第百七十二話:さらに闇へ
龍の父親が亡くなったのは彼が中学二年生の時だった。葬儀も滞りなく終わって龍がぼんやりと月を眺めていると、部屋をノックして秀が入って来た。
「兄さん?」
「ああ、秀か……」
月の性だろうか、秀には龍がひどくはかなく見えた。むろん、本人はいつものように堂々としているつもりなのだろうけど。
「眠らないのですか?」
「こら、それは俺のセリフだ。もう一時だぞ」
そう言って苦笑する龍はやはりいつもと少し違う。しかし、普段なら早く寝かし付ける兄が今日はそうしなかった。
「秀」
「はい」
「どうしてお前は泣かなかった?」
二年前、純を産んで亡くなった母の葬儀の時は泣いていたのに今回秀は涙を見せはしなかったのだ。まだ小学四年生だというのに……
「……沙南ちゃんが僕達の分まで泣いてくれてたじゃないですか」
だから泣かなかったのだという秀に、やれやれといった表情を浮かべて龍は穏やかな表情を浮かべた。
「そうか……だったらおいで、秀」
言われるがままに秀は龍の元に行くと、ひょいと膝の上に乗せられて頭を優しく撫でてくれる。
「兄さん……」
「小学生の癖に無理矢理自分の気持ちを押さえ付けるな。いくら事故だと分かっていてもやり切れないだろう?」
「……はい」
当たり前だ。紗枝の父親が救急車で運ばれたとき、大型トラックが突っ込んで来てその巻き添えになって父は命を落としたのだ。
仕方ないだけじゃ割り切れない部分はやはりあるが、自分の妻を亡くした紗枝の父親が自分を助けるためにかばってくれた龍達の父親に申し訳なかったと頭を下げられては、堂々と泣くわけにもいかなくて……
しかし、そんな自分にいつも気付いてくれるのが龍だった。昼間沙南や弟達にしてやっていたようにぎゅっと抱きしめてくれる。
「だったら今だけでも泣いとけ。お前が泣いてくれないと兄貴の俺はもっと泣けなくなるんだからな」
「はい……」
闇の闇で大暴れしたテロリスト一行は、闇の女帝の情報から楢原が潜伏している場所を割り出し、現在爆走中である。当然、襲い掛かってくる者達を蹴散らしながら……
「どけどけ〜! 悪の軍団の御通りだあ!」
「うわあ〜!!」
一直線に襲い掛かってくる者達は翔と紫月の二人に簡単に薙ぎ倒され、後ろに続くテロリスト一行は実に楽をしている。
「こりゃ今日一日で世界の名だたる業界の勢力が消え去りそうだな」
「良いことだと思うよ。テロ行為を起こすだけで世界の犯罪の芽が随分減らされたんだ。まっ、ナポレオンみたいな英雄扱いはされないだろうけれどね」
土屋の意見に全くだなと一行は笑う。しかも今からやろうとしていることも、一国の首相に喧嘩を売ろうというのだから……
「それより珍しく大人しいな、森」
「確かにそうですね。まあ、森さんが大人しい方が世界平和のためにはなりますけど」
沙南を背負って走っている秀は相変わらずなツッコミを入れるが、森は本当に珍しく大人しい。
「おい、お前本当にどうしたんだ?」
静か過ぎるのも気味が悪いと宮岡が告げると、ようやく森は口を開いた。
「ああ、お袋が死んだときのこと思い出してた。紗枝のやつが有り得ないぐらいわんわん泣いたのなんてあの時だけだったなと思ってさ」
「そういえばそうだったな」
大好きだった母親が死んだ日、滅多に泣かなかった少女が人前で大粒の涙を零した。森もその時だけはちゃんとした兄でいたなと土屋も宮岡も思っているが。
「だけどさ、楢原が全部真相を吐いてくれたとしても、紗枝に全部話してやるべきかは悩むとこでよ」
「……森にも良識的な考えはあったのか」
「んだと!?」
「ああ、俺も驚いた。いつも馬鹿だからたまに良識のピントがいい具合になるんだな」
どうしてそこまで辛口なのかしらと純は思うが、秀はその答えをあっさり返した。
「全部話すべきですよ。紗枝さんは全て知りたがっていたんですから」
「……だかな、兄として妹に泣かれるのは案外きついとこあるんだぜ? 啓ほどシスコンじゃなくてもな」
「その啓吾さんがいるから話してあげても問題ないですよ。それにたとえ啓吾さんが墓穴を掘っても兄さんがいるんですし」
森よりよっぽど頼りになると秀が付け加えると一行は頷く。
「それにたとえあの事故が仕組まれたものだったとしても、僕はその件に関しての落とし前は兄さんに譲るつもりですよ」
「えっ? どうして?」
いつもなら龍が片付ける前に全部片付ける秀が、珍しく自分の怒りを堪えるとは沙南は不思議だったが、それにはちゃんと理由があった。
「兄さんはあの事故のあと本当に苦労したからですよ。だから僕は僕なりの怨みを晴らしてやろうかと思いましてね」
秀から発している黒さと冷気に柳や末っ子組は何だか寒いなと思う程度だったが、彼に背負われている沙南は深い溜息をついて、三人の男達はぞっとした。
「さて、紫月、この辺か?」
「はい、そのマンホールに違いありません」
闇の闇の中心部にポツンとしたマンホールの傍で翔と紫月は立ち止まる。一見なんてことのない物だが、翔はその蓋をひょいとはずすとそこにはパスワードを入力しなければ次へ進めない仕掛けになっているのか、こちらに要求してくる。
「何を打ちゃいいんだよ」
「宮岡さん、パスワード分かりますか?」
「ああ。TENKU−4TH」
何でそんなパスワードにと翔は思うが、押した瞬間近くの道路が移動を始め、それはみるみるうちにより地下へと続く階段へと変わる。少し薄暗く、若干足場が悪そうだ。
「地獄への招待状か?」
「それに近いものじゃないんですか? ここが闇の闇と言われてるのですから、魑魅魍魎とか出て来てもおかしくないかもしれませんね」
「じゃあ楢原は地獄の大王か?」
「そんな大層な称号付けないでください。地獄の大王に対して失礼ですよ」
そう告げる秀は明らかに個人的な怨みを、というより今朝の一時を邪魔された怨みでその表情がやけに黒く見える。
「秀さん、そろそろ下ろしてくれても大丈夫よ。もう歩けるわ」
「ええ、ですがもう少しおぶわれておいてください。この階段少し足場が悪いみたいですからね。柳さん、抱えておりたいのは山々なんですが」
「これくらいなら大丈夫です。沙南ちゃんをお願いします」
運動神経がけっして鈍いわけではない柳はニッコリと笑って答えた。
「夢華ちゃんは平気?」
「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「そっか、じゃあ転んだらいけないからゆっくり下りよう」
「うん!」
ぱあっと明るい表情を浮かべて末っ子組は相変わらず仲良く手を繋いで下りていく。
「紫月は全く心配ねぇな……」
「結構長い階段ですからそのまま転がり落ちないでくださいね」
「落ちるかよ」
高校生組は軽々と飛び下り、やはり突撃隊長なのかすぐに先頭に立った。
「さて、こんな地下深くに何の用で隠れてるのかねぇ」
「さあな。だが、とりあえず俺は楢原を一発ぐらいぶん殴るさ」
一行はさらに闇へと進むのだった……
さて、今回は過去話からスタート。
龍達の父親が亡くなったあとの龍と秀のやり取りです。
小学四年生だった秀はこの時かなり我慢強い子だったみたいですね。
紗枝さんや紗枝さんのお父さんを見て、彼は幼心ながらに泣くわけにはいかなかったようです。
しかし、その秀の気持ちを見抜いてるのが龍。
秀が泣いてくれないと自分が泣けないというあたり、この時既に龍はかなり人として魅力溢れる存在だったようです。
そんな兄を知ってるからこそ、秀は落とし前は龍につけてもらいたいようですが……
次回こそ真相は明かされるかなぁ?