第二百四十四話:桜姫の怒り
「……へええ、天空王に膝を折らせるなんてやるものだ。女の恋は怖いものだね」
暗室のスクリーンに映し出された映像に神は口角を吊り上げた。花の女神が一瞬の隙をついて仕掛けた策に龍が掛かったことは顔色から分かる。
ワイングラスを片手に、滅多に見れないであろう光景と最悪の場合一行を壊滅状態に追い込むであろう作戦に、神はこれから起こる事態を心待ちにしていた。
「できれば天の力まで解放させてくれるかな」
ワインを楽しみながらポツリと彼の希望も口にした。
「龍兄貴!」
「龍さん!」
「主!」
突然膝を折った龍に翔達は驚き駆け寄ろうとしたが、植物兵達が邪魔をしてなかなか龍に近付けさせてくれない。
そして膝を付いている龍の前に花の女神は妖艶な笑みを浮かべて立った。その目には殺意ではなく支配欲が漂っていることに龍は気付く。
だが、体は全くいうことを聞いてはくれず、動こうとすればするほど別の何かに侵されていくような感覚を味わった。
「くっ……!」
「ふふっ、これであなたは私のもの」
「何をした……!」
「有能な医者であるなら進んでいく症状に予測も立ちましょう?」
体の異変は充分過ぎるほど分かる。だが、それ以上に分からないのがこの感覚だ。催眠にかかってるならば理性ぐらい飛びそうなものだと思うが……
「媚薬だけじゃないだろう……!」
「ええ。ですがあなたの意志は残ったままあなたは全てを壊し、そして私を求める」
しなやかな指先で龍の頬に触れようとした瞬間、一片の花びらがその手を傷付けた。その痛みに花の女神の表情は歪む。
「桜姫っ……!」
「主には指一本触れさせは致しません」
龍が望まないことを、何より尋常な状態ではない龍に触れさせたくはなかった。龍を守るために桜姫は彼の前に立つ。
だが、すぐに花の女神は口元に笑みをかたどる。膝を付いていた龍がすっと立ち上がったのだ。
「桜姫……」
「えっ?」
「あぶねぇ!!」
突如桜姫に振り下ろされた拳に気づいて、翔は桜姫の腰をぐっと掴んで跳躍しそれを避ける。
「くっ……!」
苦しみながらもその目が黄金に変わり、すぐに翔達を狙った重力波が放たれる!
「やべっ!!」
「翔様!!」
無数の花びらがクッションがわりになり、壁への激突を避ける。だが、更に畳み掛けるかのように龍が重力波を放とうとした瞬間!
「すみません! 龍さん!」
紫月は風の力を足に纏ってそれを蹴り放ち龍にそれが直撃するが、やはり重力の力で踏み止まられて壁への激突を避けた。
そして紫月はふわりと翔達の元に舞い降りる。
「桜姫さん、怪我はないですか?」
「はい、ご心配をおかけいたしまして申し訳ございません、紫月様」
「おい、俺の心配はないのかよ……」
「翔君がそう簡単に怪我するわけ……あったんですか?」
「ん?」
「右腕と大腿、切れてますよ?」
あまりにも意外そうな表情を浮かべる紫月に翔自身も傷を見て驚いた。どうやらさすがは兄といったところか、相手をするとなると無傷とはいかないらしい。
しかし、庇われた側の桜姫は非常に申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ろうとしたが、当人は久しぶりの兄弟喧嘩に胸を躍らせ始めたようだ。その目が英気に満ち溢れている。
「俺に名誉の負傷を負わせるなんてやっぱ兄貴だよな」
「その表現は違うと思いますよ? まぁ、翔君の犠牲で皆が助かるなら立派な最期だったと……」
「そこまで落ちるなよ!」
「すみません、翔様。私の所為で……」
「桜姫の所為じゃねぇよ。兄貴が油断してあんな催眠術に引っ掛かるからいけないんだ」
虚ろな目をして、さらに青い顔をして、媚薬のせいで熱だけはきっと感じているのだろう龍の症状だが、果たして龍がそう簡単に催眠や薬の類に引っ掛かるのだろうかと紫月は思う。
何よりどこかまだ龍が自分を失っていないということは感じられた。
「桜姫さん、あれは一体……」
「あの症状すべてが薬と催眠ではないようですね。それに主は意識を完全に支配されてはいらっしゃいません」
「それってどういうことですか?」
「おそらく何者かが憑依しているのではないかと」
「そんな……」
そんな馬鹿なことがと思うが、そういった類の中に身を置いているのは事実である。何より、そんなことでもない限り龍が操られるなんてことはない。
「桜姫、それって対処法あるのかよ」
「主のことですから憑依したものは自分の中で消し去るでしょう。ですがいま主に憑依しているものに暴れられてはこちらも多大な被害を被ります。
おそらく催眠と媚薬の二つを使われたのも時間を稼ぐため。その前に一度主を気絶させて下さい」
「気絶って……」
どれだけ無理難題を付けてくるんだと思うが、桜姫は穏やかに微笑んでくれる。どうやらそれしか方法はないらしい。
「すみませんがお願い致します。私は花の女神と対峙しなければなりません。少なくとも催眠術は術者を倒せば解けるもののようですから」
桜姫が怒りに満ちた表情を初めて見た気がした。どんな時でも穏やかで落ち着いた物腰の彼女が、主に危害を加えられたことに対しては冷静さを失わなくとも平静でいるつもりもないらしい。
「ふふっ、あなたにもそんな表情が出来たのですね」
「口を閉じて下さい。それと花の女神、あなたの一番の勘違いを訂正させていただきます」
「勘違い?」
それは何だと尋ねる前に桜姫は攻撃に転じた! 無数の花びらが花の女神を傷付けようと一斉に襲い掛かる!
「くっ……! 生意気な!」
花の女神の傍から無数の花びらと蔓が防御と攻勢に転じたが、桜姫はそれをも花びらで切り裂いて花びらの波で花の女神を壁まで押し飛ばした!
そして桜姫は花の女神の前に舞い降りると、彼女が勘違いしている内容をばっさりと言い切った。
「主はあなたがどれだけ無駄な策を労しようとも決して靡きは致しません。主の心はこの現代でも沙南様のもの」
「っつ……!」
「そしてあなたが憑依させたもの、あのような二百代前の亡霊などに主と沙南様の恋情は引き裂けはしません。絶望を味わう前に引いてはいかがですか?」
桜姫の髪と青の装束の袖が風に揺れる。夏だというのにやけに冷たい風が吹いているような感じがした。
「桜姫……」
花の女神は囁く。彼女がせめて傍に置いてもらえたらと願った天空王は自分の女官に名を与え、彼を象徴する色を与え、傍に置くことを許した。
「沙南姫……」
何故あのような小娘を守るのかと、そして愛を注いでくれるのが自分ではないのかと憎悪に心を支配された。しかし、切り裂けない絆に苛立たされてばかりで二百代前から何も変化しない。
「許さぬ……! 許さぬぞ!!」
怒りに満ちた花の女神の周りからいくつもの花や蔓が生命の息吹を上げ凶暴化していく! 明らかにそれは彼女の力以上の現象だ!
「桜姫っ! まずはお前を葬り去ってくれる!」
そう叫んで殺意を向けて来る花の女神に桜姫も自分の身に花びらを纏わせる。
どうやら予想以上に時間がかかるかもしれないと確信しながら……
さあ、なんと龍が操られるなんて事態に!
しかも催眠に媚薬に憑依。そこまでやられるなんて一体どうしてなんだ?
まあ、それはおいおい明かしますが。
だけど今回は桜姫がキレた模様。
いつも穏やかで落ち着いてる彼女ですが、龍に危害を加えれるとやっぱりキレるようで……
主に対する無礼には秀と同じぐらい相手がどうなろうと構わな……
はい、それだけ怒っているのです。
だけど龍に憑依した亡霊と桜姫は言っていましたが……
何はともあれ、おそらく十五禁スレスレて話は進んでいくかなと思います。