第百四十話:ケーキ
昨日に引き続いて紫月から風の使い方についてスパルタ教育を受けていた翔は、やっと一息とティータイム中である。
そして二人の話題は全く進まない長男と沙南の関係になる。
「龍兄貴、ちゃんとエスコートしてんのかなぁ?」
「翔君よりはしてると思いますよ?」
アイスティーをストローも使わず一気に飲み干しておかわりと、相変わらず見事な飲みっぷりを見せてる翔に紫月は合いの手を返してやる。
「そりゃ龍兄貴はアメリカにいたんだからレディーファーストの心得はありそうだけどさ、問題は二人の仲が進むかってことで……」
紫月から二杯目を受け取り、気品のかけらもなくロールケーキに翔は噛り付いた。ちなみに一本丸々である。
「そうですね、沙南さんが龍さんに嫁がなかったら翔君の食生活事情は悲惨でしょうね」
「それだけじゃなくてうちの文化的な生活と龍兄貴の老後まで心配になってくるやい!」
冗談そうに聞こえてそれが現実になったときに笑い事じゃないのが天宮家である。特に龍のことは本気で沙南に愛想尽かされたらまずいんじゃないかと、純まで心配しているぐらいだ。
「まあ、うちの文明的な生活は柳姉ちゃんが秀兄貴と結婚してくれれば問題はないっちゃないけど……」
「そうでしょうけど、秀さんのことですからすぐに新居ぐらい建てそうですよね」
「うっ! そりゃまずいな……」
「それにたとえ一緒に住んでも新婚旅行も長く行くんじゃないですか? それこそ世界一周でもしそうな……」
「じゃあやっぱり沙南ちゃんがいないとうちはやばいじゃねぇか!」
至る結論がそれというのもどうなのかと思うが、彼はふと思い付いた。
「あっ、でも紫月に飯作ってもらえばいいんだ」
「……翔君、私をお母さんにでもしたいんですか?」
「紫月がお母さん……」
二人の間に妙な沈黙が流れる。
「……翔君、今後の関係のためにも後半の会話は忘れましょうか」
「そうする……」
二人はもくもくとロールケーキを消費していくのだった……
一方、噂の主達は……
「……負けた」
「ふふっ、じゃあおやつは私の提案でよろしく」
二人はおやつに何を食べるかをかけてゲームセンターのF1レースで勝負したわけだが、僅差で沙南の勝利だった。
「沙南ちゃん……免許持ってたっけ……」
「ないわよ?」
「だけどなんで……」
「高校の時、秀さん達と遊びにいってたからね」
それだけで何年も車に乗ってる龍に敵うものなのかと思うが、あのギアさばきとアクセル全開にも関わらずカーブを曲がり切るテクニックには脱帽ものだった。
「沙南ちゃん免許取りに行ったらどうだい?」
「そうね、さすがに無免許運転ははまずいものね」
「やるつもりか……」
「やだなぁ、いざという時はよ!」
やらないと言わないのは彼等が置かれてる環境の性なのか、それとも沙南の本心なのかは実に怪しいところである。
「……それで、何を御所望でしょうか?」
「カップル限定ケーキセット!」
目を輝かせて言う沙南に龍は少し赤くなる。
「なんでまた……」
「それが紫月ちゃんオススメのケーキ屋さんでね、カップルにはスペシャルケーキが待ってるから食べたいの!」
「だけどそういうのって……」
「龍さん! 私が勝ったんだから付いて来てもらうわよ! それに龍さんが付き合ってくれないと食べに行けないんだから!」
他に誰かいなかったのだろうかと龍は考えてみる。
まあ、秀には柳がいるので沙南も遠慮したのだろう。翔や純ではカップルというよりどこからどう見ても姉と弟。「じゃあ啓吾は?」と考えてみる。
だが、もしそんなことを沙南が啓吾に頼んだとしたら、間違いなく彼はこう答えただろう。「沙南お嬢さん、俺を殺す気か!」と……
「ほらほら、早く行きましょ!」
女の子は甘いものには目がないんだからと、沙南は龍の腕を引っ張ってケーキ屋へと向かっていった。
紫月オススメのケーキ屋というだけあって、その店の造りはレトロな感じだった。そういった雰囲気の店を好むのは紫月らしいと思う。
そして夏休みとだけあって学生やカップルが噂を聞き付けてやって来てはいるが、慌ただしい感じはない。
むしろこういう店でコーヒーでも飲んで読書したいなと龍は相変わらずのことを思う。
それから店内に入るとこちらに気付いたウエイターが歩いて来て、落ち着いた声で尋ねた。
「いらっしやいませ、お二人様ですか?」
「はい」
「禁煙席と喫煙席は」
「禁煙席で」
「かしこまりました、ではこちらへ」
ウエイターは笑みを浮かべて二人を席に案内した。
「メニューはこちらになります。お決まりになられましたらお声を」
「あっ、カップル限定ケーキセットで!」
沙南は何の恥じらいもなくあっさりと言い切った。それにウエイターはニッコリ笑ってオーダー表に書き込んでいく。
「ではお飲みものは」
「フレッシュジュース」
「コーヒーで」
「かしこまりました。では少々お時間をいただきますので」
そう告げてウエイターは一礼してその場を離れた。
「楽しみよねぇ」
「俺は嫌な予感がするんだが……」
「嫌な予感?」
「ああ、アメリカにいた頃にも紗枝ちゃんにカップル限定カクテルを飲めるバーに付き合わされたことがあってさ……」
酒好きな紗枝らしいなと沙南は思う。さすがに紗枝に対して嫉妬心というものは湧かないらしい。
「飲んだ後カップルの証拠を見せろって言われて……」
「どうしたの?」
まさか何かあったのかと内心沙南は不安になったが、やはり紗枝は紗枝だった。
「自分達は兄妹だ。恋人になれない運命だからせめて最後の思い出に……って嘘泣きして逃げたんだ」
「ふふふ、紗枝さんらしい」
「ところがそのあとだよ。兄ならちゃんと支払いはしないとなってそのカクテルの倍額支払う羽目になった……」
結局はごまかすことは出来なかったようである。沙南はくすくす笑いながらその話に聞く。しかしそれ一件だけではなく、その後も何度かそういった類に付き合わされたらしい……
龍にとって紗枝が妹分というのは、幼い頃からの付き合いとそのアメリカ滞在期間を一緒に過ごして来たからだろう。
ただ不思議なことに、一度たりとも互いに恋愛対象として考えたこともないらしいが。
「じゃあ、私も言い訳するんだったらなにって言ってみようかしら?」
「……お供に愛の手を差しのべてるんですとか?」
「素敵な言い訳ね、それでいこうかな」
すると盆にケーキセットを乗せたウェイターがやってきた。
「大変お待たせ致しました。カップル限定ケーキセットでございます」
「うわあ〜美味しそう! それにかわいい!!」
ハート型のショートケーキとチョコレートケーキがこれでもかというぐらいデコレーションされている。しかし、クリームがほどほどというのは有り難い。
「では記念撮影をさせていただきます」
「えっ?」
「このセットをご注文なさったお客様はあちらのとおり」
ウエイターが指し示したボードにはやけに仲のいい恋人達の写真が貼られている。中にはこれでもかというぐらい見せ付けてるんじゃないかと思わせるものもある。
「さあ、お二人ともくっついて座っていただけます……か……」
次の瞬間ウエイターが固まってしまうほどこの二人は顔を赤く染めていた。
「えっと……その……」
「写真は普通にとるならいいんですけど……」
どれだけ初々しいカップルなんだと疑いようのない反応に、ウエイターはやはり仕事なのか答えを返した。
「か、構いません。では……」
その後、せっかく楽しみにしていたケーキの味があまり堪能できなかったとは言うまでもない……
うん、やっぱり龍さんと沙南ちゃんは進まない(笑)
普段普通にデートとか腕を組むとか沙南ちゃんは平然とやってますし、龍も苦笑しながらもそれぐらいは平気らしいんですが……
やっぱり実際にカップル扱いされてしまうと恐ろしく初々しい二人です。
多分ケーキ屋のボードに貼られている恋人達の写真に自分達を重ね合わせちゃったのでしょう(笑)
とりあえずもう少しこの二人のデートは続きます。
皆心配してるんだから頑張ってよ龍!