第二百二十五話:シュバルツ博士
突然、目の前に現れたシュバルツに啓吾は呆然とした。互いに医者をやってる以上そう連絡を取り合うこともなかったが、音信不通になる状態を作っていたわけでもない。
そして、何故いきなり殴られたのか訳が分からず痛む左頬を押さえながら尋ねる。
「師匠……なんでここに……」
「オペに決まってるだろうが……! それより……!」
襟首を思いっきり引っつかまれてドスのきいた声で問われる。
「学会はどうした?」
「あっ……」
「まさかしばらくメスすら握ってないなんて馬鹿までやってないよな?」
「いや……」
「しかもなんだ、情事のあとか?」
「そこまで探んなよ!」
「うるさい!!」
一喝されて乱暴に襟首から手が離れると、シュバルツは自分の身なりを整えて啓吾に命じた。
「とにかく来い、お前達がGODに喧嘩を売ったことは分かってる。それに私はお前の父親だ。日本で何が起こったのか全て話せ」
そう告げられて啓吾の表情は陰る。なんせ彼が日本へ行ったのもシュバルツを思うところがあったからで、これ以上自分の境遇に巻き込みたくなかったからだ。
何より話していいとはとても思えない内容に、彼は察してくれと言わんばかりに言葉を濁す。
「……いや、話すわけには」
さらにガツンと容赦ないげんこつが啓吾の頭に落とされた。そして、問答無用と言わんばかりに冷たい視線が降り注ぐ。
「俺に命を握られたくなければ今すぐ話せ」
「この……! クソ親父……!」
一発ぐらい殴り返してやろうかと思ったその時、龍の腕を引っ張ってきた紫月と夢華がその場に駆け付けた。
「博士!」
「ダディ!」
どうやらまだ殺されてないと二人は安心する。そして、数ヶ月ぶりに飛び込んできた愛娘達にシュバルツは嬉しさを全面に表した。
「紫月、夢華!」
二人はギュッとシュバルツに抱きしめられる。苦しいよ〜、という夢華の声にも嬉しそうに頷くだけで彼女達を解放しようとしない。紫月に至ってはいつものことと呆れすらしている。
そして、その溺愛ぶりを見ていた者達は一斉にドタコンかと納得せざるを得なかった。
「無事でよかった……! 啓吾に辛い目に遭わされただろう?」
「ううん、楽しかったよ?」
「そうかそうか、やっぱり大変だったか!」
「おい、人の話に耳を傾けろよ」
啓吾が思わずつっこんでしまうのも無理はない。シュバルツは完全なるドタコンである。まあ、夢華がいる時点でそうなるなという方が無理かもしれないが……
「そういえば柳はどうした?」
「秀お兄ちゃんと一緒だと思うよ?」
「秀?」
「柳お姉ちゃんの恋人!」
ニッコリ笑って答える夢華に周囲にいた者達はまずいと脳裏に過ぎる。普段の啓吾のシスコンぶりを見る限り、シュバルツも同じような反応を見せる気がする。
そして、興味深そうな顔の裏に、少々殺気を含んだ顔をひそませてシュバルツは夢華に尋ねる。
「ほう。夢華、その秀と言うのはどんな奴だ?」
「すっごくかっこいいよ! それに強いの!」
「博士、私も尊敬してますから姉さんにはピッタリな相手かと」
「どこがだ! あんな腹黒で陰険でおまけにこれでもかってぐらい生意気な義弟なんて俺はいらん!」
「それは聞き捨てなりませんね、啓吾さん」
突然開いた扉から秀は顔を出した。いつもならここで応酬の一つや二つ始まっているが、今日はそうせず秀は爽やかにシュバルツ博士に挨拶した。
「初めまして、シュバルツ博士」
そして、シュバルツはこれでもかというほど秀をジロジロ見て観察する。大丈夫なのかと翔あたりは思うが、シュバルツはふむと頷くと親指を立てて答えた。
「……合格!」
「なんでだよ!!」
「美青年、それに龍の弟、将来性もありそうだし問題ない。何より孫が女の子だったら間違いなく可愛い!」
「ああ、それならリクエストに答えて早く作らなければなりませんね」
「調子にのんな次男坊!」
シスコンは本気で潰すぞと言わんばかりの殺気を放つが、ふと、その場に柳がいないことに気付く。
「で、柳は?」
「眠ってますよ。疲れてますからね」
即答する秀に大人の事情を察した啓吾は、本気でドスのきいた声を出す。
「……おい、次男坊」
「それより、啓吾さんだって紗枝さんを紹介したらどうなんです?」
何気ない一言にシュバルツはどういうことかと啓吾を見れば、彼は非常にバツの悪そうな顔をした。
「……啓吾」
「……ああ。俺のことは後から話すよ。それより龍、沙南お嬢さんは?」
「桜姫が車で連れて帰ってくる。熱は下がってきたから」
「そうか」
ならばとりあえずは安心かと思うが、啓吾は思いっきり耳を引っ張られる。
「だっ! 何すんだよ!」
「何するじゃない! 私の部屋に来い!」
「何でだよ!」
「メスをどれだけ握ってないか見てやると言ってるんだ。どれだけ暴れてたかは知らんが現場からしばらく離れていたことだけは事実だろう。だから勘を取り戻させてやる」
それを聞いて目が輝かない医者はここにはいない。なんせ根っからの医者なのだから。
「ドクター龍、お前は」
「当然行きます」
尋ねられる前に答えるあたり、さすが天宮家の家長である。それにシュバルツはニヤリと笑った。そして、視線は秀に向く。
「秀、お前は将来医者になるのか?」
「はい。麻酔医志望です」
「そうか。だが、日本で学ぶだけでいいのか?」
「えっ?」
秀はキョトンとした表情になった。
「日本ならあと最低四年すれば研修医になれるだろうが、私のところに来て二年で麻酔医になるつもりはないか」
「博士……」
「優秀な人材かどうかなど話せば分かる。なにより優秀な医者はいくらいても構わない人種だ。チャンスだと思うなら尋ねて来い」
そう告げてシュバルツは啓吾の耳を引っ張ったまま部屋へと戻っていった。
「秀兄貴、今のって……」
「ええ……ですがまだ先の話です。今はGODとの戦いに備えるべきですから」
そう告げて秀も自室へと戻った。
そして、耳を引っ張られたまま歩いていた啓吾は、いい加減に離せと抗議すると、これでもかというぐらい遠慮なく抓られたあとようやく解放された。真っ赤になった耳に龍は同情してしまう。
「って〜な!」
「鍛えてないお前が悪い」
「どうやって耳なんか鍛えるんだよ……」
相変わらず無茶苦茶だなと痛む耳を押さえる。するとシュバルツは真面目な顔をして龍に視線を向けた。
「龍」
「はい」
「秀の話なんだが私のところに本気で預けるつもりはあるか?」
「……一医者の意見としては博士のもとで鍛えられた方がいいでしょうね。あいつが本気を出せば二年後には研修医になってるでしょう。ただ、あくまでも秀の意志を尊重しようと思います」
「そうか、お前らしい答えだな。だが、お前はどうなんだ?」
「えっ?」
今度は龍が目を丸くした。
「お前は次期聖蘭病院の後継ぎだとは聞いている。当然天宮家といえば日本の医学界では名が上がることも知っている。
だが、お前はまだ若い。アメリカでさらに高度な術式を私のもとで学ばないか」
「博士……」
「啓吾、当然お前もだ」
「なっ……!」
それを聞いて啓吾は面食らう。その顔は啓吾が日本に行った理由も見抜いている親の顔だ。
「龍に刺激を受けるのもいいかと思って日本に行かせたが、二人して医者としての道が阻害ばかりされているのは患者に迷惑だ。お前達は例え何があろうと医者だ。それを忘れるな」
二人は返す言葉が見つからなかった。最近の自分達は明らかにそれからはずれようとしていたから……
「分かったらさっさと鶏肉借りて来い」
「はっ?」
「基礎から扱き治すといってるんだ。私の課題が済むまで部屋から出られると思うな」
今度こそダメかもしれない……二人はその日扱かれたことは言うまでもない……
龍と啓吾兄さんピンチ!
オペしたいと騒いでいましたが、まさかシュバルツ博士の指導という名の扱きを受けることになるとは……
だけどちゃんと二人を医者として見てくれているのだなと思います。
普段あれだけ暴れていても、医者として歩んでほしいと願う親心はあるみたいです。
それに秀のことも考えてるみたいですし。
まあ、彼等がどんな答えを出すのかはまた後日。
さて、少しの間大人しくなってる敵方。
そろそろ動き出す頃かなと思います。
でもあと数話お待ちください。