第百三十九話:小さな主張
龍と沙南のデートといえば極一般の恋人達と同じではあるが、やはり龍の性なんだろう、街中に出てしまえばやけに目立つ。
「うわあ〜あの人カッコイイ〜」
「本当、モデルみたい〜」
龍を見てすれ違っていく女性は好意的な視線を、そしてカップルの男性からは苛立ちやら敗北感が漂っている。
啓吾いわく、「次男坊はその見てくれに黄色い声が絶えないが、龍の場合は容姿と漂う雰囲気から溜息混じりの声の方が多い」とのこと。
確かにそうだなぁと沙南は納得する。しかし、本人は相変わらず無自覚にいい男ぶりを漂わせてるので性質が悪いなとも思ってしまうのだが……
「うん、やっぱり龍さんは注目の的よね」
「沙南ちゃんの方がされてると思うけど?」
「そう? まあ、こちらを睨んでくる女の子の視線は痛いけどね」
「そりゃ怖いなぁ」
「でもそれだけお供が魅力的なら主冥利に尽きるってものよ?」
女性からの視線が気にならないかといえば嘘になる。龍がアメリカに滞在いたときも、いつどこの美女に取られてしまうかとヤキモチを妬いたことだってある。
紗枝あたりからは「まずない!」ときっぱり言い切られてしまうが……
でも、実は苦労性で責任感とか長男って言葉が顔に張り付いていて、おまけに活字中毒で病人と聞いただけですぐにすっ飛んでいく医者というこの青年の隣にいられることが嬉しいのだ。
「とりあえず龍さん、口紅欲しいから付き合ってくれる?」
「口紅?」
「うん、折角だから龍さんに選んでもらおうかと思って」
「いいけど……そういうのは紗枝ちゃんに頼んだ方がいいんじゃないのかい?」
「その紗枝さんから伝言。『龍ちゃんなら清楚な色を選んでくれるはずだから、しっかり考えて決めてあげなさい』だって」
紗枝の口調を真似して言う沙南に吹き出して、龍は了解した。
「分かった、秀ほどいいものを選ぶセンスはないかもしれないけど」
「龍さんが選んでくれただけでお気に入りになっちゃうけど?」
実に鮮やかに切り返してくれる。いつもこの切り返しに何度も救われているわけで感謝せずにはいられない。
秀達は「それは感謝という気持ちを通り越してとっくに惚れてるって状態でしょ?」と言ってはいるのだが、いかんせん、あくまでも龍は堅物の恋愛初心者だ。
恋愛うんぬんより理性とか論理とかおまけに家族愛との言葉まで出て来るのでどうにもならないらしい……
それでも沙南の切り返しに苦笑して龍は答えた。
「かしこまりました、誠心誠意を払わせていただきます」
「よろしくね」
沙南はニッコリ笑うのだった。
菅原財閥の化粧品専門店に足を運べば、やはりVIP扱いで特別室に案内される。値段は大丈夫なのかとも思うが、極一般的なものから少し値の張るものまでが一式取り揃えられている。
だが、それ以上に驚いたのが口紅の色の数だ。龍の意識では赤とピンクぐらいなものと思っていたが、同じ赤でもこれでもかと言うぐらいの数がある。
この中から沙南に似合うものを選ぶのは確かに一苦労だなと思う。
「沙南様、どちらか気になられる御色はございますか?」
「う〜ん、どれもかわいいのよねぇ」
店員と沙南はどれにしようかと話し合っている中で龍はいつになく真剣に考えていた。
秀や啓吾あたりがいれば、まだいろいろな横槍が入って選ぶ参考になるのだろうが……
「龍さん、良い色ある?」
「う〜ん、沙南ちゃん何色持ってるんだい?」
龍にしては上出来な質問だった。レパートリーが増えればそれなりに付ける楽しみも増えるというもの。
「グロスはあるけど口紅は持ってないのよ」
「えっ?」
「ちゃんとしたものだから龍さんに選んでもらいたいの」
そう来たかと龍は再び口紅とにらめっこする羽目になる。それを見て店員と沙南はくすくす笑うが、龍はすっと一本取り出した。
「沙南ちゃん、これはどうだい?」
「あっ……」
出されたのは少し明るく薄い桜色の口紅。清楚な感じの色を選ぶだろうといった紗枝の勘が見事に的中しているものだった。
「何と無くね……紗枝ちゃんはルージュ、柳ちゃんはオレンジ、だとしたら沙南ちゃんはピンクかなって」
ちなみに柳はオレンジと言ったのは秀が「彼女は柑橘系の色が似合うから」と言っていたからである。
「龍様、つけてみられますか?」
「はい?」
「紗枝様から、もし龍様が選ばれたらそのようにお尋ねするようにと……」
「えっ! 龍さんがつけてくれるの!?」
「沙南ちゃん……」
「なんだ、残念」
店員と沙南はくすくす笑って、結局プロの手によって口紅は塗られていく。つい最近まで口紅なんていらなかったのになと、やっぱり沙南を見る目は家族としてだが、それでも彼女が大人に近づいていることは感じていた。
「とてもお似合いですよ」
「うん! やっぱり龍さんよね!」
すごく素敵という笑顔に龍はホッとする。とりあえずお姫様の合格点はいただけたようだという心境だが、その場に他の面々がいれば「正解だろ」と称賛されていたに違いない。
「じゃあそれを」
「ありがとうございます。それと沙南様、会長から新作のコロンを選んで貰うようにと承っておりますので……」
「おじいちゃんから?」
紗枝の祖父は沙南に「おじいちゃんと呼ぶように」と言われている。しかし、実のところ「おじいちゃま」と呼んでほしかったらしい……
「はい、こちらになりますが」
「あっ、可愛い」
ハート型のガラスに入ったコロンはいかにも女性受けしそうなものだが、その一つ一つのタイトルに沙南は赤くなった。
「どうしたんだい?」
いきなり固まった沙南に龍は尋ねると、
「龍さんは見ちゃダメ! これは私が自分で決める!」
「ああ……」
それなら少し離れてるよと龍はVIPルームから出ていく。それを見送って沙南は一つコロンを選んだ。
「ふふっ、本当に紗枝様から伺ってたとおり素敵な人ですね」
「ええ、だからコロンぐらいそんな主張してみたいもの」
きっと言えば冗談かと取られるか、もしくは秀達の予測では真っ赤になるんじゃないかというコロンを沙南はつけてもらうのだった。
龍と沙南ちゃんのデートは化粧品店へ。
男性が女性の口紅を選ぶ、
ちょっと妬けてしまうかなぁとの緒俐の考えでしたが……
まあ、ここで龍さんが沙南ちゃんに口紅を塗ってあげる度量?があればいいのですが、
当然彼にそんなことは出来るはずがありません。
秀さんや啓吾兄さんならやりそうですけどね(笑)
この店の店員さんもほのぼのとして見ていたことでしょう。
そして沙南ちゃんの選んだコロンのタイトル、一体何なのかなぁ?