第百七十五話:ひどく遠いもの
天宮の夜、月を見上げて酒を飲む天空王こと龍の傍らに沙南姫はふわりと腰掛けた。
「月の光を浴びて絵になる殿下がいつも以上に眉間にシワを寄せていては、折角の月見酒の味も落ちてしまいますよ」
「沙南姫……いらしてたんですか?」
「あら、月の光を楽しんでるのに太陽はお邪魔ですか?」
「とんでもない、太陽の光があってこそ月は美しく輝くものですから」
月が輝くのは太陽の光があるからこそ。きっと天空王はそんな普通のことしか考えていないのは永年の付き合いで分かる。少しぐらいは太陽の姫君である自分のことを言葉の裏に馳せてほしいものだ。
「……口説き文句ならいいのに」
「えっ?」
「何でもありません。だけど殿下にお願いがあってきました」
「私でよければ聞きますよ」
またいつもの自分のことを一人の姫の我が儘としてでしかとらえてくれてないのだろうなと思う。
しかし、沙南はずっと聞いてほしかった願いを口にした。
「……殿下、私を殿下の妻にしてください」
少し俯いて頬を赤く染める。それに天空王も驚くが彼女が立たされているであろう立場にすぐ思い至った。
「……神族ですか?」
「ええ、神兵の使いがやってきて私にあの悪神の妻になれと言ってきました。だけどあんな奴の妻になどなりたくはありません!」
それは沙南の本心なのだろうなと思う。しかし、天空王は彼女の願いをすぐに聞き入れるわけにはいかなかった。
「……沙南姫、私は沙南姫を全力で守る身分ですから当然お守り致します。ですが、いま天空族は天界全てを敵に回してしまう立場になってきている。それなのに沙南姫を妻に迎えるわけにはいきません。何より光帝に申し訳が……」
「父は関係ありません! 私は殿下に初めて会ったあの時からずっと殿下を御慕いしておりました。殿下は、沙南を思っては下さらないのですか?」
いつも強気な目が潤んでいく。その表情は本気で自分を思ってくれているかなんて聞くほど天空王とて鈍くはない。
だが、すっと沙南の頬に触れると彼女はビクンと反応して目をギュッと閉じた。
愛おしいと……ずっと守りたいと思って来た主に伝えなければならない気持ちはある……
「……沙南姫、もし私が今ここであなたの願いを聞き入れなければどうなさいますか?」
尋ねられた問いは何だかいつものやりとりと変わらない気がした。沙南がそっと目を開けて飛び込んで来た表情は、彼の弟である南天空太子と同じ悪戯な顔で……
「……主のいうことが聞けないなら、二度と殿下に美味しい料理作ってあげないんだから」
「ハハッ、それは困る」
膨れっ面になる沙南に苦笑して天空王はふわりと沙南を抱きしめた。それだけで鼓動が静まらなくなってしまうが、すごく心地よい響きに自然とその身を委ねた。
「殿下……」
「龍と呼んでもらえませんか、沙南姫」
トクンと甘い響きに胸が波打つ。
「龍様……」
幸福だと思えるこの時が続けばいいと思うが、龍はすっとその身を離すと、その顔はもう天空族の王のものとなっていた。
「沙南姫、最後になるかもしれない戦前に会えて良かった」
「えっ……?」
せっかく思いが通じたと思ったのに、もうそれは叶わないとでもいうかの顔だ。
「天空族は全戦力をもって神族の名を語る天界全土の民族を殲滅する」
「……どうして? 龍様はそんなこと望んでないでしょう!? 私の力が及ばないから」
「違う」
龍は冷たく言い放つ。
「あいつらは俺達が守ろうとしていたものを全て奪っていく。俺の片腕も奴らに捕われてしまったんだ、それに沙南姫まで奪おうというのなら俺は戦わないわけにはいかない」
トクンと、胸が締め付けられるように鼓動がなる。
「沙南姫、この戦は完全にこちらが悪者だ。そんな俺の妻になれなどとは言えない。だが、出会ったときからずっと好きだった。これだけは本当だ」
「龍様……!」
すっと涙が頬を伝い始める。その涙を龍は指先で拭いてやると、いつも以上に優しく沙南に微笑んだ。
「泣かないで、沙南姫。そしてありがとう、俺を好きになってくれて……」
「龍様……!!」
そして龍は膝立ちになり、沙南の前で頭を下げる。
「太陽の姫君、あなたのことは天空軍が必ずお守り致します。我らの勝利を信じていてください」
そう告げる目の前の青年は、もう天空軍の総大将としてでしか沙南と向き合ってはくれない。その青年の前で沙南は涙を拭って凛とした声で答える。
「殿下は殿下の御心のままに戦ってください。天を縛ることなど誰にも出来はしません、それに……沙南は……!」
ここまで言うと沙南はもう自分の気持ちしか言えなくなった。
「お願い……!! 必ず私の元へ帰るといって……? 好きなの……! 愛してるの……!! ずっと傍にいてほしいの……!!! だから……!!」
その瞬間、ふわりと沙南は抱きしめられる。
「龍様……!!」
「一度だけ……お許し下さい、沙南……」
意識が現代に戻っていく。そっと目を開けると心配そうに翔と純が自分を覗き込んでいた。
「沙南ちゃん! おい、沙南ちゃん !」
呼びかけてくる声は二百代前と同じ。そしてぎゅっと翔の腕を掴めば自然と涙が零れて来た。
「わっ! どうしたの沙南ちゃん!」
「えっ! どっか怪我したのか、沙南ちゃん!?」
「……違っ」
それでも涙が止まらないのは天空王のことを思っていたことと、龍に会いたいと沙南は強くそう思うからで……
「……違うの。ごめんね、翔君、純君」
そう謝る沙南を見てただ慌てることしか出来ない弟達は、本当にどうすればいいのか分からず困り果てていると、秀がすっと沙南の前に腰を下ろした。
「秀さん……!」
「すみません、沙南ちゃん。不甲斐ない弟達で……」
申し訳なさそうに謝る秀に沙南は首を横に振った。
「違うの……沙南姫だった頃の夢を見て……龍さんがいないだけでこんなに泣き虫になっちゃって……!
でも、もう大丈夫だから……! 再会する前にこんなのじゃ笑われちゃうよね」
涙を拭いて無理に笑う沙南を見ていると辛くなる。いつだってそうだ、泣くのを堪える沙南を見るとどうもいたたまれなくなって……
「それより柳ちゃんは!?」
「大丈夫です、幸い軽傷でした。さて、僕は楢原首相に最後の交渉をして来ますから、翔君達は沙南ちゃんを連れて先に上に行ってて下さい」
「分かった」
翔は沙南を背負って純の手を握ると、地上へ飛んでいった。
「……さあ、あなたにはどれだけ怒りをぶつければいいのか」
「ひい……!!」
神からの催眠を解き、先ほどと同じ人物だとは思えないほど楢原は震え上がっていた。
「こ、殺さないでくれ……!!」
「人の親を殺した奴がそんな情けない言葉吐かないでいただけませんか?」
「わ、悪かった! だが命だけは!!」
そう言った瞬間、秀は楢原の横の壁に風穴を開ける。
「あなたなんかを殺したって沙南ちゃんは泣き止んでくれませんよ!」
「ひいい……!!」
すると秀は楢原の襟首を掴んでひどく冷たい目で射抜いた!
「あなたの最後の仕事です。首相の権限を僕達のために使いなさい。一刻も早く、沙南ちゃんを兄さんに会わせなければならなくなってしまったんですから」
薄暗い部屋だから気付かれなかった。翔達を先に地上へ上がらせたことも意味があった。
「……結局、落第点ですね。僕が守り抜きたかったものは傷ついてしまったのですから」
龍や啓吾の顔が思い浮かぶ。あの大きさがひどく遠く感じた……
はい、沙南ちゃんの二百代前の切ない思いはいかがだったでしょうか?
本当に好きで堪らなかったんだろうなぁと作者ながらに思います。
そして最後の戦いの前に天空王と思いを通わせたわけですが、
このあと沙南姫様は刃に貫かれて命を落としてしまいます。
なぜ沙南姫が戦場に出ていってしまったのか、それもまた語られていくことでしょう。
さあ、次回はアメリカで大変なことになっている啓吾兄さんと紗枝さんのお話!
一体どんな結末が訪れてしまうのか、そして啓吾兄さんから語られる真相とは……!?