第百四十四話:好きと言う幸せ
柳は非常に困っていた。昨夜の事があまりにも恥ずかしくて秀に会う勇気がなかったのである。
自分が持っていた秀に対する気持ちをぶつけたことも、柳と呼ばれたことも、そしてあの口付けも……
頭の中で何度も流れては顔を紅潮させてばかりだ。
それでも朝食も昼食もおやつも、さらには自分を庇って怪我をしたのだからと秀の部屋を何度も訪れようと思ったのだが……結局菅原邸のメイドに食事を預けて逃げ出してしまうのだ。
こんなに自分は情けなかったのかと呪いたくなる。
そして今、夕食を届けに秀の部屋の前にいるのだけれど……
「どうしよう……」
「何がですか?」
「ひゃっ!」
突然かけられた声に柳は悲鳴をあげた。台車に二人分の食事をのせていたため被害はなかっただけ幸いというところか。
そしてぎこちなく後ろを振り返れば、それはもういたずらモード全開の顔をした秀が立っているわけで……
「し、し、しゅ……!!」
「寂しいかったですよ柳さん、今日は一回も会いに来てくれませんでしたからね?」
「えっと……その……!!」
何で出歩いてるのかとか、傷は平気なのかとか言いたいのだが、すぐに壁に追い込まれてそっと耳元で囁かれる。
「今日一日、僕を放置したお仕置きぐらいしなければいけませんね」
「ううっ……!! そ、そのっ……ごめんなさい!!」
本気で柳は秀から逃げるために駆け出そうとしたが、腕を掴まれてふわりと包まれる。それにジタバタ暴れるが、少し落ち着けば秀が苦笑しているのが分かった。
「すみません、いたずらがすぎました。ですが全速力で逃げ出そうとしないで下さい。さすがに凹みますから」
だったら最初からしなければと翔がいたら間違いなく突っ込んでくれるだろうが、紫月ならそれは秀ではないと言ってのけるだろう。
そしてようやく落ち着くと、少し柳を抱きしめる力を緩めて秀は謝った。
「昨日はすみませんでした。僕の気持ちを押し付けすぎました」
「……いいえ、私こそ秀さんの気持ちを信用してないようなことを言ってしまってごめんなさい」
「でもあれだけ僕のことを思ってくれてるとは僕も驚いてしまいましたから、おあいこなんですよ」
「ですが……」
もとはと言えば自分が秀を心から信用していなかったのが原因で……それに秀が自分を思ってくれてる分だけ返せないのもいけないわけだと自覚していて……
しかし、秀は柳の肩に額を預けてポツリと呟いた。
「情けないんですよね僕は」
「えっ?」
「君を前にすると余裕なんて全く無くなってしまうんですよ。それこそ閉じ込めたくなってしまうぐらいに」
柳は驚いた。柳の目に映る秀はいつも自信たっぷりで、どんなことでも簡単に片付けてしまう器用な青年なわけで。
何より誰からも嫉妬されてしまうぐらい魅力的な青年が、自分の事に対しては余裕がないなんてとてもそうとは思えない。
「君の目を僕だけに向けておきたくもなりますし、啓吾さんにも嫉妬してしまいますし」
「兄さんにもですか?」
「というよりあれは天敵ですね。柳さんを貰いに行くとき、今からどうやって叩きのめすか考えなければならないぐらいの」
あくまでも冗談だと柳は思うが、当人達は間違いなく圧死させるだ焼死させるだのバトルを繰り広げる気は満々である。
「それに僕には立ち入ることの出来ない絆もあるでしょう?」
「……はい」
否定は出来ない。今までずっと自分を守ってきたのは啓吾には違いなくて……秀もそれは受け入れるしかなかった。
「だけど、それでも柳さんのことが好きで仕方ないんですよ。だから僕の知らない場所で苦しむ君がいて、僕はそれを受け止めることが出来ないのが情けなくて……」
「そんなことありません!」
柳はそれを強く否定した。啓吾から与えられたものは確かに大きいが、秀は自分が今まで知らなかった感情を与えてくれたのだから。
「秀さんは充分過ぎるほど私を受け止めてくれました。それにこんな私を好きだと言ってくれた。それだけで私は幸せなんです」
「柳さん……」
「秀さん、私……秀さんのことが好きです、大好きです」
思いは言葉となる。それに秀は呆然と聞いていたが、それ以上に気持ちは込み上げてくる。
「……初めてですよね」
「えっ?」
「面と向かって柳さんに好きだと言われたことはなかったかと……」
「あっ……!」
柳は口元を押さえて赤くなった。いくら勢い有り余って告げた言葉といえども、恥ずかしさは込み上げて来て……!
「そ、その……!! 今の忘れてください!!」
「何でですか?」
「恥ずかしいんです!!」
「おや、今のは嘘だったと?」
「違います!! 私は秀さんのことが……!!」
とんでもなく意地悪な笑顔を向けられて柳はさらに真っ赤になった。こうなってしまっては絶対逃げられない。
「ちゃんと言ってくれなければこの場でキスしますよ?」
「ええ〜っ!!」
「あと十秒」
「そんなぁ〜!!」
「八、七……」
「秀さん!!」
「六……」
どうやら本気らしい。カウントは止まりそうにない。
「五、四……」
「……す」
カウントが止まる。しかし、続けられないようならば最後まで数えてしまうだろうことは手易く想像できて……
「……三、二、一」
「す、好きです……」
消え入りそうな声でも確かにそれは届いた。たったそれだけで俯いてしまう柳が愛おしくなる。
だが、秀はやはり秀だった。耳元で彼女の名を呼ぶ。
「柳」
「えっ?」
「愛してます」
落とされた爆弾に心は跳ね上がって、だけど視界が開けてくる感覚に襲われる。やっと手を繋げたような、そんな甘くて幸せな気持ちはここにある。
「あっ……秀さん……」
「はい」
すっと柳の瞳から涙が零れてくる。でも悲しいからじゃない。
「私……本当に……秀さんの事が好きです……」
「僕も好きですよ」
ただそう告げることが何よりも幸せだった……
え〜、龍さんと沙南ちゃんのデートを書こうかなぁと思ってはいたんですが……
ここで秀さんと柳ちゃんの話を書いておかないと、一日柳ちゃんに会えなかった秀が暴走しますので……
にしても、どんどんイチャイチャしていく二人なんですが、柳が純粋な分だけ書いてて楽しいです。
大学生でこの反応はどうなんだと言われそうですが、こんな恋模様があってもいいかなぁと。
なんせ初恋ですからね(秀もだけど……)
だけど秀さんの暴走を誰か止めて下さい……
彼が言ってることもやってることも恋人なら普通なはずなんですが……
どうも秀の性格がいけないのか一言ずつの破壊力が人の数百倍というのはどうなのかと……
次回はちゃんと龍さんと沙南ちゃんのデートを書きますよ。
実を言うと、今回の話が長くなった性で分けたんですよね(笑)