第二十三話:オペ終了後
オペ室から喝采が上がった!
額に汗を滲ませながら、驚異的な速さと正確さでオペを終えた龍は啓吾といい顔で笑い、そしてこのオペのためにシュバルツ博士が派遣してくれたチームの代表者であるマイケル医師に礼を述べた。
「Thank you.Dr.Michael.(ありがとう、マイケル先生)」
「It was the splendid performance of an operation.In addition, I want to form a team.
(素晴らしい執刀でした。またチームを組みたいものです。)」
「Yes, please give my best regards to Dr. Schwarz.
(はい、シュバルツ博士によろしくお伝えください)」
互いに礼を述べたあと、マイケルは啓吾にもシュバルツ博士からのメッセージを伝えた。それを聞いて啓吾は渋い顔をしたが悪い気はしてないようだ。
そして、マイケルは医院長に挨拶しておくと言い残して先にオペ室から出ていった。
「マイケル先生、何だって?」
手袋を捨て、手を洗いながら龍は尋ねると、啓吾は微妙な表情を浮かべた。
「たまには実家に帰ってこい。お前はともかく柳達に会いたいってよ」
「育ての親なら当然だろうな。いきなり四人ともいなくなったら寂しいだろう?」
「寂しいもんか、師匠の家にはメイドも執事もいるんだ。それにまだ現役バリバリでオペやってるんだからよ」
オペ室から出た龍と啓吾は自販機前の椅子に腰かけた。そこに座ってようやくオペは終了だ。
「だけどアメリカで医者を続けても良かっただろうに、なぜ啓吾は日本に?」
特にシュバルツ博士が親で師匠なら、断然ここよりアメリカの方が環境も良かったんじゃないか、と龍は続けた。
それはそう思うのが普通だろうと啓吾は立ち上がり、自動販売機にコインを入れてアイスコーヒーを二つ買い、一本を龍に差出ながら答える。
「まぁな、確かに師匠の元でぬくぬくとやっても良かったがやっぱり日本人だからか? アメリカにずっといる気がなかった。それに……金髪より黒髪の美人の方が俺の好みだし?」
「聞いて悪かったよ。話したくなったら話せ」
「さすが龍ちゃん、だてに家長はやってない」
「お互い様だろ」
二人は軽笑したあと、自販機で買ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
その頃、オペの見学室ではやはり龍の弟ということもあってか、見学に来ていたどこぞの大学の医師達から秀は声を掛けられくだらない長話に付き合わされたあと、ようやく解放されてホッと一息つく。
将来、医者を目指すのかという程度なら話も聞けたのだが案の定、権力の亡者達をあしらわなければならなかったのである。
そして、ようやくそこに秀が気楽に話せる女医がやって来たのだった。
「秀ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、紗枝さん。やっとあの老人達から解放されましたよ」
「ああ、あのくだらない医者達の相手?」
「ええ、マイケル先生なら大歓迎ですが、さすがにそこまでは望めませんしね」
秀は肩を竦めてみせる。自分から龍達のオペの見学を特別にしても構わないと許可を取ったのだから仕方がない部分はあるのだが、どうせならもっとレベルの高い話を聞きたかったものだ。
因みに今回特別に見学が認められた件だが、一部では秀が医院長を脅したという噂が流れていたらしい……
「それで、オペの感想は?」
「ええ、全く我が兄ながら天才だと思います。啓吾さんもあれで医者としては立派だったって事も分かりましたし」
「そうね」
二人はくすくす笑った。龍のスピードについていける助手というのはなかなかいるものではない。特に難解なオペで龍を執刀のみに集中させる助手はこの病院では外科部長ぐらいだった。
しかし、それに啓吾は見事なアシストをしてみせた。一見不器用そうに見えて、有り得ないぐらい啓吾は器用だったりするのだ。だからこそ、難解なオペだと分かっていても龍は安心して執刀出来たのである。
「だけど、数年後には僕がマイケル先生の位置に立ちますよ」
「うん、楽しみにしてるわ。それより、さっき他の病院の医師達が話してるのを聞いて私も不思議に思ったんだけど、どうして秀ちゃんはアメリカに留学しなかったの? 聖蘭受けたのも龍ちゃんの後を追って留学するからだって思ってたんだけど」
聖蘭高校は留学制度が充実している。秀の学力から考えても、龍や紗枝のように飛び級で海外の大学を受験する事は出来たはずだ。しかし、秀はそのままエスカレーターで聖蘭大学まで進んでいる。
「確かに、僕も紗枝さんみたいに高一でアメリカに行こうとは思ってましたけど、家に悪ガキが三人いたからいけなくなったんですよ。それにお祖父さんが、急いで大人になるな、と止めてくれた性でもあります」
「あら、意外ね。秀ちゃんって龍ちゃんの言うことは昔から絶対だったけど、お祖父さんの言うことも聞いてたんだ」
そう返してきたか、と秀は苦笑したが、今は亡き祖父のことを思い出しながら彼は答える。
「重要な事においては初めてでした。だけど最低六年はかかるって兄さんから言われた時、行かなくて良かったのかもしれないと思ったんです。僕は医者になることより、兄さんを支えたいという気持ちの方が強いと見抜かれてたんですね」
だからゆっくりしようと思いまして、と秀はいい顔で笑った。実に後悔などしない彼らしい生き方だ。
「でも、患者と向き合う気はあるんでしょ?」
微笑を浮かべて尋ねてくる紗枝に秀は肩を竦めて答えた。
「天宮の血は恐ろしいですね。兄さんがオペ交渉に手間どってるって聞いて、おじさんを責めることよりも患者のことを考えてる自分を発見しましたよ」
「いいことじゃない、将来いい医者になれるわよ」
「そういってくれるのは紗枝さんだけですよ」
龍や沙南ですら秀は「スゴイ医者」になりそうだと評価している。それ以外のまともな評価は嬉しくもある。
「ああ、それより兄さんが今日も帰れないようなら、沙南ちゃんにそろそろ一報入れるように言っておいていただけますか? 分かってるとは思いますけど、日曜日はすぐそこなので」
「ああ、郷田議員の馬鹿息子ね。いざとなったら私が手を回してもいいけど?」
「家にまた戦車でも置いていただけるんですか?」
「バカ兄じゃないんだからそこまで馬鹿はやらないわよ……」
天宮家に過去、戦車でやってきた「前代未聞の大馬鹿」という見出しで新聞沙汰になりかけた兄を紗枝は持っている。
しかし、そうならなかったのも彼女達の父親が対処してくれたおかげだった。それだけの権力者なら確かに郷田親子を黙らせることが出来るに違いない。
だが、秀は紗枝の力を借りずとも何とかなるという核心があった。なんせ、物心がついたときには龍を尊敬していた上に、彼の性格というものをよく理解していたからだ。
「大丈夫ですよ、紗枝さん。兄さん、今日はストレスも忘れそうですけど、気付かないところで爆発寸前なんじゃないですか?」
「さすが秀ちゃん、当たってるわよ。コーヒー一杯飲むのに沙南ちゃんの特製コーヒーが飲みたいってぼやいてるもの」
「あともう一回逆鱗に触れたら、間違いなくおじさんにコーヒーを頭からかけそうですね」
気管支が開いて呼吸が楽になると言ってのけそうだ、と秀はコーヒーの豆知識を付け加えた。
「そうなる前に一度くらい家に戻れるわよ。だけど、近いうちに龍ちゃんの着替え持って来てあげて。沙南ちゃんが全部まとめて洗うの大変だろうしね」
「はい、伝えておきます」
相変わらず忙しい龍はまだしばらくの間、病院に缶詰状態が続く。しかし、日曜日はもうすぐだった……
英語は合ってるかどうかわかんないので、とりあえず雰囲気だけ出せたらいいなぁと思います。
そして秀が今回も出刃ってますが、彼が留学しなかった理由がお祖父さんの意見に従ったからみたいです。
普段の秀は龍と沙南の命令は聞きますが(というより頭が上がらない)他人の言うことには反論して棘を刺すタイプです。
だけど、この時ばかりは彼なりの答えを出したようです。
さて、次回はいよいよゴリラが天宮家にやってきます!
はたして沙南の運命はいかに!?