第百四十八話:味方で良かった
一週間学会のために渡米することになった医者達は、一応スーツ姿で空港へ赴く。本来ならTシャツ単パンの出で立ちで行ってやりたいところだが、招待されてる医者が自分達より上のものが多いとなれば、それなりの恰好をしておかなければならないのである。
なんせちらほらと自分達を知る医者達が視線を向けてくるのだから。
「龍ちゃん! 啓吾!」
ぱあっと明るい表情を浮かべて紗枝は二人に手を振る。彼女もやはりスーツ姿で、今日は清楚なイメージを受けた。
「おはよう……」
「おはようさん……」
対称的な挨拶を返す二人は今から機内で寝る気満々らしい。原因は聞かなくとも分かるが……
「……二人とも二日間完徹で書庫に篭ってたわね?」
「いや、だってな……」
「ついね……」
「読破しちゃったんでしょ?」
あの分厚い本をよく二日で読む気になれるわねと紗枝は呆れた表情を浮かべた。
しかし、彼女とて医学生や研修医をやってた頃には医学書にかじりついてたので、気持ちは分からないこともないが。
「しっかりしてよね、医者としての感覚鈍ってたらこっちに戻ってから大変よ?」
「そうだな。んじゃ」
二人は指で紗枝の額に触れると同時に答えた。
「三十六度ジャスト!!」
「なんで触っただけで体温が分かるのよ……」
しかも0.1度の狂いもなくである。こればかりは紗枝には分からない感覚だった。
とりあえず頭が医者に戻ってきたようで二人は安心する。思ってたより感覚は鈍ってないようである。
「だが問題は一週間後だな」
「ああ、油断は出来ないな。ここ数日オペやってないんだ。刺激ぐらい与えとかないと現場で困る」
「だったら師匠のとこにでも顔出すか? ERにぶちこまれるぞ?」
「そりゃこわいなぁ」
二人は苦笑する。確かに医者としての感覚が鈍って来たなどといえば、間違いなく荒療治されることだろう。
「一体シュバルツ博士ってどんな人なの? 心臓のスペシャリストとか救命界の権威とか言われてるのは知ってるけど」
「……ありゃ鬼だ」
「えっ?」
啓吾は過去のことを思い出して一気に青くなる。
「俺の青春時代の半分は医者になるために殺されかけた……」
「一体何があったのよ……」
「十六のガキが鳥肉に向き合ってオペ室に閉じ込められてたんだよ……」
「スパルタだな……」
「ただでさえ大学の課題も多かったのによ……」
医がつく言葉を見ない日も聞かない日もなかったというほど、ただ医者になるために毎日扱かれていたのはほんの数年前のことである。
「だけどそのおかげで立派な医者になったじゃないか」
「なりたかったわけじゃなかったんだけどなぁ」
「そうなのか?」
「意外ね、医者やってるときはまともなのに」
二人はてっきり好きでなった職業だと思ってはいたが、啓吾は苦笑して答えた。
「まあ、この仕事は嫌いじゃないが、なろうと思った動機は不純だからな」
「へええ、そりゃ聞いてみたいな」
「言ってもいいが俺のイメージ汚れるぞ?」
「今更でしょ?」
紗枝にあっさり言われ、啓吾はどこまで歪んでるんだ俺は……とつっこむが、とりあえず答えてみろと龍に促される。
「一つは師匠の英才教育の性で医者になったってのもあるが、やっぱりな……」
啓吾は一つ溜息をついて続けた。
「医者って女にモテるからな、うまくいけばそれこそ……」
「龍ちゃんに素行の悪さばらされたくなかったらそれ以上言わないことね。龍ちゃん、こんな変態医者ほっといて行きましょ」
「ああ……?」
啓吾の素行は悪かったっけなと何も知らない龍は首を傾げるのだった。
そして医者達が渡米して残されたもの達はといえば……
「こんにちは」
「あっ、いらっしゃいませ、宮岡さん」
喫茶店でバイトしていた紫月の元に宮岡がやって来た。奥にいたこの喫茶店のマスターやコック達も彼に親しみの笑顔を向ける。
なんせ、彼もこの喫茶店でバイトしていた経歴を持っているのだから。
「秀君は?」
「遅番です」
「そうか。じゃあ明日にでも淳行と天宮家に行くとするかな。紫月ちゃん達も今日から泊まるんだろう?」
「はい、一週間ほど。何だか最近天宮家にお世話になりっぱなしですが……」
「でも、秀君の機嫌は良さそうだろうな」
確かにいいだろう。家の中に沙南はいるにしても、彼の天敵である啓吾が一週間もいないとなれば、ほぼ柳は自分の手中におさめたも同然なのだから……
「ですが、宮岡さんが天宮家を訪れるということはまた何かあったんですか?」
「ああ、楢原親子とGODの関係についてね。それにこの前の事件で日本は荒れるかと思っていたが、逆に楢原尚道によっていろいろな権力がまとまり始めてる。
だから何か起こる前に一度天宮家にお邪魔しようと思ってね……」
宮岡はちらりと外に目線を向けると、何かの影が動いた。
「尾行られてるんですか?」
「みたいだね。まあ、菅原財閥の護衛もいるから今のところ問題はないけど、龍達が渡米している間に何もしてこないとは限らないからね」
そう告げて宮岡はカウンターに腰掛けると、マスターにこの前紫月がハワード医学研究所で手に入れた情報が入ったピンを渡した。もちろんその他にも彼自身が手に入れた情報も入っているが。
「マスター、これで頼みたいことがあるんだ。当面の間の活動資金と銃火器類や食糧、あと世界各国にあるマスターのネットワークもこちらに協力してもらえるように言ってもらえないか?」
マスターはパソコンにその情報を取り込むと微笑を浮かべた。今、この店内に客がいないのが幸いと語り始める。
「良二、随分敵を作ったな」
「でも味方も作ったよ」
宮岡は微笑を浮かべる。
「この世界に足を踏み入れたのは好奇心からだったか……」
「まあ。だけど結局新聞記者なんて職業を選んだなら、遅かれ早かれマスターの素性を世間に公表しようと調べてたよ」
「ハハッ、良二といい淳行といい、ここでバイトして社会に出ていくものが私の味方で良かった。そう心から思うよ」
「秀君とか?」
「ああ……秀はな……、あれはちょっと出来が良すぎるというかな……」
マスターは少しだけ遠い目をした。厨房にいるコック達など半分青くなっている。
「とりあえず手筈は整えておく。だが気をつけろ、確かに私の力で裏社会の根の部分にまで奴らは介入しては来ないだろうが、危険に突っ込んでいくことに変わりはないからな」
「仕方ないさ。天宮家と関わってる時点でマークされてたんだし、何より俺は新聞記者って職業は気に入ってるからな」
「……悪ガキがそのまま大人になったか」
マスターは嬉しそうに微笑を浮かべるとまたいつものようにのんびりと過ごし始める。
「さて、それじゃあ紫月ちゃん、アイスコーヒー頼めるかな」
「はい、かしこまりました」
オーダーを受けて紫月は厨房へと入っていく。
このバイトが終わったら翔とケーキ屋に行く約束だ。これからの迷惑料も込みで奢ってもらおうと考えるのだった。
ついに龍達はアメリカへ!
きっといろいろなことが待ち構えていることなので、バッチリ活躍していただきますよ!
そして啓吾兄さんが医者になった理由……
「女にモテる職業だから」って……
確かに動機は不純ですが、彼はもともと医者は嫌いだという過去がありますので、もっと深い理由があると信じよう。
じゃないと本当にただの節操なしだと紗枝さんの評価が下されてしまうぞ?(普段の仕事ぶりは認めてるけど)
そして紫月ちゃんがバイトしている喫茶店に宮岡さんがご来店。
宮岡さんも土屋警視もかつてここでバイトしていたみたいです。
どおりで宮岡さんが情報通なはずです。
しかし、何やら動き出しそうな感じみたいでマスターにいろいろ頼んでるみたいですが……?
だけど結構すごい力を持つマスターに遠い目をさせる秀って一体……