第二百三十四話:好きな理由
病院はしばらくの間ごった返していた。アメリカでは銃創のオペなど何度も経験していた龍達だったが、全ての命を助けることは不可能だったのである……
一通りのオペが済んでベンチに腰掛けていた龍の前に、汗だくのまま啓吾はぐったりとした表情で歩いてきた。
「……啓吾」
「よお……」
声に力はない。啓吾の腕でも助けられなかった患者がいたからだ。しかし、それはベンチに腰掛けている青年も同じようだが……
そしてもう一人ここに来るだろう医者がいないことに龍は気づいた。
「紗枝ちゃんは?」
「師匠と一緒。初対面が病院になっちまうなんてな……」
本当はもっとゆっくり紹介してやりたかったのだけれどと、啓吾は龍の隣に腰を下ろした。いつもならコーヒーぐらい飲んでただろうが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「なぁ、龍……」
「なんだ?」
「医者になって初めて人の死に直面したのっていつだった?」
「……研修医になった日だ。しかも銃に撃たれた人で間に合わなかった」
「そっか……、俺は心臓発作を起こした人だった。研修医二日目だったな」
初めて医者になって人の死に直面したとき、何ともやり切れない感情が支配したことを覚えている。その後もいろんな死を見てきて悲しみや悔いる感情を無理矢理にでも切り替えて、それに慣れる耐性を付けた。
そうじゃなければ、他の命を危険にさらすことさえあると現場に身をおく人間なら分かってしまうからだ。
「医者は万能じゃない、か……」
「ああ、シュバルツ博士の……」
「……師匠に鍛えられてた頃からよく言われてたが、自分の所為で怪我してそれを助けられないのは、医者としてじゃなくて人としての気持ちはどうにもならないことだと毎回思わされる」
だけどそれでも医者であり続けようとした。それが啓吾の選んだ生き方ではあるが……
それから少しの間二人に沈黙が流れたあと、啓吾はすっと立ち上がった。
「とりあえず、俺達がここにいて奴らが襲ってくるのは避けたい。師匠のとこの医師団が来るみたいだから俺達はホテルに戻ろうぜ」
「ああ……」
その頃、シュバルツと初対面を果たしていた紗枝は、若干緊張した面持ちだった。
「君が啓吾の……」
「はい、菅原紗枝といいます」
紗枝は頭を下げる。目の前にいるのは啓吾の義父でもあるが医学界の権威でもある。いくつかの論文を目にしただけでも、そのあたりの論文だけの医者とは格が違うという印象を受けていた。
そして、シュバルツはあくまでもまずは医者としての顔付きで紗枝に尋ねた。
「そうか、君は小児外科医か?」
「ええ、専行は」
「なるほど、どおりで狭い術野でも器用な手付きだった訳だ。そのあたりは啓吾にも見習ってもらいたいところだな」
「ですが、啓吾は緊急時の処置が的確でスピードは私なんかとても……」
「縫合や止血といった基本は君の方がうまいと思うがな。あいつは何より小児の患者の経験はまだ浅くてな」
「ですが……」
しかし、それでもその辺の医者より腕の立つ医者には違いないのだが。
「そう恐縮しなくて良い。それに私は滅多に医者を褒めはしなくてね。その私に褒めさせる腕は十分君は持っている。君がいなければもっと多くの人が死んでいた。感謝する」
シュバルツは紗枝に頭を下げた。その頭を下げた理由は、さらにこれ以上の犠牲を出せば啓吾がもっと苦しんでいたからだという意味を含んでいたことに紗枝は気づいた。
そして今度は親として紗枝に尋ねた。
「紗枝さん」
「はい」
「啓吾の過去を聞いているか?」
「……はい」
知らないままこれから付き合えるほど、啓吾の過去は軽くはないということは分かる。何よりそれを含めて啓吾を好きだということをシュバルツは確認しておきたかった。だからこそこんな質問を投げ掛けた。
「菅原財閥の令嬢が啓吾を選んだ理由は?」
「えっ?」
「ただの遊びにしてはあまりにも釣り合わない相手だろう? それに君のまわりには啓吾以上に相応しい男だっていたはずなのに、なぜにあいつを選んだのかは気になるところだ」
そう言われて紗枝はキョトンとした。そしてクスリと笑って答えた。
「……あいつを数値化すると九十五パーセントはシスコンと医者とちゃらんぽらんさで出来ていると思います。あっ、最近は龍ちゃんへの愛情も含まれてきてますね」
今度はシュバルツが目を丸くさせられたが、紗枝はさらに続ける。
「あと五パーセントはちょっといい男でたまに可愛いところがあるので好きなんですけど」
「あいつ、今晩気絶させるまで喘がせてやる……!!」
「啓吾……」
いつの間にかそばに来て隠れていた啓吾と龍は、紗枝からそんな評価をされて怒りに震える啓吾を龍が赤くなりながらも何とか宥める状況に陥っていた。
「たけど、人を好きになる気持ちをたかが百パーセントなんて数値に当て嵌めるレベルであいつを好きになってるわけじゃないんですよ。残念ながら啓吾が思ってる以上に私は啓吾を愛しています」
そう綺麗に言い切る紗枝に啓吾は口元に手をやる。さっきまで怒りに震えていた顔が一気に崩された。そんな親友があまりにも可笑しくて龍はからかい口調で告げる。
「最高の口説き文句だな」
「……龍。俺、今なら本気で死んでも良いって思った」
恋愛なんて部類に入るものの中に、自分が幸せなんて感じることなど一生かかってもないと思っていたのに、どうやらその思っていた分以上の幸せが自分にもたらされている。
それにあまりにも耐性がないため、どうしてもいつもの余裕なんて保ってられそうにはない。
そして、そんな答えを返してくれた紗枝にシュバルツは一度笑ったあと真剣に向き合った。
「紗枝さん」
「はい」
「啓吾をよろしく頼む」
紗枝になら任せられる、誰よりも啓吾を理解してくれるとシュバルツは思った。何より啓吾は幸せになってくれると……
「こちらこそ……」
紗枝も深々と頭を下げた。
だが、ここから雰囲気は一気に崩れる。シュバルツはあくまでもシュバルツということだ。
「それより紗枝さん」
「はい」
「啓吾の嫁にはいつ来るんだ?」
「はい?」
「いや、紗枝さんみたいな美人な娘が出来るのは早ければ早い方が良くてな。だからこれから私のことはパパと呼んで」
「何がパパだよ、クソ親父!」
額に青筋を立てながら啓吾は龍とともに姿を表した。それとは反対にシュバルツはグッと親指を立てる。
「啓吾、お前にしてはよくやった。これほど良いお嬢さんは滅多にいない。寧ろ娘にだけするからお前は手を出すな」
「さっきまで嫁に来いって言ってただろうが!」
「それとこれは別だ。法的にはお前の嫁にならなければ娘に出来んだろうが。だが、お前だけ独占するのは許せん」
「ドタコンを人のもんにまで発揮すんな!」
「誰がお前のものだ! そんな罰当たりなないことをして紗枝さんを困らせるな!」
「何だとこのクソ親父が!」
そうやって応酬を繰り広げる二人を見ながら、龍は紗枝に告げる。
「愛されてるな、紗枝ちゃん」
「結婚はしばらく考えさせてもらうわ……」
紗枝は盛大なため息をつくのだった……
紗枝さんの啓吾兄さんを好きな理由は百パーセントじゃ無理!
すっごく愛してるんだなぁと改めて紗枝さんってすごいなと思います。
そしてシュバルツ博士。
啓吾兄さんの幸せを祈る半面、ドタコン度が……
お嫁さんを奪い合う父と息子……
紗枝さん幸せなんだろうなぁ(笑)
さあ、そんなこんなで次回は一体どうなってしまうんでしょうか??
さらに龍も大変なことにならないといいよね……