第百二十一話:過去に触れるもの
「ぶわっくしょい!」
豪快なくしゃみの目覚ましに紫月は目を醒ました。上空数百メートル、またもやヘリに吊られて空中散歩である。
自分が寒くないようにと少し背の破れた上着をかけてくれてるのは有り難いが、礼をいう前につい口から出て来る言葉がある。
「……翔君、これは今日一日のやり直しですか?」
「だったら楽勝なんだけどな、また拉致されたみたいだ」
どうやら今日はまだ続いているらしい。早く終わればいいもののと思うが、世間一般ではこれから朝を迎えていくのだからどうにもならない。
「はあ〜、一日の間に何回神経ガスを吸わなくちゃいけないんですか」
「まだ二回しか吸ってないだろ?」
「普通はそんなものに巡り会うことすらありませんよ」
そう言って上着を返した。着てろといわれたが、二度目のくしゃみに気持ちだけ受け取っておくと告げる。
「とりあえずどうします? このヘリ落としますか?」
「いや、このまま殴り込む!」
「そういうと思いました」
「紫月だってそうしたいんだろ?」
「ええ、この騒動の黒幕を八つ裂きにしなければそろそろ精神の安定を保つ自信がありません」
「ハハッ、そういうとこ過激だよな……」
もちろんそれに反対する理由もないが。
「だけど今度はどこに連れていかれてるんだろうなあ?」
「さぁ? こんな森林だらけの場所じゃ分からないですよ」
「携帯は?」
「秀さんしか持ってきてません。今日は翔君の面倒を見ることになると分かっていたので、壊れる可能性が高いのに持って来るのも」
「面倒見るって……」
「見てるじゃないですか、拉致されてまで一緒にいるんですから」
「俺そんなに普段から紫月に頼って……るよな……」
「ええ。苦にならない程度なんで付き合ってますが」
実に淡々と言い切ってくれる。しかしよく考えれば、普通の女子ならこんな目に遭えば間違いなく泣き叫んでいるに違いないのだ。
それを「苦にならない程度」と言い切れる紫月はやはり大物というべきか。
「やっぱり紫月ってスゲェよなぁ」
「翔君ほどではないですよ。普通人がやらないことしかやらないなんて、私には到底真似出来ませんから」
「……それ褒めてるのか?」
「取り方は自由ですよ?」
紫月はくすくす笑った。何とも緊張感のないやり取りを繰り返して、さらに着陸したらどうやって施設を破壊してやろうかとまで話は及ぶ。
こうして会話を楽しめる相手だからこそ、付き合っていて飽きないのだと紫月は心の中で思っているわけだが。
するとまた着陸態勢に入ったのか、ネットがグルグルと回り始める。
「おわっ!!」
「きゃっ!!」
もう本気で勘弁してくれと思うが、そんな丁寧な扱いをしてくれるはずもなく二人は真っ逆さまに落とされると屋根が開き、石造りの床の上に尻餅をつく。
「紫月、大丈夫か……」
「もう……勘弁していただきたいです……」
数十メートル上から落とされたにも関わらず、翔も紫月も無事というのはさすがというべきか。もちろん、超人的な肉体をもつ翔と風の力を纏う紫月ならではの理由はあるが。
辺りを見渡せば薄暗いがそこが手術室だと分かる。だが問題は目の前にあるこの鉄格子だ。
「今度はいきなり檻の中かよ……」
「暴れたら危険だからでしょう?」
「……俺は人類だぞ」
「知ってますよ、一応」
「何だよ一応って!」
秀あたりがいれば「餌を与えないでくださいという看板でも立てておきましょうか?」とぐらい言ってそうだが、さすがにそれは可哀相だなと紫月はやめておいた。
「じゃあ翔君、人類扱いされたければこの檻蹴破ってもらえませんか?」
「へいへい、そうする!! うわあっ!!」
「翔君!!」
翔が鉄格子を蹴った途端、とんでもない電圧が流れて吹き飛ばされる! 素手で触っていたらさすがの翔でも何らかの影響はあったかもしれない。
「なんだよこの檻!!」
「天宮家専用の檻だ。さすがにそう簡単には出られまい?」
「……またおっさんかよ」
「本当に懲りない人ですね」
二人の前にはまたロバートが立っていた。いかにも今から解剖する気満々だという恰好に脱力する。もう解剖と騒ぎ出されるのもそろそろ御免被りたいものである。
「さあ、早速解剖を始めるとしようか」
「おっさん、いい加減に諦めてくんないかな。俺は健康体なんでね、メスなんか入れる必要を持たないんだよ」
「だから面白いのだ。麻酔をかけずに健康体の人間を切る。一度その快感に取り憑かれてしまうとね、つい君達のような異質な存在にメスを入れたくなるのだよ」
ロバートの表情に二人は嫌悪感を覚える。
「いかれてますね……」
「そうかい? だが私は君達篠塚家の研究をしていたときから一度解剖してみたいと思っていたのだよ」
「えっ?」
一体この男は何を言っているのだと思うが、心の奥底でそれ以上聞くなと小さな自分が告げる。
「君はまだ小さかったからあまり記憶に残っていないのかもしれないな。だが今から十二年前、私も研究者の端くれとしてアメリカのあの研究所にいたのだよ」
「やっ……!!」
「紫月!?」
いつも冷静な少女が明らかに動揺している。少女は壁に背をついた。
「君達を守るために篠塚啓吾はよく協力してくれたがね、だが」
「いやあああああ!!!」
啓吾の頭の奥の琴線に触れる。
「……紫月!」
「どうした?」
助手席に座っていた啓吾が突如妹の名を口にする。その顔は何かを感じている証拠。
「龍っ! 飛ばせ!!」
「えっ!」
「いいから早く!!」
紫月の心が壊れていく、そんな感覚を遠く離れたこの場所で感じていた。
翔と紫月ちゃんのやり取り、相変わらずコントになっています(笑)
拉致されてるのに関わらずずっとこの調子てす。
うん、普通の女の子だったら絶対付き合ってくれないよこんなトラブル……
だけどまた再びロバートが出て来た途端、いきなり紫月ちゃんを精神攻撃!?
しかも触れてはいけない内容らしくあの紫月ちゃんが絶叫!?
それを感じ取ってる啓吾兄さん。
急げシスコン!! 本気でまずいぞ!!