が分かった」
「じゃあ、本当の黒幕は」
「そっ、その高原老ってことだ」
宮岡は程よい温度になったコーヒーを一口飲んだ。やはり味もいいな、と感じながら。
「まぁ、裏社会のドンがお前さん達にどうして目を付けたのかは知らないが、一つだけ言えるのは高原老もお前達と同じ体質らしいからな。……そのうち食われるかもしれないぞ、翔君」
ニッと悪戯な笑みを浮かべて宮岡が少し大きな声で言えば、リビングの外で話を聞いていた翔は頭を掻きながら入って来た。それに沙南はクスクス笑う。
「バレてたのか」
「盗み聞きは感心しないな、翔」
「紫月だって聞いてるやい!」
翔は責任を分散すると紫月は申し訳なさそうに謝った。
「すみません、気になる内容でしたから……」
「いや、篠塚家にとっては巻き込まれた形だからな。それに啓吾も啓吾だ。話してくれればいいものを……」
「兄は昔からトラブルが起こっても一人で抱えてしまうタイプなので……」
何より警察官に襲われたのはあなた達の性です、と言ってすぐに理解してくれる人などそういるものではないだろう。
「とりあえず、今度から何かあったら必ず知らせてくれ。出来る限り君達を危険な目に巻き込む事はしたくない。それに啓吾にも一度話を聞かせてもらうよ」
「はい、お願いします」
すぐに紫月からその言葉が出たのは初めてだった。なぜか龍を前にすると絶対的な信頼感が紫月を包み込む。
今まで、兄弟や義父ぐらいにしか抱いたことがない感情だったというのに……
そして、龍の厳しい視線は翔に向けられる。
「それと翔、お前はやっぱり暴れ過ぎてたんだな?」
「紫月! 期末が近いからさっさと勉強しようぜ!」
「ちょっと翔君!」
説教は御免被ると紫月の手を引っ張って二階へ駆け上がっていった。
相変わらず逃げるのが早い、と宮岡が評すれば、手がかかって仕方がない、と龍は深い溜息を吐き出す。
「でも気を付けとけよ、龍。お前達がいくら常識はずれの強さでも相手が相手だからな」
「大丈夫ですよ。俺達の平和な生活を乱す奴に負ける気がしません」
きっぱりと言い切る天宮家家長は、実に人を圧倒させてしまう威厳と風格を兼ね備えている。宮岡が龍の言葉一つで安心させられるのには充分だった。
「そうだな。んじゃ、窓際記者はそろそろおいとまさせてもらうよ。沙南ちゃん、コーヒーご馳走様。早く龍に嫁いでいつでもこの味で迎えてくれよ」
「先輩っ!」
龍が真っ赤になって叫ぶと、相変わらず予想通りといった反応に宮岡は吹き出した。
「ハッハッハッハ……!! 照れんな龍! じゃあ、次の酒宴の時にあいつら引き連れて来るから」
「……菅原先輩に戦車はだけはやめて下さいと伝えておいて下さい」
「ああ、確かにあの馬鹿はな……」
宮岡は今頃どこの空の下で戦車を乗り回してるのだろう、親友の馬鹿面を思い浮かべるのだった……
さあ、ようやく話が少し進みました。
天宮家に大君の存在が知らされます。
でもそれを自信満々で龍は迎え撃つようで、さすが家長ですね!
そしてちょくちょく話に出て来る紗枝さんのお兄さん。
創竜伝が題材なので、もちろんモデルは水池さんですけど、紗枝の兄は本物の馬鹿を目指してますので登場をお楽しみに!