第二十四話:参謀長官
七月七日の午前九時半、天気は快晴。その日、天宮家に篠塚家の三人姉妹が訪れた。
「お邪魔しま〜す!」
「いらっしゃい、夢華ちゃん! 上がって!」
「お邪魔します」
「よう! いい日に来たな! とにかく上がれよ!」
末っ子組は遊ぶ約束を、翔達は期末テストの勉強会のために集まっていたが、沙南の婚約者が十時に来るなら気になると朝早くから押しかけていたのである。
そして、本来午後から秀と会う予定だった柳も天宮家を訪れてもらうように頼まれていたため、夢華達と一緒に来た訳だ。
「いらっしゃい、柳さん」
「すみません、こんな朝早くから押しかけて」
「いえいえ、僕がお願いしたんですから。それに今日はとても可愛らしいですね」
「あ、ありがとうございます……」
顔を朱く染め、小さく礼を述べる柳に秀はニッコリ笑った。彼女のこういった仕種は秀にとってかなりのツボだ。
だが、それを差し引いても柳もかなりの美少女だと秀は再認識した。
そんな本日の彼女の恰好はといえば、髪をまとめ、夏らしい小花が所々に散らされた水色のワンピースにそっと白いレースの上着を引っ掛けている。
ただ、服を着こなしているという表現ではなく、服そのものが柳を引き立てようとしていると言った方がしっくりくる。それも彼女の大きな魅力なのだろう。
しかし、ずっと笑顔のまま見られていることに居た堪れなくなった柳は、その場を切り抜けるためにも秀に尋ねた。
「それより、沙南ちゃんは大丈夫ですか?」
「……それが、多少荒れてる沙南ちゃんを少し慰めてもらえれば助かりますね」
秀は苦笑せざるを得なかった。さすがの秀でも慰めるのに無理な事態があるらしい。
リビングに通されてTシャツにジーパンと、とても婚約者を待つ恰好をしてない沙南はソファーの隅でクッションを抱えて沈んでいた。
「沙南ちゃん、おはよう」
「…柳ちゃ〜ん!」
柳を発見した途端沙南は抱き着く。やはり親友だからこそ見せられる表情もあるようだ。柳は沙南の柔らかい髪を撫でてやる。
「もうっ! こんな日に限ってまた龍さんも紗枝さんも緊急オペなんて〜」
「うちの兄さんも呼び出されるぐらいだからきっと本当に大変なのよ。それに大丈夫よ、沙南ちゃんがこんなに嫌がってるのに相手の人も無理強いはしないと思うし」
「そうでもないかもしれないですが……」
秀からポロリと本音が零れる。写真といい手紙といい、とても紳士的な態度とは掛け離れた印象しか受けられなかった。
おまけにある程度の権力を持っているものというのは、それなりの手段を取って来る可能性も高い。少なくとも、秀の仕入れた情報では郷田はそういった輩だ。
とは言え、秀は焦りの一つも覚えていないのだけれど。
「とりあえず、兄さんが帰って来れない場合は僕が相手を二度と来れないようにしておきます。ご安心をお姫様」
「それが一番いいかも……」
もはやいつもの余裕が沙南にはないらしい。性質の悪いナンパやストーカーですら怯まない精神の持ち主も親まで絡んだ婚約者には参った御様子だ。
もし、龍が毎日帰って来てくれるのだったら、もっと落ち着いていられただろうに。
「兄貴! 表にゴリラが愉快な仲間連れてやって来てるぞ!」
騒々しく二階から降りて来た翔はいかにも喧嘩好きの血が騒いでいるのか、キラキラした目を隠すことが出来なかった。
しかし、秀は愉快な仲間と聞いて嫌悪感を抱くと同時に、なぜそんな奴らを連れてくる必要があるのかと疑問を持つ。龍がいればまだ意見交換も出来ただろうが。
「翔君、まだ末っ子組を愉快な仲間と関わらせるのは教育上問題がありますからね、部屋で大人しくしておくようにと言っておいて下さい」
「ああ。って、俺は最初から問題児みたいな言い方してないか!?」
「翔君は僕がまともに生きるように面倒を見て来たにも関わらず立派な問題児じゃないですか。今更生き方を変えなさいなんてそんな偉そうなことは言いませんよ。
それに状況に応じて動けない問題児に育てた覚えもありません」
そう告げて微笑を浮かべる兄に相変わらずだなと思うが、こういった状況下で秀に素直さを求めても無駄である。まぁ、行動は正直過ぎるのかもしれないが……
「…なんだよ、素直に暴れていいって言えばいいのに」
「家長は世間一般的な平和主義を貫きたいタイプですからね、弟達がそれから掛け離れてるのは心苦しいんですよ」
「龍兄貴だって結構過激なところあるじゃねぇか」
長年、龍と付き合って来たものは全員が頷く意見である。一見、かなり落ち着いた古風な父親といった龍だが、天宮家の長兄だということも忘れてはならない。おそらく、一番キレておっかないのは間違いなく龍なのだから……
そして、再び翔が階段を駆け上がっていった後、戦前の秀としては珍しく柔らかな表情を浮かべて柳に告げる。
「柳さん、少しデートの時間が削られるかもしれませんが……」
「構いません。私も沙南ちゃんを守りたいですから」
この状況で穏やかな笑みを浮かべられる女の子がいたのかと秀は内心驚かされながらも、どこかそう答えてくれたことに胸がざわついた気がする。まるで心の奥底の記憶に触れられたような感じがしてならないのだ。
しかし、今は目の前の問題を片付けることが先決だと、秀はそれを表情に出さず微笑を浮かべた。
そして運命のチャイムは鳴らされ、秀は待ってて下さい、と言い残して顔付きが好戦的なものに変わった。もし、こちらに危害を加えて来るつもりなら遠慮なく消してやろうと思っていたからだ。
ただ、それは少々鈍ることになった。秀はリビングを出て玄関のドアを開くと、視界に飛び込んできたあまりにお粗末いってもフォローになる大男に絶句したのである。
「こんにちは、沙南さんの婚約者の郷田です。沙南さんをお迎えに上がりました」
寛之の恰好は紫のスーツに真っ赤なネクタイ、そしていかにも中年男性が好みそうなブランドの革靴を履いていたが、体格の良さと顔の性か非常に服とミスマッチしてる。
これはセンスがない以前の問題だな……、と見ていた者達の感想は一致した。
「スーツ…似合ってないですよね」
「ああ、まだ本物のゴリラがきた方が愛嬌がありそうだ……」
翔と紫月はそう評価するので精一杯だった。どうもフォローの言葉が見つからない。
しかし、天宮家の参謀長官は気を取り戻すのも早かった。こんな奴にはさっさと退散願おうと、優秀を通り越したキレ過ぎる頭と口が運転を始める。
「すみません、沙南ちゃんはあなたと出掛けると現代医学でも治せない病にかかるようなので、さっさとこの世から消えてくれますか?」
容赦なく全てが本音という秀の言葉にゴリラ顔が歪む。初対面で開口一言目にこの世から消えてくれと言ってのける人物はおそらく彼くらいだ。
「……秀さん、きついですね」
「いや、まだあんなもんじゃないぞ……敢えて逃げ道を作ってやってる……」
弟だからこそ分かる。秀が本気を出せば、もっと辛辣な言葉の雨を相手に降らせる事など容易だ。それはもう、精神崩壊を起こすぐらいにだ。
その逃げ道に気付いたのか、寛之はニヤリと笑って答える。
「それは恋の病ですか?」
「残念ながら違います。ゴリラ拒絶症です」
切り返しが一瞬だった。紫月はこれはかなりの毒舌を持っていると秀の二言目には認めさせられる。
「だいたい、手紙を送るのに切手を貼るという常識を知らない低脳動物と沙南ちゃんが釣り合うわけがないでしょう?
字を覚えたての子供が書いた手紙ならまだ可愛いげもありますけど、人間の皮を被ったゴリラの手紙など読む価値すらありません」
「貴様ぁ!」
躍りかかって来た寛之の子分の顔面を秀は長い腕で一撃殴ると、彼は門まで鼻血を吹き出してぶっ飛ばされた。
「おやおや、愉快なお仲間達は飼育が行き届いてませんね。動物園から来たわけじゃないのですか?」
その顔はあくまでも優美。しかし、彼の冷酷な部分を隠してはいなかった。
「…何が言いたい?」
「さっさと野生に帰りなさい」
鋭く秀が言ってのけ、空気はピリピリと険悪さを増す。ただし、目をキラキラさせてその空気を好んでいるのが天宮家の三男坊殿だ。
「おっ! 始まるか!?」
「えっ! 今日は喧嘩していいの!?」
「おい、純! お前は部屋にいろって!」
「いや〜! 秀お兄ちゃんのかっこいいところ見たいの!」
「夢華も大人しくしてなさい」
家の中では年少組の緊張感皆無な会話が成されており、柳はきょとんとした表情でそれを見守っていた。
これから想定される事態が起こっても紫月に対する信頼が成せる業なのだろうか、まったく危機感がない。
「沙南さんを渡さなければ力付くになるが?」
「上等、兄さんがいたらまずは平和的な解決を命じられますからね、弟としては今回、少々裏に何かあると気に入らなかったので」
ついに秀から微笑すら消えた。力でこちらをどうにかしようとするものには、二度と手出しが出来ないように制裁を加えるのが秀の趣味、もとい役目だからだ。
そんな生意気な青年に寛之は鼻で笑い、首と指をゴキゴキ鳴らした。
「ならば……」
「……えっ?」
グシャ!っという擬音が容赦なく響いた気がする。秀が沈めようとする前に寛之があっさりと踏み潰されたのだ。
そして、それを行った家長は平然な顔をしていつも通りの挨拶をする。
「ただいま」
天宮家の家長、龍の御帰還だった。
秀がなかなかひどいことを初対面から言ってくれました。
しかし、それでもいつもより抑えてると翔が言ってるぐらいですから、キレたらどうなるんだ……
それにしても年少組は緊張感がありません。
喧嘩に参加する気も応援する気も満々です(笑)
だけど龍が帰ってきましたので、一体これからどうなることやら……




