第百六十話:明かされた啓吾の過去
次の記述が天空記の一節に書かれている。
「自然界を統治する女神、その碧眼で人たるものを魅了し生と死を与える。その力最高位のものであり愚者たるものが彼女を手にしようと争わん……」
石造りの牢獄に風が入り込む。その風に髪を揺らされて紗枝は目覚めた。
「ん……」
ぼんやりと二百代前と現代をさ迷う。しかし、自分が身につけている服を見てここは現代だと理解した。
「……夢の中でも現代でも牢獄か」
紗枝は深い溜息をついた。何もなければ今頃龍と啓吾を酔い潰して明日の学会に気持ち良く出席するはずだったのになと、二人が聞いたら勘弁してくれと言いそうなことを思う。
そして体を起こすと彼女は非常に会いたくなかった人物の顔を見て不機嫌そうな表情を浮かべた。
取り乱さなかったのは数日の間に秀がいろいろ片付けてくれたことと、龍や啓吾が救助に来てくれると信じているからで。
「ようこそ紗枝さん、また会えて嬉しいよ」
「二度と会いたくなかったわよ」
紗枝が間髪入れずに返答した相手は自分に惚れ込んでいる男、楢原である。
先日啓吾に散々な目に遭わされ、おまけに紗枝は啓吾のものになっていると勘違いさせているためなのか、確かに少し楢原の表情は引き攣っている。
そして啓吾が自分に対してやった所業の数々も思い出して非常に腹も立ってくるが、利用しないわけにもいかないなと紗枝は女優に成り切ることにした。
「まあ、そう言わないで下さい。全てが片付いた後、あなたは僕のものになるのだから」
「ならない、なりたくない、有り得ない!」
心から紗枝は拒絶した。本当に二度と目の前に現れてほしくないと思う。
「とりあえず言っても無駄でしょうけど、龍ちゃんと啓吾に殺されたくなかったら早く解放して頂戴。それに明日から学会だから今日は睡眠取りたいのよ」
「心配はいらないよ。会場まで遅刻しないように送ってあげますから」
「そっ。じゃあ啓吾が来るまでゆっくりしてようかしら。あっ、でも今夜は寝かせてくれないだろうから、今のうちに寝ておいた方がいいのかしら?」
悪戯っぽく笑みを浮かべる紗枝に楢原は顔を引き攣らせる。あと一息かしらと紗枝は心の中で策略を巡らした。
「そこまであの男が良いのか?」
「もちろん。身も心も捧げてるんだし?」
「あの男が何人も殺した殺人鬼でもか!」
「それが何?」
楢原の言葉を紗枝は一蹴した。どうやら啓吾の過去を楢原も知ったのかと思う。だが、その点に関しては紗枝は嘘偽りなく、弱冠修正を入れて自分の気持ちを吐き出した。
「過去に何があろうと啓吾は啓吾よ? それをいちいち掘り返してあいつ自身を否定するような惚れ方なんてしてないわよ」
「あいつが犯した罪がその程度だと思うのか!?」
「医者としてのあいつが好きなんだからいちいち赤の他人が口出すんじゃないわよ!」
紗枝は全てをその一言で突っぱねた。啓吾は自分のことをあまり話してくれはしないが、それでもひどく優しい人間だということは分かる。
だからこそ、龍も紗枝も啓吾の過去を知っても全く動じはしなかった。龍みたいに全てを受け止めてやれるほどの器のでかさはないが、自分を守るといってくれた中で少しでも啓吾を守ってやりたいとは思う。
「分かったらさっさと目の前から消えなさい!」
紗枝は楢原を睨み付けると、楢原は牢獄の鍵を取り出した。
「篠塚啓吾の前で君が僕のものだと見せ付けてやろうかと思ったが……!」
カチャリと牢獄の扉の鍵が外され、楢原も牢獄に入って来たその瞬間!
「やっ!」
「グオッ!」
紗枝は楢原の顔面を殴り付け、鍵を奪って逆に楢原を閉じ込めた!
「なっ……!!」
「悪いけどあいつに何回も借りを作るわけにはいかないのよね。あんまり助けられてばかりだとあいつが本当にいい男になっちゃうもの」
それだけ告げて紗枝は走り出した。
石造りの廊下には均等に配置された蝋燭の火がゆらゆらと揺れていて、所々に甲冑やらどこかの芸術家が描いた神やら神獣の絵やらが飾られている。
日本にいる翔達なら間違いなく肝試しでもやりたいというだろうなと、紗枝は緊張感のないことを考えていた。
「それにしても外に出れそうな窓もないし……一体ここはどこなのかしら」
とにかく真っすぐ走っていた紗枝は少し不安になる。恐怖とまではいかないが、夢の中で見た光景とかなり酷似した牢獄の造りだと感じる。
そして、出来ることならさっき見た夢の内容が現代では何の関係もないことであってほしいと思う。
なんせ、彼女を絶望に陥れようとした者は……
「光?」
目の前に電灯に燈されているであろう大広間が飛び込んでくる。そういった場所は何かしら脱出口の道標になってくれるはずだと彼女は広間に飛び込むと、小さく声を上げた。
「何……ここ……」
真っ白な世界は本当に存在するのかと紗枝は思った。しかし、彼女はこの世界を知っている。
二百代前に神殿を訪れたとき、主上の前にはこのような真っ白な世界が広がっていたから。
「神の間になります、紗枝さん」
鼓動が一つ鳴る。やっぱり夢の中で見た者と現代に転生している者は同一人物なのだと認めるしかなくなった。
「……どうして?」
「何がですか?」
「何故あなたが敵なのよ!」
紗枝に声をかけて来た人物はかつて紗枝の母親の患者であり、そして自分に一目惚れしたと飛行機の中で告白してくれた三國弘世だった。
それに対して三國は穏やかな笑みを浮かべて答える。
「簡単なことです。私は二百代前あなたの友人であり、そして裏切った神族の末裔なのですから」
「くっ……!!」
紗枝は唇を噛み締める。本気で一目惚れしたと思っていた自分にも腹が立つが、心の奥底から自然界の女神だった自分も怒っているように思えた。
「紗枝さん、いえ、紗枝殿。あなたには今から私のストレス発散に付き合っていただきますよ」
「誰が付き合うもんですか!」
「そういうわけにはいかないんですよ。私は天空王にも怨みはあるが、啓星にもかなりの怨みがありまして、今まで彼が味わって来た苦しみ程度では足りないのですよ」
「何を言ってるの……」
トクンと紗枝の鼓動は鳴る。この目の前にいる青年は全てを知っている……
「篠塚啓吾の人生に私が少し関わって苦しみを与えたのですよ。
目の前で両親を銃殺された日に捕らえられ、アメリカで実験材料として扱われ、妹が強姦されそうになったところで力が暴走して数百人も殺し、運命のいたずらかシュバルツ博士に拾われたあともGODの存在を忘れぬように幾度も命を狙われた。
だが、篠塚啓吾は殺さないように命じていましたけどね」
彼の半生を笑いながら話す三國に紗枝は怒りに震えた。
「でも、その苦しみから解放するのが自然界の女神様の役目だ。篠塚啓吾の人生の最後は君が終わらせる」
「なっ……!!」
紗枝は三國の目を見た瞬間膝を折る。まるで自分を誰かに乗っとられたような感覚に陥った気分だ。
「あっ、そうだ。ついでの余興に現代では楢原と言ったか、彼も参加させようか。二百代前は君を崇拝していた神兵隊長殿だからね」
「誰が……!!」
紗枝の目が僅かに緑の光を放つが、三國はそれを押さえ込んだ。
「悪いけどまだ覚醒はさせないよ。天空王と一緒に覚醒されては厄介だからね」
三國はそう告げるとその場から消える。
そして紗枝は散り散りになりそうな意識の中で、啓吾に来るなと叫んだ。
二百代前、自分を助けに来た啓星の辛そうな顔をまた見ることになりそうで……
さあ、ついに話は核心に迫ってきましたよ!
機内で紗枝さんに告白していた青年医師が黒幕で、さらに啓吾兄さんの人生を操作していたかのような口ぶり!
ですが、紗枝さんも啓吾兄さんの過去を全て知っていたわけではないので、相当キレています。
いかに啓吾兄さんが辛い過去を送って来たのか……
悪友なら当然の怒りでしょう。
だけどそんな啓吾兄さんの人生を紗枝さんが終わらせるようになりそうで……
二人の運命はいかに!?