第百四十七話:自然界の女神様
深い森の入口に一人の青年がふわりと降り立つ。青い衣を纏う従者は、森の中から感じる不機嫌な女神様の気配を感じ取って微笑を浮かべた。
そしてその中に入ろうとすれば、彼女の女官が青年の前に姿を現す。さすがは自然界の女神様に仕えているだけあって、彼女もかなりの美貌を持っている。
ただ、もし彼女に手を出せば、ここに住む女神様は青年の主に愚痴を零しに行くので敢えて出していないが……
そんな彼女は申し訳なさそうに訪れてくれた青年に頭を垂れた。
「申し訳ありません、啓星様。本日、紗枝様は誰にもお会いしたくないと」
「気を遣うな、どうせ俺に腹立ててるんだろ?」
森の中からこれだけ不機嫌な気配を漂わせてくれれば嫌でも分かると啓星は苦笑すると、一瞬のうちに森の中へと入る。
「お待ち下さい、紗枝様はいま沐浴中でして……!」
「構うこともない。あいつの裸体くらい見慣れてる」
あっさり答える啓星に女官は真っ赤になり、啓星はそれに苦笑しながらどんどん奥へと入り込んでいった。
森の中に入ればそれは自然界の豊かさがありありと目に焼き付いてくる。木々の間から差し込む木漏れ日、昏々と湧き出る泉、実り多き果実、そして生を受けるもの達の声……
執務をサボる場所としては最適だと思って初めてこの場所に入り込んだ日、ここを統治する女神様に散々なもてなしを受けたのもまだ記憶に新しい。
そして、今日はその日以上の機嫌の悪さのようだ。蜂が襲い掛かって来たかと思うと、栗の毬がふってきて、さらに針のような松葉が啓星を突き刺そうと狙いを定める。
そんな容赦のない事をしてくるのがここの主である。
「あぶねぇなぁ〜」
「天空王の従者ともあろうものがここに何の用ですか?」
頭上から降ってくる声に啓星は視線を向けた。
御神木とも言えるほどの大樹に腕を組んで腰掛けていた女神は、それはひどく不機嫌な表情を浮かべている。そんな彼女につまらなそうに啓星は一言告げた。
「……何だ、もう服着てたのか」
「本気で自然に帰りたくなりましたか?」
紗枝の髪がふわりと揺れたので、さすがにまずいと啓星は謝罪した。親しき仲にも礼儀ありとはまさにこのことである。
「全く、来客者に攻撃を仕掛けてくる女神なんてお前ぐらいなもんだよ」
「攻撃されるような心あたりが多過ぎやしません?」
確かに多いよなぁとヘラヘラ笑いながらも、啓星はふわりと紗枝の目の前まで浮き上がった。
「まっ、自然界の女神様と酒でも飲み明かしたいところだが、今日は天空王の従者として紗枝殿の力を貸してもらおうと交渉に来させてもらった」
いつになく真剣な表情を浮かべる啓星に紗枝は一時不機嫌な表情をおさめた。
「……予想はついています。主上、いえ、神族のことですね」
「ああ。この前の夜天族との戦により天空族が目を付けられた。沙南姫様の口添えで大乱には至ってはいないが、このままでは神族が天空族を滅ぼすために動かないとも限らない。
だから紗枝殿からも大乱が起こらぬよう働き掛けてもらいたい」
それだけの力を持つ女神などそういない。何よりも力を貸してくれなければ困る状況だと、普通の使いの者ならばそれ相応に頭を下げるだろう。
しかし、この目の前にいる従者はそんな表情をまず浮かべていなかった。
「……絶対否とは言わせないって表情ね」
「当然だ。俺は龍が好きだし、こんな自由に従者やらせてくれる主なんてあいつだけだぜ?」
「本当、天空王は心が広いわね……」
思わず溜息をついてしまう。まあ、最初から答えは決まっているのだけれど。
「……良いでしょう、目の前の従者はどうなろうと構わないけど、天空王がお困りなのに力を貸さないはずがないわ。堂々としてなさいと伝えておいてちょうだい」
「ああ、ご厚意に感謝致す。さてと、それじゃあ俺は天宮に戻るよ」
「えっ?」
「一応、自然界の女神様はご立腹だと聞いていたからな」
ニヤリと笑うその顔に紗枝は何となく腹が立ってくる。いや、もともと機嫌が悪くなっていたのもすべてこの目の前の青年の性だ。
「……私に何を言わせたいの?」
「今夜は抱いてくれ……とか?」
「あなたに抱かれたい女神や姫君なんていくらでもいるでしょ!」
「それは違うな。俺に抱かれたいと思う女は必ず天空族の力を手にしたい者が多い。そんな打算的な考えを持つ女の後ろには必ずいろんな思惑を持つ奴が多いからな、だから付き合ってやってるだけのこと」
心などあるわけがないだろうと笑う青年に紗枝はさらに腹が立ってきた。
「……啓星、私はあなたに疑われてるの?」
「何がだ?」
「私が女神という立場だから天空族を神族に売るとでも思っているの!?」
「いや、これっぽっちも疑ってねぇな」
「では何故そのような話を振ってくる!」
どれだけの永き時を過ごしてきたと思ってるのだという目に、啓星は一つ溜息をついた。
「紗枝……」
「何!」
「お前がそれだけ腹が立ってる理由は俺の所為だろ?」
「そうよっ! 悪い!?」
「俺にとっては悪くはないが、自分で気付かなければお前は納得しないだろ?」
啓星はその答えを知っているようでさらに腹が立ってくる。しかし、そんな苛立ちが彼にとっては非常に面白いようだが……
「まっ、そのうちまた酒でも飲みに来るからその時にでも答えを出しとけ」
ひらひらと手を振って啓星は天宮へと戻っていった……
時計のベルが書庫に鳴り響く。それを無造作に止めて啓吾は起き上がった。傍には同じく床に転がってる龍がいる。
「……天空記の読みすぎか?」
夢の中に出てきた悪友はやはり今も昔も変わっていないようで、相変わらずの性格でそして飲み仲間だったらしい。
しかし、自分は少し変わっていた気がする。軽い部分も重たい部分も、現代ではそこまで紗枝には見せてはいない。まあ、彼女が感づいていることは分かっているが。
そして何より違っていたのは……
「……龍、起きろ」
「ん……時間か?」
龍はおもいっきり背伸びをして少しずつ覚醒していく。
「とりあえず、読破できたな……」
「ああ……、だが、まだ分からないことも多い。天界が無に帰した戦については書かれてなかったし……」
「そうだな……。まっ、意見交換は後からだな」
次の瞬間、書庫の扉は勢いよく開かれる!
「龍先生! 啓吾先生! 今度こそご飯食べて頂戴! 現実に戻ってもらうわよ!」
そう告げる沙南に二人は苦笑した。書庫に篭ること約一日半、彼等はアメリカへ旅立つ時間はやってきたのである。
今回は啓吾兄さんの過去の夢でしたが……
うん、自然界の女神様こと紗枝さんとのやり取りは相変わらずの模様。
啓吾兄さんこと啓星は、結構大変や職務を負っていたりしてるのですが、
サボりという名の気分転換に紗枝さんのところに遊びに行ってたようです(笑)
そこでやっぱり酒が出て来るあたり、今も昔も変わっていない模様ですが……
だけど啓星と紗枝の間にはいろいろあるようで……
まあ、会話からある程度想像が付くように書いていますが。
そしてようやく医者達はアメリカへ!
書庫に篭ってばかりじゃなく、ちゃんと医者として現実にも戻って来てよ!